戦禍に今日も明日も呑まれて | ナノ





 ごくっと音を鳴らして唾を飲み込み、掌はじわりと汗ばむ。深呼吸を数回繰り返して眼前の扉を見据えて息を止める、そして拳を振り上げた。コンコン、と木製の特有の音が辺りに響く。

「…誰ですか?」

「えっと、…本日付けで配属されました奥村燐一等兵です」

「…聞いています、どうぞ」

 扉向こうから聞こえた返答の声に肩がびくりと震える。緊張のし過ぎか喉が渇いて水分を求めている、だが今の燐にはそんな余裕なんてない。恐る恐る震えた指先でノブを掴んで回せば、ギィと扉が軋む音と共に開く。素早く室内に入り、踵を合わせて背筋を伸ばして敬礼をする。

「失礼します!この度アマイモン中将の部隊配属され、てぇ…ええ?」

 語尾が情けなくも半音上がったのは仕方ないだろう、部屋の中は床が見えない程に散らかっている。それは菓子の袋だったり、書類だったりする訳だがまるで子供部屋だ。そしてその奥に子供の王様とばかり血の様に真っ赤な椅子に堂々と座る青年が一人。緑色の尖った髪型に不健康そうな目の下の隈、口許に棒付き飴をくわえた侭じっと燐を見ている。

「あ、あれ?今居るの、お前だけ?」

「ハイ、ボクだけです」

 はあ、と息を吐き出すと全身の力を抜く。どうやら余程緊張していたらしい。青年は小首を傾げるだけで何も言わない、燐は一応書類だけは踏まないように部屋に進めばその青年の近くへ行った。傍に来ても視線をまるで外さない青年だったがその瞳に悪意はなく純粋な興味。それが燐には今までない事で、自然と燐の口許は緩んだ。
今までは燐が晒されるのは恐怖、悪意や嘲る視線ばかりだった。だからこんな純粋な興味は珍しい。

「お前もこの部隊なのか?」

「そうです」

「そっか、んじゃ仲良くしようぜ。いやー俺さ、雪男に…あ、俺の弟な。そいつにここにくる前に散々脅されてよ」

 アマイモン中将には気を付けろ、雪男の忠告はそこから始まった。
中将でありながらも後方で控える事を良しとせず、決まって先発部隊として出る。その振るう力の驚異は計りきれず、陸戦で勝てる存在は無しと噂されついに付いた名前は『地の王』アマイモン。しかしその性格は狂暴かつ残忍、戦闘狂。戦いの最中は敵兵はおろか味方兵さえも手に掛けて、幾度も軍法会議が行われているが元帥の弟と功績のお陰なのか、重い罰は受けていないらしい。
 そこまで聞かされた燐が目にしたのは元帥直属の辞令、アマイモン中将部隊への配属だった。殺されるかもしれないとなれば緊張しない方がおかしいだろう、燐の脳内ではいかつい大男がこん棒振り回して暴れ回っているのを想像してぶるりと震えた。しかし、結局訪れた部屋にアマイモン中将はおらず居るのは大人しそうな同僚になるであろう青年。気を抜くな、と言われても無理な話だ。

「つーか戦ってる時に殺されるってマジなのか?」

「んー、多分そうかな」

「うげ、マジかよ!」

 さっと燐の顔が青くなる、淡々と切り返す青年も青年だ。こういう危ない部隊に所属するにはこういう性格でないと駄目なのかもしれない。それにしてもこの青年は自由だ、と燐は不思議に思う。先ずこの部屋有り様。ここはアマイモン中将の管轄だ、つまりこんなに汚くしていいのだろうかという心配。次に軍服、中尉以上にしか許されない黒のロングコート。雪男も中尉で着ているのだが、青年のそれは改造されている様に見えた。問題はないのだろうか。

「ここにボク達しかいない理由がわかりますか?」

「いやわからねー、って中将の部隊ってこれだけしかいねえの!?」

 こくんと頷く青年、驚きに固まる燐を放置して青年は口内の飴をガリガリと噛み砕けば残った棒を床へ吐き捨てる。そして軍服の中から新たな棒付き飴を取り出して、その一つを燐にずいと差し出すが勢いよく首を横に振ってそれを断った。何時ここにアマイモン中将が戻ってくるかわからない状況で飴など舐めていられない。そうですか、と青年は頷いてからカラフルな飴を自分の口内へ押し込めた。

「周りに沢山人間がいると戦いの途中で邪魔になって殺してしまうからですよ」

「え…アマイモン中将が?」

「ハイ、気付いたらうっかり」

「うっかりの範疇じゃねーし!んじゃ、俺もヤバいかも…」

 噂は本当だと覚悟するしかない、当人に聞いた訳ではないが唯一の同僚らしい青年が言うのだから間違いはないだろう。軍から配給された帽子を脱いで、黒い前髪を乱雑に掻き乱した。既に燐の中でアマイモン中将は大男にこん棒、鋭利な牙まで生えて悪人面にグレードアップしていた。

「奥村燐は大丈夫です」

「へ?」

「君はヤバくありませんよ」

「何でお前にわかるんだよ、殺されるかもしれねーんだぞ」

 突如青年のおかしな自信に満ちた言い切った口調、慰めは嬉しいのだがそう言い切られると他人事のようで少しは不機嫌にもなる。表情での表現が乏しい所をみる限り、不器用なりの慰めなのかもしれない。それでもやはり生死の瀬戸際にいる燐の気分が浮上する訳もなく、椅子の背凭れに顎を乗せた。更にぐたりと力を抜いてそこに座る青年を軽く睨み付けた。

「いいえ、殺しませんよ」

「だーかーら、お前が殺さないとか言ってもアマイモン中将が殺さないって言わなきゃわからねーだろ」

「だから、ボクは殺しません」

「えっ?」
「えっ?」

 二人は揃って同じ方向に首を傾げる。おかしい、青年と話が噛み合わない。元から何処かズレている気がするが今のは更におかしい。その時に燐は気付く、この目の前にいる青年の名前を聞いていない。礼儀知らずもいい所だと聞き直そうとするがチリチリと警戒信号を発するよう頭の隅が熱い。それでも、と口を開く寸前、コンコンと木製の扉を叩く音が聞こえた。アマイモン中将かもしれない、燐は慌てて帽子を被り、背筋を正して踵を合わせる。

「アマイモン中将に至急確認して頂きたい書類がございます」

「入れ」

 燐は瞳を丸くさせる。扉の向こうの人物がアマイモン中将でないのは階級と名前が聞こえ、すぐに理解出来た。それにほっと安堵の息を吐き出したが、青年の態度が問題だ。命令した声は冷たく鋭い、そしてアマイモン中将に、と言われているのだから機密書類だろう。今アマイモン中将はいないのだから帰って貰うべきではないのだろうか。そんな疑問を浮かべた燐を知らず青年はただ飴を舌で転がす。扉から表れた軍人は敬礼をして、青年を見るとその瞳には怯えが揺らめく。

「私は…」
「名乗りと説明はいりません。その書類をそこに置いたら出て行って下さい」

「で、ですがアマイモン中将…至急、」
「ボクは帰れ、と命令しましたが?」

「は、はっ!失礼しました!」

 軍人が再度敬礼した後に、慌てた様子で部屋から退室していく。バタンと扉が閉められた後も、燐の口はぽかりと開いた侭だ。沢山の情報が脳に詰め込まれ、燐は一時思考停止してしまう。この青年は何と呼ばれていただろうか、アマイモン中将。さっきこの青年は何と言っていただろうか、"ボク"は殺しません。突如、燐の開いた口に棒付き飴が押し込まれて、入れた犯人を視界に入れる。そして飴玉をもごもごさせながら声を絞り出す。

「あみゃいもん…?」

「いいえ、ボクはアマイモンです。何ですか、燐」

 そう青年、アマイモンはまた首を傾げた。燐は意志疎通の妨げになると判明した飴を抜き、未だ混乱する頭で浮かんだ疑問を無意識に口にする。

「え、いや、その…何で殺さないとか、」

「ボクは燐を好きになりましたから。えっと、これを何ていうのかな。ああ、そうだ、一目惚れというヤツです」

 さらりと言ったアマイモンに燐は声を無くす、パクパクと唇を鯉のように開閉させて突然の告白に頭は真っ白になる。アマイモンが言うには訪れた際に見せた燐の笑顔、こんなにも惹き付けられる笑顔は初めてで自分を臆した様子もない姿に惚れたとつらつらと語った。燐の思考は生まれて初めての告白が、男で、同僚と思ったら中将で、次々と判明する事実に色々な矜持が崩れかけて結果、

「悪い、少し椅子貸して、寝る」

「良いですよ、はい」

中将に椅子を譲らすという暴挙に出た。
 だがアマイモンも不満もないのか大人しく立ち上がり椅子を空けると、ふらふらした覚束ない足取りで椅子に向かいその椅子に燐は座った。開き直ったのかパクリと口内に飴を押し込む燐。本気で寝る訳ではないが、この頭で起こる戦争で勝利しなければ何も始まらないと、瞳をそっと閉じた。じわりと口内に広がる甘さは脳の戦いを援護しているようで、細く長い吐息を一つ吐き出す。
 どうやら戦況は不利なようだ、燐は逃避しながらもガリッと飴玉を噛み締めた。そしてそれはやけに二人だけ部隊、二人だけの部屋内に大きく響いたのだった。







禍に今日も明日もまれて

Thanks<空想アリア


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