そろそろ寒くなってきたね、なんて言いながら彼のマフラーに手を伸ばし、それをかけ直してあげられるほどに近くなったのはいいことなのでしょうが、私としては毎日が心臓の限界にチャレンジしているようで気が気ではありません。
全然平気なふりをしているつもりなのですが、震える指は止められず相も変わらず目を合わせることもままならない日々が続きます。
彼はテニス部の部長になったようで、毎日奮闘している様子をちらちら聞かせてくれますが、何故か私はそれをあまりよく受け取ることが出来ずにいました。
それは何故かというと…彼のそばには、よく沢山の女の子がいるようだったからです。
部長になった途端にまわりが騒がしくなって鬱陶しいと彼は言いますが、学校が違う私には入ることが出来ない空間で彼を見ることが出来るその女の子たちへの、これは嫉妬なのでしょう。
「なんかお前、機嫌悪くないか?」
「そんなことないよ、良かったじゃない」
私は彼が楽しんでいることは一緒に楽しみたいし、一緒に喜んでいたいのです。
だから、こんな気持ちは絶対に彼に知られてはいけません。
彼はとても礼儀正しく誠実な人ですから、私はそれを理解して慎ましく支えたいと思っていました。
「悪い、明日は一緒に帰れないと思う」
ですが、こうして会える時間が減るごとに胸のもやもやは増殖していき、私はその感情をとても恐ろしく思っているのも事実なのです。
私が彼を見ることも、声を聞くことすら出来ない時間を他の女の子が共有していると思うと心がつぶれてしまいそうでした。
人はなんて欲深い生き物なのでしょう。
つい2ヵ月前には話し掛けることも出来ない独り善がりの片恋だったというのに。
「風邪引くなよ」
「うん、気を付ける」
彼が降りる停留所に続くこの道がとても嫌いでした。
「じゃあな」
「うん、また」
いつものバスの中で呆気なく挨拶を交わし、別れなければならないこの時間がとても嫌いでした。
彼が忙しいのは分かっているのです。
私のことをどうでもいいとは思っていないことも、彼は出来るかぎりの気持ちを私に向けてくれている、そう感じることも出来ます。
だから私は趣味を多く持つことにしました。
彼がいない時間、彼に会えない間の空虚な自分を埋めることが出来れば何でも良かったのかもしれません。
「ごめんね、明日は…ちょっと」
「そうか、分かった」
「うん、また…メールするね」
「あぁ」
いつの日にか、私は彼に会うのが怖くなってしまったのです。
まだ付き合って二ヵ月もたっていないというのに。
会えば別れが辛くなり、自分を押さえられなくなってしまいそうになるのが耐えられませんでした。
その欝憤を晴らすかのように、私は本を読み、絵を描いて、なるべく彼のことを考えないでいられることに夢中になり、ひたすら没頭しました。
「今週の日曜日?」
「あぁ、無理か?」
「あ…えっと」
私が黙っていると、電話越しに彼が小さくため息を吐くのが聞こえました。
ああ嫌われてしまったかもしれない、こんな私に彼は呆れてしまったのかも…
「…なぁ、今から会えないか?」
「…え」
「最近、俺もお前のこと考えてる時間がなかった」
「うん…」
「だから会いたいんだ」
それから約30分後にいつも私が降りるバス停で落ち合い、私たちは近くの公園まで歩き、その間なにも話すことなくベンチに座りました。
「言いたいことがあるなら言ってほしい」
意を決したように顔を上げ、そう言われたときは嬉しくて…でも同時にやはり怖いという気持ちが沸き上がり、悲しくもなりました。
「俺は、お前が寂しいって言ってこないのが不満だった」
「…」
「比奈が何を考えてるのか分からなくて、わざと他の女の話をしたり、忙しいのを理由に連絡もあまりしなかった」
「そ、だったんだ…」
「怒らないのか?」
怒っていいのか分からなかったから、私は黙るしかありませんでした。
最初から、お互いの好きという気持ちは平等ではないと分かっていたからです。
私は彼が好きでした。
ずっと見つめていることしか出来ずに…そんな私が彼の隣を歩き、私の想いの半分、いえそれ以下でも返してくれるだけで奇跡のように感じられてしまっていたから…それ以上を望めば、掌から砂が零れるように全て消えてしまうのではないかと、何よりそれが恐ろしかったのです。
「なんで怒らないんだよ…」
「…日吉くん、あのね」
「他の女なんてどうでもいい。俺は…俺は比奈と対等になりたいんだよ」
「……っ」
「お前が俺を好きなように、俺もお前が好きだ。だからお前が言いたいことを我慢してると、距離を取られた気がした。…だから、悪かった」
…どうして、彼が謝るのでしょう。
悪いのは私だというのに…。
薄々感付いてはいました。
好き、という気持ちを理由に、私は自分が傷つかないための壁を作っていたのです。
逃げ場を作り、彼から目を逸らしてしまっていたです。
その結果が今、彼にこんなに辛そうな顔をさせてしまったのかと思うと、胸が張り裂けそうでした。
「ごめんね…日吉くん」
「いや…俺もちゃんと伝えられなかったからな、まぁ、気にするな」
「日吉くん…」
「なんだよ」
「好き」
「知ってる」
「大好き…っ」
「ふん、しつこい」
言葉とは裏腹に、口元は緩み目が揺れて、そして彼の手が優しく私の髪を撫でました。
人よりも遅いテンポなのかもしれないけれど、私たちは確かに、前に進んでいるのです。
彼が私にかけてくれる想いを無駄にしない努力を、それを新たに心に刻んで、私は少しだけ前向きになり彼を信じてみようと決めました。
「帰るか」
「うん」
自然と繋がれた彼の左手と私の右手。
この日初めて、私たちは手を繋いで歩いたのです。
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