変になっていく心 7 | ナノ






「お、お前!今何て言った…?」

「ですから、貴方を愛していると言いました」

 ぽかりと燐の口は開き蒼色の瞳が今にも溢れ落ちそうな程に見開かれている。次には上半身を勢い良く起こして、その反動で体に掛けていたシーツがばさりと音を立ててベッドの上から滑り落ちていった。餌をねだる鯉の様にパクパクと口の開閉を繰り返す燐を観察しながらメフィストの唇は弧を描く。

 メフィストの心境はとても穏やかなものだった。正確には観念した、という表現が正しいのだろう。実の所、メフィストは恋が知りたいと言いながらも心の何処かではそれを嘲り忌避していた。メフィストは悪魔なのだからそれは正しい感情だ。だから欲しいと願いながらも得られなくていいという矛盾を抱いていた。けれど、それも青の炎を抱く小さな末の弟に全てを焼かれてしまった。

「そ、それに今のは…!ぷぷ、プロポーズ……って、ッ」

「ほら、急に体を動かすからですよ。もう少し落ち着きなさい。」

 耳まで赤く染め上げていく燐だが、今だ疲労の残る体は急激な行動に追い付かないのかくらりと目眩を起こる。額に掌を添えながらふらふらと今にも倒れてしまいそうな体をメフィストが立ち上がりそっと肩を抱いた。しかし、そのメフィストの掌が肩に触れるだけびくりと燐は大袈裟な程に体を震わせた。燐は俯き、尖った耳先まで真っ赤だ。
愛しい、その感情がメフィストの指先の一本一本まで支配していく感覚。それは悪くない、寧ろ心地が良い。メフィストはベッドに腰を下ろして燐の体を寄せる、その際ギシリと軋む。

「…プロポーズですか。確かにそうともいえますね。」

「言えるじゃねーし…大体男同士とか年齢とか」

「ああ、そういえばそうしでしたね。私自身との契約という形でも構いませんよ」

「け、契約?」

「はい、悪魔の契約です。」

 パチン、と指を弾いて鳴らせば白煙が舞いその中から表れるのは一枚の古びた羊皮紙と羽根ペン。ふわりふわりと舞ってから燐の膝に落ちていく。その紙に血の様な真紅の色で文字が書かれていた。

 書かれているのは永遠の束縛である。内容は未来永劫燐の魂、体を含む全てはメフィストのモノとなる。勿論、死しても神にさえ奪われる事はなくその対価はメフィストの魂、体を含む全て。人間が神に誓う婚姻より重く血生臭い婚姻書ともいえるだろう。

「その紙に一度サインしてしまえば二度と破棄は出来ません。」

「……」

 じっとその紙を眺める燐を双ぼうに映しながらもメフィストには今契約を強要する気など無かった。メフィストとは違い、燐には大切に思うものが多くあると理解しているからだ。頭の弱い弟だが本当に大切なものは忘れない。
 それはチリッと胸を焦がす感情を起こさせるも感情の侭振る舞う程にメフィストは幼くもない。真剣な様子で契約書と睨み合いを続ける燐に助け船を出すべく、冗談ですよとくつくつと笑いながらメフィストは契約書に手を伸ばした、のだが。

「…あの?」

 ひょいとその契約書を燐が掴むと羽根ペンを更に掴み、そこから染み出すインクも赤くその赤い文字を増やしていく。暫くしてそのペンを動かすのを止めると、黙って見据えていたメフィストの胸板にその羊皮紙をぐっと押し付けた。

「俺の答え。」

 そう一言だけ呟いて、燐の瞳には迷いは無く真っ直ぐとメフィストを貫く。そして羊皮紙を読んだメフィストは一瞬瞳を丸めてから何かの色を宿して鵄色の瞳を細め、ただ何も言わずにその羊皮紙を丸めた。再度パチンと指を鳴らせばそれは消え失せて、何もないと示すように掌を開いて燐にみせた。
 メフィストは思う。恋は厄介なモノだと。その感情のせいで交渉や甘言に長けたメフィストでさえ理性や冷静は簡単に失せてしまう。更に情けなく慌てたり狼狽えたりもした。悪魔としては何一つ良い事はないだろう、けれどこの気持ちは何も変え難い程に狂おしい。
すっと右腕が伸びて燐の頬を掌で包む。びくっと燐の肩が跳ねて瞳だけが逃げるように左下へ逸らす。何時かの屋上が思い出されては、メフィストはふっと口許を緩めた。二人の唇がゆっくり重なる頃にメフィストは不意に気付いた。

 そうか、これが自分の初恋なのだ。



『契約者:奥村燐 俺も愛してる』




変になっていく



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