ねぇ、ひよし
なんですか
すきだよ
…俺もです
隣で読書にふける日吉を見ながら、あたしは何度もこのやりとりを頭の中で繰り返す。
(…はぁ)
よし、今日こそは少しぐらいって毎回思うのだけど、なぜか肝心の言葉が出てこないまま時間切れ。
日吉と少しは恋人らしい会話がしたいだなんて、あたしったらなんて乙女なのかしら!
欲求不満の乙女の妄想はとても人に知られちゃならない禁断のパンドラ。
頭の中でならなんだって言えちゃうの。たとえば、キスしてとか、もっと強くだきしめてなんて恥ずかしい台詞だって楽勝。
「…どうかしましたか?」
「…!」
じっと見つめてあらぬ妄想に浸っていたら、いきなり目が合ってしまって驚いて。
逸らした目が少しだけ行き場を失って左右にゆれた。
今その唇にキスされて、ぎゅーって思いっきりだきしめられてたの
そんなことまさか言えるわけもなく、なんでもないよってニッコリ笑えちゃう自分がこわい。
ねぇ日吉、知らないでしょ?
男の子は好きな女の子にえっちなことするのを妄想するっていうけれど、でもそれは男の子だけじゃないんだよ。
むしろ、恋する女の子の頭の中ははもっともーっと赤裸々なんだから。
その証拠に、あたしは心も身体もぜーんぶ差し出す覚悟があるのに君は全然そんな素振りを見せてくれない。
あたしがこんなやらしいこと考えてる、はしたない子だって知ったら君は幻滅しちゃうかな。
隣からわずかに伝わる体温だけで、あたしの理性はもう崩壊寸前だよ。
「………」
「………」
「…はぁ、」
一体なんなんですかさっきから。
そういって本を閉じた日吉の指は、スポーツをやってる人とは思えないほどしなやかで綺麗だ。
「なんでもない、なんてもう通用しませんよ」
「本当になんでもないんだよ」
「あんなに横から視線を受けて、はいそうですかとは言えませんが」
「ただ見てただけだよ」
なーんて、うそ。
ただ見てて、それからとても人に言えないことを考えてましたとも。
眉間に皺を寄せて難しい顔する日吉にあたしは少しだけ、ほんのちょっとだけだけど、あたしの心と頭の中を見抜いてほしいってそう思う。
ほんの少しでいいから、あたしが日吉を好きなのと釣り合うぐらいの気持ちがほしくなる。
ねぇ、日吉
あたしのことがすき?
「あなたが何を考えてるのかわかりません」
「あたしはいつも同じだよ?」
いつだって、ただ君がすきなだけなの。
言葉に出せない気持ちを見抜いて。
「いつもと同じ、ですか」
「そう」
「なら、俺がいつも何を考えてるか比奈さんはわかりますか?」
「え…?」
"まったく、そんな目で見つめて…誘っているとしか思えない"
日吉のつぶやきが嘘みたいに近づいて、ふ、と目の前で視線が重なる。
「俺が考えているのはこういうこと、ですよ」
驚きに目を見開いた途端、躊躇することもなく重なった唇。
「…ん、っ」
びっくりして反射的に離れようとしてしまうあたしの頭は、いつの間にか日吉の右手にがっちりホールドされていて。
というか、まさか反射的に離れようとするなんて自分の行動が信じられない。
あんなに望んでいたことだったのに、いきなりの展開に心の準備が追い付いていかないなんて…
(あ…)
酸素を求めて無意識に伸ばした手を、あのしなやかな指に捉まれ絡まる。
目の前の短いまつげが少し震えていた。
「…幻滅、しましたか?」
長かったキスの終わりに、日吉はその右手でそっとあたしの髪を梳いて言う。
それで初めて、あたしは自分が思いがけず泣いてしまっていることに気付いた。
「あれ…やだな、なんであたし泣いてるんだろ…」
拭っても拭っても溢れてくるそれを止められない。
「…あなたが好きです」
だから、謝らない。
そう言い切った日吉の目は、言葉とは裏腹に不安げにゆれて、あたしのことを心配そうに見つめていた。
「ちが、ごめ…悲しいんじゃ、ない」
「え?」
「すき…だったの」
そうだ、ずっと好きだった。
付き合う前、まだ日吉があたしを気にも止めていなかった頃から。
だから告白されたときは驚いて嬉しくて。でも自信がなかったの。
だから不安で仕方がなかった。
言えなかったの好きだなんて。
それでもすきですきで、たまらなくすきで他に何も手に付かなくて…どうしようもないほどに、ずっとこうされたかった。
今までの色んな想いがぐるぐるに交ざり合って、胸がいっぱいになってくる。
「すきだったんだよ、ずっと」
「…俺もですよ」
さっきは突然のことでうまくいかなかったけど、二回目のキスはきっともっと上手に出来ると思う。
そして現実の出来事は想像していたより甘いものではなかったけれど、頭の中で考えを巡らせていた頃よりも、今はもっと…幸せで苦しくなった。
この気持ちに果てがあるとするなら、そのまえに
溶けだすピンク
の欲望(もっとつよくだきしめて)
(言われなくても、そのつもりです)
←