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04

 タクヤの顔がちらついている。トオルは重苦しい息を深く長く吐き出して、もやのかかったようなそれを、澄んだ空へと解き放った。
 今日のトオルはディラリアの街を練り歩いていた。石畳をゆっくりと進み、レンガ造りの花壇をひとつひとつ眺めながら隅から隅へと歩いてゆく。宛はあるようでなかった。目的の人物と会いたい人は別であり、目論見がうまくいく確証もない。けれどもトオルは、決して止まっていられなかった。
 いま探しているのはとある女性だ。歳はひとつ上だったか、先日くさタイプマスターに就任したばかりの人である。ノクタスと同じ色に染めたメッシュヘアは大人しそうな外見と相反していて、ひと目で彼女を彼女だと認識することが出来る。前に一度見かけたこともあるのだ。おどおどしているようでいて大胆かつ思い切ったバトルスタイルには目を瞠るものがあったし、なるほどこれがタイプマスターの実力かと、あまり造詣の深くないトオルでさえもすぐさま納得させられたものだ。負かされたチャレンジャーにおずおずと労いの言葉をかけ、なおかつ微笑んで見せたあの顔は、なんとなしに印象に残っている。優しい人だと思った。
 今日の目当てはそのタイプマスター。そして、おそらく彼女を求めて鍛錬を積んでいるだろう少女――先日会ったハルミだ。昔話に夢中になって彼女の所在や連絡先を聞きそびれていたトオルは、何かしらの糸口を見つけられないかと頭をうんうん捻りまくって、ハルミがポケモンと旅を始めていることをなんとか思い出したのだった。
 カバタ地方のポケモントレーナーは、地方の各地に存在している「タイプマスター」と呼ばれる実力者と戦うこと、そして彼らに勝利することを一先ずの目標とする。彼らに勝って、その証とする「しおり」を手に入れるのだ。ほのおタイプマスターならば「陽炎のしおり」、でんきタイプマスターならば「電閃のしおり」、くさタイプマスターならば「森林のしおり」。合計13人のタイプマスターのうち8人に勝利をおさめ、同数のしおりを手に入れれば、オメガ島にあるポケモンリーグへの挑戦権を得られるという寸法である。もちろん13人全員倒したっていい。その辺りはチャレンジャーの意向に委ねられる。
 このタイプマスターとしおりのシステムは、他地方で言うところのジムリーダーという役職や、彼らのもたらすジムバッジと呼ばれるものと同じようなものらしい。そして、彼らは四六時中をポケモンジムという施設に縛られているとも聞く。ジムトレーナーという部下のような者もいる。その話を聞いたとき、トオルはジムリーダーってやつは難儀で面倒くさそうだな、と眉を忙しなく動かした。
 ――話を戻そう。ポケモントレーナーとして旅立ちを迎えた手前、おそらくハルミもこの例外ではないのだろう。バトル一家に引き取られたと言っていた。つまり、タイプマスターと戦う、彼らに勝つ、それを目標に掲げて今も鍛錬に励んでいるはずなのだ。実力がつけば挑戦をする。ここではしおりの数によってタイプマスターがてかげんをしてくれるので、決まった順番などもない。ならば始めに挑むのはこの街のタイプマスターに間違いないだろう。そして、運良くそこに遭遇できれば――
 トオルはハルミに会いたかった。彼女が恋しかったのかと訊かれたら、半分はずれで半分正解。正しくは、彼女の持つ空気が恋しかった。今のトオルはツルバミに犯されている。否、あのタクヤという少年に、心の奥を抉られている。その苦しみから逃れたかった。はやく忘れてしまいたかった。あの男に無遠慮に踏み込まれそうになった憤りとやるせなさを、彼女と関わることで忘れられたら。そんな、いわば藁にも縋るような気持ちで、トオルはここに立っていたのだ。
 彼女を探し始めて早数日。このまま出会えないのではないか? そんな不安も首をもたげるなか、なんとなく足取りは重くなる。幾度めかの重いため息を吐き出せば、隣を歩くルクシオが気遣わしげにトオルを見上げた。優しい相棒の気持ちを想い、不安を伝播させたやるせなさを過ぎらせつつ、トオルはゆっくりと膝をついて、随分と毛並みの良くなった背中をなでた。
 柔らかな体毛を落ちつくまで撫でつけて、ふと顔を上げたその刹那――なんとか巡り会えたくさタイプマスター・セッテラと、運が良いのか悪いのか、しっかりと目があってしまったのだ。背後におだやかそうなモジャンボを従えた彼女は、トオルの顔を見つめてはにこりと微笑む。人見知りなのだろうか、少々ぎこちなさはあれども嫌な気持ちはしなかった。ブーツの靴底を石畳に打ち鳴らし、セッテラはゆっくりとトオルに近づく。
「ええと……チャレンジャーの方、ですか?」
「すみません、違います。ちょっと人を探してて」
「あっ――そうなんですね、ごめんなさい。早とちりしてしまいました」
 恥じたような顔のセッテラがモジャンボへと目配せする。図体こそ見上げるほど大きいが、トレーナーに似たのだろうか、威圧感のたぐいは少しも見られなかった。むしろ気やすい雰囲気すら持ち合わせていて、トオルのルクシオは彼女にじゃれつくような調子でくるくるとまわりをまわっている。モジャンボはニコニコと笑いながら、ルクシオを持ち上げて頭に乗せた。ぺっとり張りつくようにくつろぐ相棒のすがたを見て、トオルも力を抜いて笑う。
 トオルの気が和らいだのを察したらしいセッテラが、はたと斜め上に視線を向けた。長い前髪の隙間から見える青い瞳はこのうえなく澄んでいて、彼女が曇りない人柄であることを証明しているようにも見える。
「そういえば、人探しとおっしゃってましたけど……私でお手伝い出来ることがありましたら、ぜひ――」
「! そう、そうなんです! 実はあなたに会いたくて、いや、探してるのはあなたじゃないんですけど、ええと」
「お、落ちついて……ください? お探しの方はわかりませんけど、私は逃げませんので……」
 トオルが声を張り上げたのに驚いたのだろう、セッテラは少し後ずさりながらふらふらと視線を彷徨わせる。ぐい、と顔を近づけて彼女の手を取るトオルは、傍から見れば下賤なナンパ男と取られたっておかしくはない。さしものセッテラも怯えたように顔を歪ませ、笑顔を絶やさなかったモジャンボも警戒の構えに入っているのだが、当のトオルはそんなもの知らぬ様子で鼻息荒く声を高くした。彼女から好意的な返事がもらえたことは、ここに射し込む一筋の光明だったのだ。
 しかし先日出会ったハルミの特徴を伝えても、セッテラは首を傾げるだけで心当たりはないようだった。ごめんなさい、と謝る彼女は本当に申し訳がなさそうで、トオルはもどかしさに当たり散らしそうになったおのれを律して首を振る。急激にすう、と血の気が引く心地すらして、我に帰ったがゆえに過剰なまでに非礼を詫びた。
 ルクシオと共に何度も何度も頭を下げて、今度は別の意味で周囲の視線を集めそうになっていたおりだ。
「――あれっ、またもやトオルくん?」
 ハツラツとした呼び声が、トオルの耳に滑りこんだのは。

20170930
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