Immoral Baby | ナノ
第3資料室。前回と違うのは、カーテンが引かれておらず夕焼けの光が室内に射しているところと、お互い椅子に座って向かい合っているところか。彼女はニッコリと口角を上げて俺を見ている。その笑みは俺にキスをした時と同じ笑みだった。



「名字さん」
「乾くん。なあに?」

キスをして1週間。彼女と関係を持ちたいという気持ちを自覚してからこの日が待ち遠しかった。待ちに待った部活が休みの今日、彼女との関係を変える。

「今日の放課後、時間あるかな?」
「…うん、大丈夫だよ」

ふふふ、と堪えきれなかったような笑いが名字さんから漏れる。俺は彼女の計算通りに動いているのだろう。普段は自分が相手の行動を推測する方なのに、と少しの不服と情けなさを感じた。



「…それで、用件はなあに?」
「……あぁ…」

いざ切り出すとなると緊張する。だが関係を結びたいと言う前に確認しなければならないことがある。

「名字さんは……今現在、付き合っている人間や、その…関係を持っている人物はいるのかな?」

なんだかキスフレと言葉にするのが憚られたので濁してしまった。彼女からしたら失礼なことを聞くなと思われかねないと思ったが、当の本人の口元は弧を描いたままだ。その口が開かれる。

「乾くん、色々調べた?」
「…あぁ」
「でも今のキスフレの情報は出てこなかったんだ」
「…そういうことだ」
「ふふふ」

この状況を楽しんでいるように笑う。俺は緊張で手に汗を握ってじっとりと嫌な汗をかいているというのに。

「そりゃそうだよ。今はいないもん」
「………」
「んーと、3か月くらい前かな?関係切っちゃったから、今は誰ともしてないんだよ」
「…何故切ったのか、理由を聞いても?」

アッサリと彼女の口から今は相手がいないと告げられて、懸念していた問題は解消された。だが、その後の関係を切ったの言葉が今度は引っかかる。前回の相手は彼女の方から関係解消を申し出たということか?もし今後、本当に彼女との関係が始まるのだとしたら終わりも来ることだろう。これは通常の交際とは違い、一時的なものに過ぎないだろうから。しかし俺としては一時的な互いの欲求を満たすだけの関係で終わりたくはなかった。少しでも彼女との関係を長く持たせるために、彼女の嫌がることや解消にまで至るような原因を知っておきたかった。

「付き合ってくれって言われたの」
「…!」
「乾くんにも言ったけど、付き合いたいわけじゃないから彼氏はいらないんだよね。別に相手のことを好きなわけでもないし、キスできればそれでオッケーなの。だからそれ以上を求められたら煩わしいだけなんだよね」
「………」
「だから私から切っちゃった」

悪びれた様子もなくツラツラと原因を話す彼女からは先程の笑みが消えていて…前回の相手を思い浮かべているのだろうか、目線も口角も下げて心底つまらなさそうな表情だった。
これはタチが悪い。自分とキスを…関係を持ってくれと持ちかける時点で男は浮かれ気分だっただろう。実際に関係を持ち相手を散々乗り気にさせて、相手が自分を求めてきたら切り捨てる。前回の男に同情した。いや、前回だけでなく今までの男全員この理由で関係を断ってきたのだろう。
ここで浮かんできたのは、名字さんが俺にキスを迫ってきた際に言った言葉。

「…名字さん、この前自分のことを少しでも好きになって欲しいって…言ったよね」
「あーうん、言ったね」
「それは問題ないのか?これから俺と関係を持って、俺が君に本気になってしまって…君が欲しいと言ったら」

関係は終わるのか?その先へはいけないのか?
顔を上げた彼女の表情は未だにつまらなさそうで、尚且つこの先の発言が予測できてしまった。今日までに集めたデータや、先程の彼女の発言を考慮するに俺の求める答えが返ってくる確率は、

「そうしたら終わるかな」

0%だ。彼女は予測通り、そう答えた。

「…乾くんの計算で、乾くん自身が私を好きになる確率はどれくらいなの?」
「え…」
「どれくらい?」

首を傾げてそう訊ねる彼女の表情は穏やかになっている。窓から射す夕焼けのオレンジが彼女にかかっているのも穏やかに見える要因だろうか。
確率を出さずとも、もう既に俺は…

「…それは、答え次第では関係は結べない…ということかな」
「う〜ん、まぁそうだね」
「だったら、答えられない」

このような返答をした時点で君を好きになるのは明白だと言っているようなものだ。いや、好きになるではなく、もう片足を彼女と言うの名の底なし沼か蟻地獄にでも突っ込んでいる気分だった。俺はそのまま体が沈むように、深く抜け出せないほどにまで埋もれてしまうのだろう。

「…ふふ、そっか」

とんだ魔性の女に目をつけられ、まんまと釣られてしまったものだ。自分はここまで単純な男だったか?
数か月、あるいは数年後…彼女に捨てられたくないと格好悪く縋る自分が脳裏に浮かんで、思わず頭を掻いた。
振り切るように、本題を出す。

「…君の現状は分かった。それで、この前の君の申し出だけど」
「うん」
「その、俺で良ければ…その」
「…ふふふ」
「君の相手に…して、欲しい」

彼女の目は見れなかった。カタン、と音がして顔を上げると彼女が椅子から立ち上がっていた。半歩距離を詰め俺に近寄る。

「うん、これからよろしくね。乾くん」

肩に手を置かれて彼女の顔が近付く。無意識に手が動いていた。彼女の腰に手を回して、目を閉じる。1週間ぶりの彼女の唇は、やはり柔らかかった。



2018.02