はい、今日も一日頑張りました私!


「というわけで、かんぱーい!」

「…」


缶ビールは、あの開けたときのプシュっていう音と触感がすき。

でもって宅飲みでグラスに注ぐなんて邪道邪道!
やっぱ男はそのままぐいっといくべきっしょ!


「先輩、いつ性転換したんすか」

「ん、まぁ細かいことは気にしない気にしない!」


ほら飲め、とコンビニの袋から二本目のビールを取り出して無理矢理渡すと、越前は一瞬とても嫌な顔をしたけれど結局仕方なさそうにそれを受け取った。


「よし!今夜はー飲むぞー!オー!」

「…いただきます」

「って、ばっかやろう!私がオーって言ったらあんたもオー!だろうが」

「そんなルール知らない」

「じゃあ今知れ!今夜は飲むぞー!オー!」

「…」

「(ムカッ!こうなったら意地でも言わせてやる)オーー!!」

「(わざとらしい大きなため息)………オー」

「よし!」


なんといっても今日は最悪な一日だったのだ。
こうして高校時代の後輩を呼び付けて無理矢理付き合わせなきゃならないぐらいには疲労もしている。


「だからさぁ、聞いてよ越前」

「聞いてますって…つーか、たった二口で酔いすぎじゃ」

「うるさいうるさい!今夜は無礼講なの!」


そうでなくても、先月うちの課に新しい課長が転任してきて、それからというもの休む暇もないぐらいに休日出勤に残業残業で大変だというのに。
毎日終電近くに家に帰り、疲れて化粧も落とさないまま寝るような日々のせいで肌はぼろぼろ、リビングを歩けば埃が舞うし、まるで泥棒に入られたかのような寝室。

それなのに、あのバカは全然分かろうとしてくれない。

だから溜りに溜まった欝憤を晴らすために今日はめちゃくちゃになってやるって決めたの。


「へぇ…会社勤めは大変っすね」

「ちょっとあんた、他人事みたいに言ってるけどね、あんたもあと半年すぎたら同じなんだから」

「や、俺はアメリカいくし」

「え、」


あー…

…そっか、そうだよね忘れてた。
こいつこう見えてもテニス超うまいんだった。
アメリカに行くってことはやっぱプロになんのかな?
あー、なんか黒い気持ちがむくむくしてきた…

なんか、


「なんか…いいねー、越前は。好きなことやって生きてけるなんてさ」

「……」


私なんかやりたくもないようなお茶汲みやらされたりとか、ちょっと勘弁してほしいようなセクハラにだって我慢して、思わず臭っ!て顔を背けたくなるぐらい口臭がキツいおっさん上司に延々説教食らったりして昼休み潰れてランチを逃したりしてんのに。


「私も越前みたいに楽でいたいよ、悩みなんてないんじゃない?」

「……」


私が不貞腐れてると、越前はいきなり無言のままビールをテーブルに置いて立ち上がった。
その音がやけに大きく響いた気がしたけれど、もしかしたら気のせいだったかもしれない。


「え、どしたの越前…」

「別に?…ちょっと、つまみ買ってきます」

ポテチと、あと適当でいいっすよね。


私の言葉を途中で遮り、越前はカウンターの上の鍵をポッケに入れて出ていってしまった。


バタン、とドアが閉じる音だけが部屋に虚しく響く。


…あーあ、どしたのも何もないよね私。何やってんだろ。


あんなこと言うつもりじゃなかったのに、口から出てくる言葉が止められなかった。
楽に生きれて羨ましいなんて、あんなに必死に努力してきた人に言っていいことじゃないよね。
ましてや悩みなんてないんじゃないかーなんて…。
人には分からない辛さとか、悩みとか越前にだって絶対あるはずなのに。


でも分かってても傷つけたくてたまらなかった。止まらなかった。
誰かに毒をぶつけて、それを受けとめてほしかった。


「いきなり呼び付けといて、私ほんと、さいてー…」


付き合って一年半になる彼氏は私の愚痴なんて聞いてくれたこともない。
女なんだから仕事なんて適度に手を抜いてゆるくやってけばいいのにって…不器用すぎ、とまで言われた。
会うときはいつも気を張って、彼がしてほしいことを優先して彼が求める彼女像を演じてしまったりして。


「なんかもう何も考えたくないよ…」


すっぴんにださメガネと中学ジャージでビールが飲みたかった。

一番かっこわるい自分を受け入れてくれるのは誰だろうって考えたとき、最初に頭に浮かんだのが越前の顔。

思えば昔からそうなんだよね、なんだか越前と一緒にいると癒される。
不器用さは多分私より上っぽいのに、案外優しくて嫌な顔しながらも結局こうして付き合ってくれちゃったりしてさ…
だからつい、わがままを言い過ぎちゃうし…甘えが出ちゃう。

私のほうが年上なのに。


「ダメだなぁ…こんなだからあいつにも、距離置こうなんて言われちゃうのかも」


いつ別れてもいいと思ってたのに、やっぱり相手からそんなことを言われたらさすがにへこむ。

ほんと、なーにやってんだろいい年して…


もう何本目になったかも分からないビールを片手にテーブルに突っ伏すと、意識が少しずつ薄らいでいく。

しばらくすると玄関のドアが開いた音が聞こえた気がした。


「…あーあ、もう寝ちゃってる」


その後、僅かに覚えているのはその声と、ふわりと髪に触れるごつごつした大きな手だけだった。





・・・・・・・・・・・・・


「…ん」

「あ、起きた」


あれ、私…

「うっ…あったま痛い…!」


起き上がろうとしたらズキンとこめかみが痛んだ。


「オハヨーゴザイマス、先輩」

「…おはよう」


何時だろう、と時計を見ようとしたら、先に越前が今は夜中の二時半だと教えてくれた。


「なんだ、まだ1時間ぐらいしか経ってないんだ…」

「はい、水」

「ありがと…」


差し出されたコップを受け取って越前を見たら、奴はニヤッと笑う。


「…なによ」

「別に?よだれの跡がついてるなって」

「…は!?」


よだれ!?と顔を触って確認しようとしたら越前はあっはは、と大袈裟に笑いながら嘘、冗談と言った。


「あ、でも携帯は鳴ってたけど」

「ちょっとからかわないでよ、びっくりしたじゃない」


言われるままぱちんと携帯を開くとメールが一件と着信が四件きてた。


「……」

「……」


昨日は言い過ぎた、会って話がしたい…か。

私はそのまま携帯をソファに投げ捨てた。


「いいの?かけ直さなくて」

「いい。もうどうせ修復なんて無理だし」

「…ふーん」

「なによその反応、かけ直してほしいわけ?」

「そんなわけないじゃん。俺先輩のこと好きなんだけど」

「………」



え、


「……ねぇ、まさか気付いてなかったとかないよね?」

「……あー、」


ごめん、と言うと、はぁあ〜、という大きなため息が私に罪悪感を植え付けた。


「鈍いんだろうとは思ってたけど、まさかここまでとはね」

「…いや、面目ない」

「つか普通気付くっしょ…なんとも思ってない人から呼び出されたって行くわけないじゃん。」


ちなみに、

「俺、見込みなさそうな相手にはこんなこと言わないっすから」

「え、どういう意味」

「どうもなにも、先輩って押せば落ちそうじゃん」


そう言ってまたもや越前は、私を見てニヤッと笑った。


ちょっと待ってよ、どういう展開だこれは。
今私の置かれている状況はどうなってるの。

越前が私をすきだって?

あはは、今まで全く気付かなかった自分の鈍さに笑えてきちゃう。
あははは…は、はは…


「なんで?」


信じられない。
だって男っていうのは普通可愛くて素直で、こう…守ってあげたくなるような、そういうきゃるんってしたのが好きって決まってんじゃない!
だから私だってあいつの前ではそういう風に見えるように言葉遣いも気を付けて、雑誌で可愛い系のメイクも勉強したりしてたってのに!

越前の前での私はそれとはほど遠い姿をしていたはずだ。


「ありえない」

「…つーか、先輩考え偏りすぎ。俺そういう子を可愛いって思ったことない」

「なんでよ、しかも私さっきめちゃくちゃ感じ悪かったのに」

「別に気にしてないけど。ああやって八つ当りできるってことは俺に気を許してるってことでしょ?全然可愛いっすよ」

「な、か、かわっ…!」


ちょっと、なにこれ?
不覚にも顔に熱が集まってきちゃったじゃない!

可愛いなんて言われたのは久しぶりだ。
それをこんな年下の男に言われるなんて。

…ない。ないわ。


「ねぇ、ところで先輩が寝てる間に風呂溜めたんだけど、入るよね?一緒に」


ほらバンザイ、とださださジャージに手を掛けられて私は咄嗟のことに対応できない。


「え!ちょ、ま、ま、」

「いいっしょ、別に減るもんじゃないし」


いきなり好きって言われてすぐお風呂とか服脱げとか…展開が早すぎて頭もついていかない。

そうやっておたおたしてる間に服はどんどん脱がされて、遂に越前の手が下着にかかった。


「っ!だめ!」


わ、私たちまだそんな関係じゃないじゃない?ほら物事には順序があるし私年上だし最近ムダ毛の処理もサボってたし…ってそうじゃなくて!

勢いで一気にまくしたてたけど、もう自分でも何言ってるのか分からない!
しかも越前ってこういうキャラじゃなくない!?


私がパニックを起こしそうなのを感じてか、越前は軽くため息を吐いてから下着から手を離し、その両腕を腰にと回してきた。


「先輩、顔上げて」

「な…なに…?」


言われるまま恐る恐る顔を上げると、そこには思ってたよりずっと柔らかい眼差しで私を見つめる二つの目。



「越前…?」

「…あのさ、先輩はなんでも小難しく考えすぎなんだよ。」

たまには後先考えないで飛び込んでみるのもいいんじゃない?


「え…?」

「ほら、もっと体の力抜いて…そうしたらもっとキモチよくなる」

「っ…」


耳元で囁かれてたらお腹の下のほうがきゅうってなった。

くっついた肌がなんだかふわふわくすぐったい。


「俺に全部まかせてよ」



あー、なんか変だ…囁かれるたびに頭が痺れたみたいにぼんやりしてくる…
どうしよう、なんだかもう越前に触りたくてたまらない。

触ってほしい。

もしかしてまだ若干アルコールが残っているのかな。


「ね、一緒にキモチよくなろ?」


同時に、ぱちんと外されたホックは私の理性そのものだった。



「すきだよ、先輩」



ダメだもう何も考えられない。


思ったよりもずっと近くからかかる吐息に期待して、私はゆっくりと目を閉じた。






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