SLAM DUNK | ナノ
鍵を開け、ガラリと滑りの悪い扉を開けた。絵具や油特有の匂いが、鼻を掠める。

教室、左前。いつものようにブルータス像が置いてある。近くにあった丸椅子を寄せ、描きやすい位置に座る。
少し見上げた所にあるブルータス像。もうすっかり見慣れてしまったが、やはりこの凛々しい表情はいつみても圧倒される。
もう1つ椅子を引き寄せ、バラッと束になっていた鉛筆達、デッサン用具を置いた。

今日は午後から保護者達の集まりがあるそうで、部活は基本休み。普段ここで活動をしている美術部も休みだ。生徒の半数以上が既に学校を後にしている。
夏に引退した私は、久しぶりに美術室で描こうと思い、元顧問に利用許可をもらった。受験ももうすぐそこまで迫っている。美術系大学を受験する私にとっては、一枚でも多くデッサンを描かなくてはいけない。
ほんの数ヵ月前まで毎日通っていた美術室。石膏デッサンをするときは必然的に窓際の方へ座ることになる。その位置から、目線を外へ向ければ広い校庭が見える。夏休み中盤頃からだろうか。その校庭を男子バスケ部がランニングしているのをよく見るようになった。
県大会、翔陽高校 準決勝敗退。
このニュースは地元新聞でも大きく載っていた。余程悔しかったのだろう。彼氏がバスケ部副主将だという友達が、皆泣いてたと言っていた。
あの藤真くんも…。
顧問のいないバスケ部で、あの200人もいる部員達を、1人でまとめあげていたキャプテン。
よくよく考えれば、私と同じ高校3年生なのだ。キャプテンになってからずっと、チームの事を考えて過ごしてきたんだろう。相当なプレッシャーがかかっていたに違いない。それに今年は優勝も夢じゃないと言われていたそうだし、高校生活ラストチャンスだった筈だ。どれ程の悔しさと、悲しさ、自分の不甲斐なさを感じたことだろう。

まだ私の引退前、ランニングを眺めていたとき、不意に友達が話しかけてきた。

「バスケ部、冬の選抜残るんだって。」

「冬?引退しないの?」

「うん。今度こそ優勝するって、彼言ってたから。」

彼…花形くんか。そういえば、花形くんは相手チームの1年生に眼鏡を割られて負傷したそうだ。確か去年の全国大会では藤真くんが怪我をしたっけ。当の本人は「大丈夫」なんて笑っていたが。今でも傷、残ってるのかな。
藤真くんが負傷したと聞いたとき、危険なスポーツだと思った。球をゴールに入れるだけのことなのに、何故頭を縫うほどの怪我をするのか、理解できなかった。

「アンタは観たことないからそう思うのよ。凄いんだから!」

確かに本格的なバスケットなんて観たことがない。バスケットといって私が思い浮かべるのは、体育の授業で女子達がのんびり喋りながらボールを追いかけて、無駄に高いパスを出し、ボールを両手でゴールへ放り投げるものだ。ルールだって、ボールを持ったまま3歩歩いてはいけないとか、相手を押してはいけないとかしか知らない。
私には、無縁の世界なのだ。

ふ、と我に返る。いけない、手が止まっていた。練り消しを片手に納得のいかない所を消していく。
端から見れば、デッサンは見たままを描くだけなのだが、それが難しい。どこから光が当たっていて、どこに影が出来るのか。頭で整理をしながら、白と黒、中間色だけで描きだしていく。一ヶ所狂うと、周りが総崩れのように狂っていってしまう。1つ1つをどれだけ正確に描き出す事が出来るか。画力だけではない。観察力が大切なのだ。
…もしかしたら、バスケットもそうなのだろうか。
無意識にそんな考えが浮かび、ピタ、と手が止まった。タイミングが良いのか悪いのか、バスケ部の掛け声が聞こえてきた。バスケ部は通常通りに部活をやるみたいだ。
スタメンの人たちはランニング、その他の人達は隅に固まり腹筋など基礎トレーニングをしていた。藤真くんを筆頭に数人の選手達が後を追う。

…どうやら今日の私は集中力に欠けている。
手にしていた鉛筆達を置き、席を立って窓を開けた。少し風が吹いている。前髪がリップを塗っていた唇に付いてしまった。髪を耳に掛けながらランニング中の彼等を眺める。
今は11月下旬。もうすっかり冬に突入した。なのにノースリーブとハーフパンツ姿で動いている彼等。寒さなんて感じないのかな。


「おーい!」


下の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。目線を下げると水道場辺りでこちらに手を振っている友達の姿。隣には1年生だろうか。バスケ部らしき子が水をボトルへ汲んでいる。友達へ手を振り返すと、1年生に声をかけて校舎の中へ入ってきた。
数分後、ガラッと勢いよく扉が開いた。

「残ってたんなら言ってくれればよかったのにー」


入ってきた友達は、私の方へは直行せず、さっきまで描いていたデッサンの方へ歩いていく。


「あら、あんま進んでないね。」

「何か集中力が続かなくて。」

「ほー。珍しいですな。」


その後、彼女は、そうそう!と嬉しそうにこちらへ顔を向けた。


「来週、練習試合があるんだって!アンタ、本物のバスケ観たことないんでしょ。一緒に行こう!絶対圧倒されるから!」


本物のバスケ…。
黙りしていると彼女も窓際へやって来た。


「激しくて、熱くって、大迫力!受験勉強の息抜きにもいいって!」


さっき思ったことが頭を過る。
バスケットも、スポーツも、頭で考えて動くものなのだろうか。技術だけでは成立しないものなのか。圧倒、迫力。そんなに魅力溢れるものなのだろうか。
私のいる絵の世界と同じくらい魅力的なのだろうか。
目線を外へ戻す。相変わらず掛け声を掛けながら走る彼等。彼等、といっても、私が見ているのは藤真くんだ。
普通の友達。彼も、バスケットも、意識したことなんて特になかった。でも今の私は何か違う。思えば、例の夏休み中盤から。何故か、校庭を走る彼が其ほどまでに愛するものを、知ってみたくなった。


「行って、みよう…かな。」



directly opposite…?
(来週の土曜日の午後。私は、近いようで遠い世界にいる彼と、彼がいる世界に、心を奪われることになる。)



2010.03/13