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03

 高い天井にぶら下がるシャンデリアは煌々と輝いているのに、沈みかかるトオルの心はちっとも晴らしてくれなかった。
 ふかふかのベッドに体を横たえていると、開け放った窓から野生のドクケイルが部屋へ入ってくる。敵意はなさそうなのでそのままに遊ばせているうち、シャンデリアの光に釣られてぶんぶんと周りを飛びまわり始めた。カバタは穏やかなポケモンが多い。こちらが刺激さえしなければ、野生だろうと何だろうとそれなりに良好な関係は築いていけるものなのだ。
 トオルはアクアマリンの瞳をぼうっと虚へ投げている。その目に目立った感情はない。ただ、ずっと頭に響く声に心が押しつけられていた。
 ――わたしの太陽みたいだった。
 ハルミに言われたひと言だ。昼間からそれが頭を占めて、ぐるぐるとめぐりながらトオルの思考を邪魔している。
 自分は太陽なんかじゃない。かといって月というほど儚く美しいものでもない。強いて言うなら星のような、数あるうちのなかのひとつ、ともすれば埋もれそうな薄明かりじみたものだろうか。数多ある宿命というべきか、ひとつに捕らわれる人はほぼいない。人は夜空に浮かぶ星のすべてをまとめて息を吐く。ほう、と見惚れた声を出すのは、輝きのひとつに心が惹かれたわけでなく、夜空の黒と無数の星の光、それらを総括した景観なのだ。
 星はひとつじゃ力はない。あったとしてもスバメの涙。何よりトオルの持つ星明かりは、ひどく薄汚れて汚いものである。
「そんな立派なもんじゃねーんだよなあ……」
 ひとりごちる声を聞いたのは、傍らで休むルクシオと、天井に羽ばたくドクケイル。出し抜けに聞こえた独り言でドクケイルは一瞬びくついていたようだが、トオルに何かアクションがあるわけではないことを理解したらしく、暴れたり攻撃をしかけたりしてくることはなかった。野生にしてはずいぶん賢いポケモンのようだ。
 しんちょうながらも懐っこいドクケイルにどこかおのれとの共通点を見出して、トオルは薄く自嘲をこぼす。おまえも捨てられたのか、と。
 胸のロケットに触れる。紺色ベストの下にあるそれは、分厚い生地によって形をあやふやにされているものの、指を這わせば確かな硬さでそこに存在を示していた。体温がしみてほんのりとあたたかい。ぬくもりに触れてまるで生きているかのような錯覚を起こすものの、それはただの金属だ。紙切れだってともすればただのゴミになる。思い出なんて見えやしない――そもそもありはしないのに。これが母のものだなんて確証すら本当はどこにも存在しなくて、ただの希望的観測、願望、そんなものが詰められただけの醜い醜い執着のかたまりだ。
 こみ上げる吐き気を堪えながら寝返りを打つと、不意にノックの音が響く。ルクシオに目配せして迎えに行かせた扉の向こう、立っていたのはタクヤだった。室内の違和感と微妙な暗さに天井へ顔を向けた彼は、そこをゆうゆうと飛びまわるドクケイルに一瞬肩を跳ねさせる。うお、と小さく無様な声を出す、それがなんとなくおかしかった。
 けれどタクヤは元々むしが苦手な質ではないし、そもそもポケモンのことを深く愛する人間だったので、特に追い払うことも刺激を与えることもしないままつかつかとトオルの元へ歩を進める。ゆっくりと起き上がるトオルは、タクヤの顔を見つめている。
 ふらふらと視線を彷徨わせたタクヤは、意を決したように口を開いた。
「……なにか、調子が悪いのか。夕食のときもぼうっとしてたろ」
「へ? ……あ、あー、そっかな。あ、昼に施設の子と会ったから」
「彼女か」
「ちげーよバカ!!」
 ――バサリ! トオルの大きな声に驚いて、とうとうドクケイルは部屋の中から飛び出て行った。どくのりんぷんが散っていないか気になるところだが、元の明るさが戻った室内にタクヤは再び天井を見上げ、トオルは彼の顔から目を逸らしながらぼうっと呟く。
「その子に言われたんだよな、『トオルくんは太陽みたいだった』ってさ。……それがずっとぐるぐるしてる」
 それだけだと言うトオルを、今度はタクヤが表情の読めない目でじっとりと見つめている。
 トオルはこの目が怖かった。こいつはよくわからない。愛をたっぷり受けて育った真っ当なこの弟には、トオルにとっての常識というものがひとつも通用しないのだ。
 出会って4年経つくせに、4年もずっと兄弟なのに、それでもなぜかトオルにとって、タクヤは大きな壁のまま。
 考えることがわからない。何を思うか見て取れない。施設に居たときの子供のように、年下の泣き虫のように、同い年の悪ガキのように、なんとなくの法則性さえ見つけだせれば簡単に付き合っていけるのに。そうすればすぐに笑わせられるし、望むリアクションを与えられるし、慰めるのだって思うままで、今よりももっと円滑に、自然に接せられただろうに。けれども悲しいかな、トオルにとってのタクヤは何年経っても未知だった。考え方も、環境も違う、年だけ同じの男がふたり。その大きな相違点は、きっと他人が思うよりも、当事者が感じているよりも、もっともっと大きいものだ。
「つーか、太陽ってのはオレよりおまえが似合うだろうにな? ハルちゃんにおまえを見せてやりてーや」
 トオルの言葉に他意はない。自虐よりも客観視の意味合いが強く、そこにおのれを嘲るような意図は微塵もなかったはずだ。けれどタクヤはあからさまに眉をひそめ、これみよがしに息を吐く。ハルちゃんとやらは可哀想だな、そんなひと言も添えながら。
「かわいそう? なんで」
「なんでもだ。鈍い男の相手をするのは疲れるなんてものじゃないなと――そもそもおまえは自分に自信がなさすぎじゃないのか」
 ――自信がなさすぎ。そのひと言が、トオルのどこか柔らかいところを握り潰した錯覚を起こす。
 途端にトオルの目は暗く淀み、どこか虚無を抱えたようなにぶい色の虹彩になる。輝けるアクアマリンはない。それはまたたく間のうちに、吸い込まれそうなほど重く苦しいものに変わった。
 たまらず後退ったタクヤの足元を、数匹のバチュルが這いまわる。それらを踏みつぶさないよう無意識に気を払いながら、けれどもタクヤの集中は目の前のトオルひとりに向けられていた。謝罪や弁明の言葉は出てこない。引きつるように喉がつまって、何にも言えなくなってしまった。
「そんなんおまえに関係ねーじゃん」
 拒絶に等しい言葉。胸が抉られる心地がして、タクヤは静かに眉をひそめる。
「そもそもおまえさ、なんでそんなオレに突っかかってくるわけ」
 く、と喉の奥が絞まる。鈍くおのれを見つめてくるトオルを前に、タクヤのくちびるはパサついて何も言葉を吐けなかった。言い淀むようなそれすら出ない。まひしたように脳が止まる。突っかかる理由なんて、今のタクヤのなかにはなかった。
 トオルのおいうちに答えを返せないまま、タクヤは彼の部屋から追い出されてしまった。

20170921
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