西の海より来た男 |
※13コペイカを運営されていたラーメンライス様の許可を得て、展示いたします。 溜まった政務に目を通しながら茶をすする。面倒な物を後回しにし、先に片付けられるものをと書状を分けていると、ふと、あの毛利元就に礼状を書いていない事を思い出した。礼状などはどうでもいいが、何を添えるかが問題だ。 「Shit…すっかり忘れてたぜ…」 一体何を贈ればいいのか皆目見当もつかず、政宗は面倒くささにやはり小十郎に任せよう、と考えると、政務に取り掛かった。 しかしそのすぐ後に、慌しい足音が聞こえてきたかと思うと、部屋の前で止まった。 「政宗様!」 小十郎が僅かに動揺した様子で呼びかけ、入るように言うと、すぐに襖が開かれた。 「港に毛利軍の船が!」 「Ah?」 政宗は思いもよらぬ報告に、「確かか」と尋ねると小十郎は力強くうなずいた。 「既に入港していると報告が入りました。戦意は無いと聞きましたが、あの策士と名高き毛利…!何を企んでいるか…」 小十郎の表情は険しく、妙なマネをしようものなら即刻斬り捨ててくれると言わんばかりだった。 少しの間政宗は何かを考え、そして立ち上がった。 「…馬の用意をしろ。俺も港へ行く」 「──はっ」 そして政宗と小十郎は従者を引き連れ、急いで港へ向かった。その間も政宗は何かを考えている様子に、小十郎は怪訝そうに声をかけた。 「政宗様。毛利軍の目的は何でしょうな」 「…さァな」 「…滞在された時に何か粗相でもされたのでは?」 「Aー…」 粗相とするような事は互いにした気がするが、尾を引くほどの覚えは無い。しかし何故毛利の船がやってきたのか、そこに元就は乗っているのか分からない今、政宗は返答に困った。 そして頭の中には絶えずあの文がよぎり、政宗は僅かに顔を強張らせた。 (…いや、まさかな…) しかしいざ港についた政宗の目には、そのまさかの光景が待っていた。 毛利の家臣達は伊達の一行に気付くと、急いで元就を呼びに船の中へ駆けて行った。 「──Shit…」 「出迎えが遅いではないか」 憮然とした様子で元就が船から下りてくると、政宗は苛立たしげに不敵な笑みを浮かべ、馬から下りた。 「…まさか、本当に来るとは思わなかったぜ」 「貴様…我は文に書いたはずであるぞ」 ぎろりと睨みつけ、元就が言うと、小十郎が声を潜めて「確かですか?」と僅かに顔を強張らせながら政宗に尋ねた。 (Jokeだと思っていたが、違ったみてえだな) (な、なんと!いかがされるのです!何も準備などしておりませぬ!) 「何をごちゃごちゃと申しておる!速やかに我を城へ案内せよ!」 先ほどから様子のおかしい二人に、元就は声を荒げた。政宗は腹を決め、ため息のようなものを一つ吐くと、気だるそうに馬にまたがった。 「OK,OK,せいぜい楽しんでいけよ」 そう言って馬を駆り、先を行く政宗に、慌てて元就も馬を言いつけて駆け出した。主君二人が先立ち、毛利の家臣も慌てて後を追おうと、その場は騒然となった。 追いつかなければ処刑されるかもしれない、という危機感が銘々の表情に表れていた。 そのビクビクした家臣達の様子に、元就はよっぽど恐れられているのだと小十郎は分かった。そして政宗はそんな人物とどうやってああも宿を貸し合う仲になったのだろう、と僅かながらに改めて主君に敬意を抱いた。 しかしハッと我に帰り、後を他の家臣に任せ、慌てて二人を追った。 「貴様、相変わらず我に無礼なるぞ!」 追いついた元就が叫ぶと、政宗はニヤリと笑った。 「──言っただろ。俺は下手に出るつもりは無ェ。それにしても…」 政宗は短く笑い声を上げた。 「アンタは本当に妙な野郎だな!こんな遠路はるばるやって来るとは思わなかったぜ」 「フン。貴様に出来て、我に出来ぬ事なぞ無い。しかし途中に長曾我部と一戦交えてきた。丁重に我をもてなせ」 それを聞いて政宗は可笑しそうに笑い、元就は自分が何か可笑しな事を言ったかと眉を寄せた。しかし政宗が笑ったので、元就の機嫌は僅かに良くなった。 遠方よりはるばるやって来たという毛利の一行を迎え、城の中は騒然となった。家老達はひとまず胃薬を飲み、筆頭の突拍子も無い行動にはいつも面白そうに乗る兵達も、こればかりは大慌てで客室を掃除せねば、と槍をほうきに持ち替えた。 客間で出された茶をすすりながら、政宗は遠くから聞こえる騒がしい物音に耳を傾け、後で小十郎に小言を聞かされるのか、と小さな溜め息をついた。 政宗のその様子に、元就は眉を寄せた。 「…我を迎える準備などしておらぬ上、溜め息をつくなど言語道断ぞ」 家臣ならば即刻手討ちにするものを、と元就が言うが、政宗は全く気にも留めず庭を眺めた。 客間からの庭の眺めは見事なものだった。よく手入れが行き届き、手を加えるものは加え、自然に任せるべきところはそうしていたので、その庭は客人の目を十分楽しませた。 しかし元就はそんなものなど興味は無いとばかりに、政宗から視線を外さなかった。何より、その目を細める政宗の顔を見るのは久しぶりであった。 「今日は疲れた故、我は部屋におるが、明日は我を街へ案内申せ」 「Ah?」 政宗は思わぬ言葉に元就へ顔を向けた。元就は不敵な笑みを浮かべ、断る事は許さぬとばかりに政宗を見つめた。 「貴様が我を案内せよ」 その命令に、政宗は最初苛立ちに眉を寄せたが、客人の頼みとあらば堂々と大手を振って城から出れると考え直すと、政宗はニヤリと笑った。 「OK,迷子になるなよ」 その言葉にムッとして元就は眉を寄せたが、心臓は早く脈打った。 次の日、早速元就は用意を済ませ、客間で政宗をじりじりと待つと、気だるそうに政宗が姿を見せた。ゆったりした深い蒼の着流しに、刀を一本だけ腰に下げていた。 対する元就は鎧こそ着けていないがいつもと同じ格好で、見ればすぐに土地の者ではないとわかる姿であったが、政宗は全く気にも留めなかった。目立つ事を好むのもあったが、何より今日は堂々と城を抜け出せるのだ。 「…アンタ準備早ェな…」 「貴様が遅いのだ。どうせ煙管など吹かしておったのだろう」 全くその通りであったが政宗は聞き流し、二人は城を出た。両軍家臣達が酷く心配そうにしていたが、それは二人だけで街を行かせる事ではなく、互いの主君が斬り合いはしないかという心配であった。 政宗はゆったりした足取りで、まるでこれから一杯ひっかけにでも行くかのようだった。後に続く元就は早く街が見てみたいという、密かに馳せる思いが時々政宗を追い越してしまった。 その度に政宗は笑みを浮かべ、少し歩を早めた。 街は活気に満ちていた。様々な店が立ち並び、目を楽しませた。その土地の独特な雰囲気や、行きかう人々の着物の色合いや風貌に、元就は今までに無いほど興味をそそられた。何より、それが政宗の街だというつながりがそうさせていたのだが、元就自身はそれを表に出さず、またあまり気付いてもいなかったので、興味を抱いている自分を不思議に思った。 元就は自分では控えめにしているつもりであったが、絶えず政宗に自分の見知らぬ物を尋ねては自国の物と比べ、何か考えたりしているようだった。政宗はその様子が面白く、笑みを浮かべていた。 元就はいつの間にか政宗の前を歩き、あちこち店を見ているうちに見知らぬ食べ物が目に入った。 「む、これは──」 しかし振り返っても政宗はおらず、店の親父が代わりに答えた。 「そいつは ずんだ っていう、奥州名物でさァ」 しかし元就は親父の言葉など全く耳に入ってはおらず、苛立たしげに辺りを見回し、政宗の姿を探した。 そして同じ通りの、自分よりも少し遠いところでその姿を見つけると、元就はずんずんと歩き出した。 近くまで来ると、政宗は誰かと話していた。楽しそうに笑い声を上げ、元就は政宗が全く見知らぬ者のように見えた。そしてどういうわけか息苦しくなり、眉を寄せた。 「あ?筆頭、なんかガンくれてるヤツがいますぜ」 元就に気付いた相手が言うと、政宗も気付いた。そして元就の機嫌が酷く悪い事に気付くと、一歩踏み出した。 「あいつは遠方から来た客人だ」 「なっ…そうでしたか…これは失礼しやした」 男はそれまでの態度を改め、丁寧にお辞儀をした。政宗は男に軽く手を振り、元就の元へ歩き出した。 「あいつは元々城の兵士だったが、親父が倒れて店を継いだんだ。あいつの作る桶は丈夫で評判もいい」 僅かに嬉しそうに、笑みを浮かべながら話す政宗に、元就は声を荒げた。 「かような事なぞ、我には下らぬ!貴様は我より離れず案内しておれ」 しかしその言葉に、政宗はピクリと眉を上げた。そして立ち止まり、元就はどうしたのかと政宗に振り返った。 「……その言葉、聞き捨てならねえな…!」 ゾクリとする低いドスで言い、政宗の纏う気配は一変した。怒りに眼がギラリと輝き、青白い閃光が瞬く。 対する元就も自分から離れ、きちんと案内をしなかった政宗を憤然と睨みつけ、二人の放つ気迫に風が舞い上がり始めた。 人々はただならぬ様子に逃げ出すものもいれば、何事かと凝視する者もいた。 「あれ!?政宗?こんなとこで殺気はマズいだろ!!」 通りかかった成実が慌てて政宗をなだめにかかった。 「姿が見えねえと思ってたらこんな往来で何してんだよ!」 「下がってな…俺はコイツを一発ぶん殴らなきゃ気が済まねェんだよ…」 「我に敵うと?…フン、所詮竜なぞ獣よ…」 罵りあい、いっそう殺気立つ二人の周りにはもはや店じまいを始める者までいた。 成実は二人の放つ気迫の暴風に、必死に食い下がった。ここで二人を止めねば、政宗どころか自分も片倉小十郎に鬼のような形相で叱られるのだった。 「何があったか知らねえけど!殴り合いならよそでこっそりやれよ!!」 「…俺を──」 政宗は成実の体をがっしりと掴むと元就に投げつけた。 「止めるんじゃねェーー!!」 「うわあぁー!?」 「──フンッ!」 元就は片手で成実を払いのけると、踊りかかってきた政宗の拳を両手で受け止め、その衝撃に顔を歪めた。続けて繰り出された拳を避けきれず顔面に一発喰らうと、元就は大きくよろめいた。 その体のよろめきを罠に、体をひねらせて下から政宗の顔を蹴り上げた。顎の右斜め下に受け、くらりと目眩によろめく。 二、三歩距離を取り、二人は睨みあっていたがふと自分達のものではない怒気を感じ、視線を向けるとそこには目の座った成実がいた。薙刀を肩にかけ、土埃が舞い上がった。 その姿を見た二人はハッと我に返り、ゆらゆらと近づいてくる成実に一歩後ずさった。特に政宗は成実を怒らせると手がつけられないのをよく知っていた。 「あ、あのよ、成実…」 「──伊達に俺は…」 ギラリと眼が光り、薙刀が呻りを上げたかと思うと、凄まじい爆風が巻き起こった。 「武の成実じゃねえぞゴラアァーー!!」 「──ヤベえ!退くぞ!」 「──よかろう…!」 政宗と元就は全力で成実から逃れようと駆け出した。 「待てゴルルアァーー!!」 怒り狂った成実が二人を追い、街の端から端まで逃走劇が続いた。 何とか成実を振り切り、川辺まで来るとやっと二人は息を整えた。 「あ…あやつ…何者…」 元就の言葉に答える気力もなく、政宗は辺りを見回し、小さな茶屋を見つけると、そこの長椅子に腰掛けた。 元就も無言で隣に座り、茶を貰うと深く息を吐いた。 「………」 政宗は茶を一口飲み、懐から煙管を取り出すと、火をつけ煙を吹かせた。 二人とも黙り込んだまま、茶をすすっていた。元就は政宗をちらと見やり、何か口を開こうにも、何を話せばいいのか分からなかった。 先ほどの出来事を思い返し、政宗はまだ怒っているのかと元就は思った。 街の見物などもはやどうでもいいが、政宗が機嫌悪そうにしているのは面白くなかった。何故かは分からないが、元就は酷く居心地の悪さを感じていた。 一方政宗は、どうやって成実をなだめようと考えていた。もはや街を案内する気などなく、また元就に対して怒りは治まりきっていなかった。 適当にあしらって、さっさと帰ってもらおうと考えると、政宗は葉を落とし立ち上がった。 「…親父、ここに置くぜ」 そう言って椅子に銭を置き、歩き出した。元就はムッとして自分もその後に続いた。 歩きながら、再び沈黙に包まれた。先ほどとは一変して静かな辺りに、何も言わず、いつものように振り返りもしない背中に、何故か胸が苦しくなった。 「…おい、貴様」 「………」 政宗は無言で振り返り、その目はゾクリとするほど冷たいものだった。元就はそれまで見たこともない、温かみがまるで無いその目で見つめられ、元就は胸の鼓動が酷く早くなるのを感じた。それは政宗の笑みを見た時に感じるものではない。 元就は自分の中にそのような危機感を抱くのを、内心必死で否定した。しかし否定すると元就の口は凍りついたように動かず、政宗は何も言わない元就に眉をよせ、再び前を向いて歩き出した。 元就はとにかく政宗が今どんな状態なのか、情報を集めねばならぬと、酷くぎこちなく口を動かした。 「……怒っておるか」 政宗は何も答えなかった。しかし元就は政宗が怒っているのだと分かった。 「……何故だ」 元就はどうして政宗が怒っているのか未だに分からないでいた。 「…アンタには、下らねえ事だ」 政宗は吐き捨てるように言った。毛利元就とはこういう男だと分かっていたのに、仲間の事を「下らぬ」と言われ、政宗は怒りを抱いた自分を嘲笑った。こういうヤツには怒りを抱くだけ無駄だと分かっていたのに、何故いつものように流してしまう事が出来なかったのだろう、と不思議に思った。 政宗の言葉に元就は眉を寄せ、歯を食いしばった。苛立ったわけでも、悔しいからでもなかった。 今も、元就は政宗の仲間の事などどうでもよかった。しかし、政宗の事はそうでもなかった。そして政宗が自分の事をどうでもいい存在にするのは、酷く恐ろしく思えた。 (…我に、かような感情など…) しかし元就は、気を抜けばどんどん離れていく背中を追いながら、無性に政宗の笑みを見たくなり、その思いに元就はついに観念した。笑みが見たい。その一つ目の先に自分を映したかった。 その想いを認めると、心臓が一つ大きく震えた気がしたが、それと同時に雨雲が晴れ、その中から日輪が見えたような気がした。 戦においても、最良と思う策を成してきた元就は、政宗に対しても何故今までそうしなかったのだ、と自嘲した。 この男の笑みが見たいと思うなら、何故そのように自分は策をしなかった?何故相手を知ろうとしなかった?と自問した。 しかし元就は自問しながら、答えなどもはやどうでもよく、自分が次にすべき事を既に導き出していた。 「……先の事は………許せ…」 絞り出すように言った元就の言葉に、ヒュウと口笛を鳴らし、政宗は振り向いた。 「アンタからそんな言葉を聞くとは思わなかったぜ」 僅かに驚いたように言う政宗に、元就は顔が熱くなるのを感じた。 そして政宗の眼差しがいつも自分に向けていたものに戻ると、その安堵に酷く胸が震えるのが分かった。もはや困惑はなく、心臓の奇妙な脈打ちに苛立つ事もなかった。 政宗は横に流れる川へ視線を移した。心臓が一つ奇妙に脈打つのを感じる。「許せ」というたった一言に、苛立ちや怒りは吹き飛んでしまった。そして嬉しいとすら思った。 この男は本当に妙なヤツだと、政宗は溜め息を一つ吐いて口を開いた。 「…言われたんじゃ、俺も謝らねェワケにはいかねェな…」 政宗はニヤリと笑いながら元就の赤く腫れた頬を顎でしゃくった。 そして謝ろうと口を開いたその時、丁度ひらりとモンシロチョウが舞い降り、政宗の左眉に止まったので、思わず目を閉じた。 「Damn it!」 蝶を払おうにも下手に払って潰してしまうと気持ちが悪いので、政宗は頭を振って払おうとしたが、まだ器用に留まっているようだった。 「払ってくれねェか?」 目を開けられない政宗がそう言うと、少し後に顎をつかまれた。そして蝶が飛び立ったかと思うと、その一瞬後、唇に柔らかな感触があった。 驚いて目を見開く政宗に、元就は僅かに笑みを浮かべ、政宗を抜いて歩き出した。 笑みは絶えず、しかしそれを政宗に見られまいと先を歩いていく。しかし後に続いてくる足音が無いので、元就は僅かに振り返った。 「我は満足した。城へ戻る」 ← |