燐は人付き合いが上手くない、突然だがそれは事実だ。もし人見知りが激しいのか、と聞かれたら答えはNOだ。どちらかといえば人懐っこい方だろう。しかし元来の目付きの悪さ、気の長くない性格、腕力等が重なって他人に良い印象を与えづらい。
それは高校になっても変わらない事実、祓魔塾での関係を無しにすれば教室では燐は決まって一人だった。
「なあ、今日アイツどうしたの?」
「誰だよ?」
HR後の教室、がやかやとクラスメイトの声が騒がしい中、ゆっくりと席を立った燐の肩がビクッと震えた。燐に声を掛けた訳ではない、離れた距離の窓際で話す男子生徒の二人の会話が耳に入っただけ。それだけだというのに燐は立ち上がった侭、凍りついたかのように動かなくなった。
問い掛けた男子生徒に答えて『アイツ』と呼ばれた同級生の名を繰り返し呼ぶ、その名前の人物はクラスの中でも人当たりが良くクラスの中でも人気ものだった。しかしその彼が座る席は空で、未だに座るものなどいない。
「あー…俺さ、昨日アイツからメール着てさ、何か急な転校だって。よくわかんねえけど、何かすげえ怖がってた」
「怖がってた?わからねーけど転校って。あーあ、良いヤツだったのに」
「だよな、……奥村に声をかけてやる位に良いヤツだったし」
出来る限り声を抑えたのだろうが身体能力が増加している燐は苦もなくその声を拾う、途端燐は停止していた動きを再開させて足早に教室を出る。その際バンッと勢い良く机を叩いてしまったが、気にはしていない。寧ろ、これで彼らが自分に危機感を持ってくれたらと逆に燐は願わずにいられなかった。
廊下を一人で足早に渡る、両手をポケットに突っ込みながら歩く燐の表情は何処か影があり重々しい。ぴたりと足を止めて後ろを振り返る、他のクラスはまだHRが終わっていないのか人が少なく幸運にも今この廊下にいるのは燐だけだ。それを確認してから首に下げた紐を外して鍵を掴む、けれどそれは塾の鍵ではない。
資料室、と書かれた扉に鍵を差し込んでゆっくりと開いていく。ギィと音が鳴り響けばその扉向こうに広がるのは勿論資料室ではなかった。
「お疲れ様です、燐」
「……メフィスト」
「私が指定した時間より26秒も遅れていますよ、貴方もいけない子だ」
白いシルクハットに白いマント、何時ものふざけた格好をしながらアンティークな椅子に腰を掛けて優雅に紅茶を愉しんでいるメフィストが居た。当たり前だ、ここはメフィストの邸なのだから。燐が差し込んだ鍵はこの部屋へ直通の鍵だ。
メフィストは鮮やかな配色で描かれているティーカップを指先で掴み、揺らす。薫りを愉しんでいるのか瞳は閉じられた侭だ。この部屋に窓はない、扉は一つだけ。家具もなく、あるのは椅子が二つとテーブルが一つ。その内装は何処か不気味さを感じさせる。
「…なあ、アイツを転校させたのはお前か?」
「ええ、そうですよ」
「っ、何で…っ」
ぐっと燐は下唇を噛み締める。何で、なんて聞いたが実の所答えはわかり切っている。
「貴方と話して、貴方に触れたからです」
何を当たり前な、とばかりにさらっとメフィストは答える。それは常識を答えるように、簡単な方程式の答えを出すように。メフィストには可笑しな事だとは思っていない、しかし話題の彼は挨拶の為にたった一言、燐に声を掛けただけだった。触れた、というのもその挨拶の際にポンッと燐の肩を叩いただけだったのだ。
燐は掌を握り締め、掌に爪を立てた。メフィストはズレているのだ、もう壊れていると言ってもいいのかもしれない。
メフィストも最初からこうだった訳ではない、付き合い始めては細やかな願いだった。通常授業が終われば鍵を使い会いに来る事、それが最初の約束ごと。それからは一つ一つ増えていく、時間には遅れない事、今日一日の出来事を報告する事、メフィスト以外の人物と一分間以上目を合わせない事、部屋で一分間以上他人と二人切りにならない事、と段々その束縛が強まっていった。
「…っ。そう、だったな」
燐には頷くしかない。下手に相手を庇えばその相手の命に関わるからだ。メフィストはこういう時には殆ど燐自身に危害は与えない、約束ごとを破っても不自然な程に殴らないし叱らない。その牙が向くのは決まって周りなのだ。狡猾な悪魔だ、燐にとって何が嫌かをよく理解している。
束縛についてもそうだ、突如言われたら反発するであろう事も少し少し強まれば反発し辛い。段々と普通の基準が鈍り、今では制限はあるも触れる等を許されているのは弟の雪男位だ。狡猾、頭の回りも良く口も上手い。そして、その壊れた本性は誰にも知られていない。
「いや、その、お前が心配だったんだ。…理事長が転校させたなんてバレたら大変だろ?」
「心配して頂いて有難うございます、けれど大丈夫ですよ。…彼は暫く誰かと話すのも嫌になっているでしょうから☆」
くつくつと喉を鳴らしてメフィストが笑う、その笑いには歪んだモノを一切感じさせない。まるでコメディ映画を観ているかのようにその笑声に邪気は無い、それが逆に恐ろしくあり燐は思わず俯く。今回の事はメフィストが起こした事なんだ、と叫んでも誰が燐の言葉を信じるだろうか。それ程までに表面上は普段と変わらない。
カチャと陶器のぶつかる音が響く、テーブルに置いたのだろう。続いて椅子が軋む音に燐はゆっくりと顔を上げた。目の前には佇む白い道化師、燐より背丈の高いメフィストの顔を下から覗けばその表情は普段通りだ。
「燐、そろそろ奥村先生の部屋から出てはいかがです?」
「そ、それは…」
「貴方の監視というのでしたら私が引き受けましょう。いっそこの部屋に住めばいい、余り奥村先生の手を煩わせるのもどうかと思いますしね」
燐は頷かずに視線だけを逸らした、何も知らずにいた燐なら考えも無しに頷いていたかもしれない。けれど、ここが最後の一線だと燐は気付いている。大人しく頷けばそれを始まりに段々と行動範囲は狭まり、最終的に燐はこの部屋から出る事さえ許されなくなるだろう。これは予想ではなく確信に近い。この目の前の悪魔は、首を真綿で締めるようにゆっくりゆっくりと侵食していく。
「いや、いい。…また気が向いたら頼むわ」
「…おや?そうですか、それならば何時ものように代わりの約束ごとを増やしていいですか。…奥村先生と一緒にいるのは寝る時だけ、それ以外は私の傍から離れないこと」
「…わかった」
「よろしい、ではお菓子と紅茶を一緒に食べませんか?」
燐がこくりと頷くと、では失礼して、と言葉と共に右掌をそっと掴まれる。コツリと靴音を鳴らして先行するメフィスト、それは淑女をエスコートする様でその誘導は何処か手慣れていて絵になっている。椅子の前に立てばメフィストは手を離して、音一つ鳴らさずに椅子を引く。そして再度燐の掌を掴むとその椅子に誘った。
燐は何も言わずに席に付くと上機嫌そうなメフィストが向かい側に座る。まるで狂ったお茶会だ、と何時か授業で見たアリスという少女の話が燐の頭を巡った。けれど、自分にアリスという役柄は合わないだろう。何故なら燐もこの壊れた道化師が愛しくて、今にも破滅の誘いに頷いてしまいそうだからだ。何時までメフィストの誘いを断り普通で入られるかなんて、燐にもわからなかった。
そして、突如メフィストが掌をパンパンと勢い良く叩く。その乾いた音は何処までも部屋の中で響いていく。ニィと口角を高く吊り上げて、声高らかにメフィストは宣言する。
「さあ、楽しいお茶会を始めましょうか!」
イカれた道化師とお菓子なお茶会!
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