[恋月夜の花嫁 第三章 捏造]
楽しいとか、楽しくないとか。告解だとか、罪だとか。
どことなく張りつめた空気の中で交わされる
鴎外と春草のやり取りを芽衣は殆ど聞き流し、
鴎外の手が離れても尚、熱が触れる自身の肩に注意を向けていた。
「ではそうさせてもらおう。ちょうど話もあることだ。
おいで、子リスちゃん」
彼の様子がいつもと違うことには気付いていたけれど
笑顔で手招きするような優しい物言いでありながら、
逆らうことを許さない雰囲気に、芽衣はおずおずと頷き、
さっそくサンルームを出て行く彼の後を追う。
ウサギを追って穴に落ちたアリスのような心持ちで
辿り着いたのは薄暗い書斎だった。
鴎外がランプを灯すのをぼんやりと見つめながら
先程から煩いくらい鳴り響いている鼓動が静寂に漏れないよう、
どうにか心を落ち着かせようと試みる。
「実は一週間後に、鹿鳴館で夜会が開かれるのだよ」
上着を脱いで一息つく間もなく切り出された話は予期せぬもので。
戸惑う芽衣をよそに、鴎外はそれがどういったものなのか
台本を読むようにすらすらと話す。
目の前に並べられる堅苦しい言葉に頭が痛くなってきたところで
お前もフィアンセとして同伴するようになどと言われては
愈々、眩暈に襲われる。
仮の婚約者である自分がその肩書きを背負ったまま公の場に出ては
引っ込みがつかなくなる、と鴎外も分かっているだろうに
どうしてそんなに軽率でいられるのか、到底理解できなかった。
「私は仮の婚約者です。近いうちに居なくなる私を皆さんに紹介して
困るのは鴎外さんじゃないですか」
「近いうちとは、どういうことだろう」
まるで日取りが決まっているかのような言葉に
引っ掛かりを感じたらしい鴎外は
嘘も誤魔化しも見抜かんとする鋭い眼差しで詰め寄ってくる。
どうにかして逃げ出そうと考え巡らせてみるけれど
今の鴎外には真実以外受け入れてもらえないだろうし
何より、彼に本当のことを言わないまま別れの日を迎えるのが辛いと思えて。
芽衣は伏せていた目を真っ直ぐ鴎外へ向けた。
「私、次の満月の夜に帰ります」
本当は現代に帰ることを少し迷っているという心情は口にせず。
はっきりと告げた。
ここまで…