竜を名乗る男 |
※13コペイカを運営されていたラーメンライス様の許可を得て、展示いたします。 全く、その男は不思議であった。 自分が毛嫌いするあの海賊と似ていると思ったが、会話や立ち振る舞いを見るにつれて、違うと分かった。 自分と同じ名家に生まれながら粗暴、しかしハッとするほどの、戦国武将とは思えぬ文人の佇まいを見る事もあった。 奥州からはるばるやって来たその男の目的は、何とも奇妙なものだった。だからだろう、宿を貸せと言われた時、普段ならば当然断る元就も、どういうわけかその男に興味が湧き、滞在を許した。 そして、そんな理由で貸しを作れるなら安いものだった。 「貴様、眼帯は見つかったのか」 「…いや、まだだ」 政宗はつまらなそうに、呟くように答えた。煙管を吹かし、昼の日差しに目を細める独特の瞳は、どこか遠くを見て、一体どこに行ったのか、と考えているようだった。 右眼には眼帯の代わりに布が巻かれ、一見すると病人のようにも見える。 これが奥州の覇者として名を馳せる伊達政宗とは思えぬ姿に、元就は本当にこの男は伊達政宗なのだろうか、と見つめた。その名は元就も耳にしていたのだった。 「…代わりの眼帯ならばいくらでもあろう」 「…何度も言わせんな。あれはこの世に一つしか無ェ」 たった一つの眼帯の為に、城主自ら、少ない従者を連れてこの地へ来た政宗に、一体奥州は今頃どうなっているのか、と元就は思った。この男がいなくても国が成せるのならば、攻め落とすのは容易いだろう、と頭の中で算段する。 「…アンタには、分からねえだろうがな…」 「…フン」 愚かな、と吐き捨てるように鼻で笑った。政宗の言うとおり、元就には全く分からなかった。その眼帯以外付ける気などない政宗のその執着ぶりに、呆れすらした。 もう何日も滞在し、文などは届くがろくに目を通していないようだった。元就はそういった政宗の部屋を眺めやり、気にくわないとばかりに内心顔をしかめた。見つかるかも分からない小さな物の為に、骨を折る上に、書状の中は分からないが、返事もしていない政宗に苛立った。 「アンタにどう言われようとかまわねえ。俺は見つけ出して帰るだけだ」 元就の態度に政宗は全く気にも留めず灰を落とすと、立ち上がった。眼帯を探しに、今日もまたどこかへ行くのだろう。 政宗が出て行くと、元就も自室へ戻り、政務に取り掛かろうとするが、ここ最近はどうもうまくいかなかった。 何故あの男はたった一つの眼帯を探しているのか、その眼帯に一体何があるのか、もう何日も眼帯を探しているが、何故いまだに見つからないのか、その事ばかりが頭の中を回り、元就は苛立たしげに筆を置いた。 不愉快さが先に立ち、政宗を早々に奥州へ帰らせねばと元就は考えた。自分の身に何か変化が起こる事はあまり好きではなかった。 と言っても、影響を受けるほど政宗とは大した話もしていない。 話すとしてもすぐに言葉が尽き、会話など続かなかった。時々奥州の話をする時は政宗の口数も多く、元就も何か自分に有利な情報があるかもしれぬと、耳を傾けていたが、いつもくだらない話で最近は奥州の話などに期待はしていない。 しかし、ふと気がつけば元就は政宗の部屋にいた。 帰ってくればこの周辺の事など、少し楽しげに話す政宗の様子に、この辺りの事を知り尽くしている元就は思わず自分の知っている知識や、政宗のまだ知らない事を何度か話そうとした事がある。その度にハッと思いなおし、いつもくだらぬと吐き捨てていた。 元就のその態度に、政宗も「気にくわねえ野郎だ」と不機嫌になり、フイと顔を逸らしてどこかへふらりと出て行く事がしばしばあった。 たったそれぐらいなのだが、元就は自分は何故こんなにも思考の邪魔をされるのか、と憤った。 「……下らぬ…!」 思考を止めようと、元就はもう一度筆を持ち、政務に取り掛かった。 帰ってきたら早々に奥州へ帰るよう言いつけよう、あの男が怒ろうが構うものかと決めた。 日が暮れ、元就は政宗の帰りをじりじりと待っていた。馬の蹄の音が聞こえ始め、政宗がとうとう帰ってきた事を知ると、元就はすぐに政宗を自室へ来るように家臣へ命令し、政宗が来るまでの間、何も手をつけられずにじっと座って待っていた。 「──入るぜ」 政宗の声がし、返事も待たずに襖が開けられると、元就は僅かに表情を強張らせた。政宗の右眼にはいつもの布ではなく、眼帯がつけられていた。 宣言どおり、政宗は眼帯を探し出したのだった。 元就は政宗を呼び出した意味を完全に無くしてしまい、うろたえた。元就が何も言わずにじっと見つめているのに気付くと、政宗はニヤリと笑いながら座った。 「よう、どうした?俺の顔に何か付いてんのか?」 政宗の言葉に、元就はハッとして眉間にしわを寄せると、忌々しげに口を開いた。 「見つけたのか」 「ああ。アンタには世話になったな。明日には発つぜ」 上機嫌でそう言う政宗の様子に、元就はさらに苛立ちに眉を寄せた。早い出立に憤る。 「──で、俺に何か用があったんじゃねえのか?」 元就の様子が妙な事に気付いた政宗が促した。その言葉が元就には、早くこの部屋から出たいと言われているように思えた。 「──用などない!早々に立ち去るがよい!!」 怒りを露わにした元就に、政宗は僅かに困惑したような表情をしたが、「そうだな」と溜め息のように言い、元就の自室を出て行った。 その後姿を睨みつけながら、元就は頭痛に額を押さえた。何故だと頭の中で繰り返す。 何故自分は怒鳴りつけたのか、この憤りはどこから来るのか、元就は何故政宗に対してこんなにも思考を乱されるのかと、分からずついに困り果てた。それが酷く苛立った。 明日になれば政宗は奥州へ帰り、いつもと同じ、何も変わらぬ日々が訪れる、もう自分を乱すものも無いと、そう自分に言い聞かせるが、元就は腕の皮を剥がされるような、薄気味の悪さを感じた。 「……下らぬ!」 元就は吐き捨てるように言った。 一方、政宗は明日の出立に向けて準備を整えていた。ようやく眼帯を見つけ、奥州へ帰る事が出来る嬉しさに、空腹も忘れていた。従者達もほっと安心したのか、上機嫌で浮き足立ち、もはや政宗が放っておいた書状の山にも何も言わなかった。 明日、ここを発つと聞いた毛利の家臣達は、賑やかで、少しガラは悪いが気持ちのいい伊達の連中と別れを惜しむように、引っ切り無しに部屋を訪れては、土産にと銘々の物を渡していた。 元就の姿は無かったが、夕食は過ぎるほどに豪華だった。別れを惜しむ家臣達の口ぞえが足されているのが、ハッキリと分かった。伊達の家臣達は口々に、最初の印象が嘘のようだと、嬉しくも僅かに寂しそうに言った。 政宗はそうした家臣達の様子を満足そうに眺めながら、元就を思い出した。何故あのように怒ったのか全く分からなかったが、策士と名高い元就に、どうやって借りを返そうかと、今から頭が痛くなった。 (…面倒にならなきゃいいが…) こういう事は小十郎に任せようか、と思ったが、それだと筋が通らないかと考えがぐるぐると回る。 何か奥州の物でも適当に送ればいいのか、と食後の酒をぐいと飲んだ。一人庭を眺め、この景色を見るのもこれで最後か、と遠い地の景色を一つ一つ思い出した。 「政宗様、毛利元就様がお出でです」 「──?おう」 返事の少し後に元就が入ってくると、元就は依然不機嫌そうに政宗の前に腰を下ろした。部屋の中はすっかり荷物がまとめられ、綺麗になっていた。 「何か用かい?」 「…貴様は我に恩があろう。かような事など──」 「OK,OK,酒はもう少なくなっちまったが──」 「要らぬ」 「……本当に食えねえ野郎だな」 そうは言っても、政宗はさほど気にも留めていなかった。元就がどういう人間かは分かっていた。元就の方も、政宗の無礼な言葉にも怒る事はもう無かった。 二人とも会話も無く、政宗は飽きて立ち上がると、縁側に腰掛けて残りの酒をあおり始めた。 元就はいささかムッとした様子で自分も縁側に腰掛けた。 「…アンタ…前から思っていたが変なヤツだな」 率直に言い放つ政宗に、元就は眉を寄せた。 「貴様こそ妙な男だ。我には下らぬ事ばかりする」 政宗は笑い、煙管を取り出すと、火をつけた。それをちらと見て元就は顔をしかめた。 「それが最たるものぞ」 注意する元就に、本当にコイツは一体何しに来たんだ、と煙を吹かせた。 「……何故貴様はその眼帯に執着するのだ」 しばらくして、元就が酷くぎこちなく切り出した。 「…アンタには、下らねえ事だ」 言ったところで、徒労に終わる事など、言うだけ無駄だ、と政宗はそれ以上言う気はなかった。 その様子に、元就はムッとしてすぐに口を開いた。 「…貴様、我に無礼すぎるぞ」 「アンタに借りはあるが、下手に出るつもりはねえぜ」 全く歩み寄ろうとはしない政宗に、元就は憮然と睨みつけた。何故この男は自分に対して敬意を示さないのか、何故他の者達のように、思う通りの言葉を言わないのかと苛立った。 眼帯の理由など、元就には確かに興味などなかったが、政宗が自分に一歩も譲らず、しかし自分を否定もしない事に、知らず元就は引き付けられていた。 政宗は灰を落とし、酒を注ごうとしたがもう無くなったのを見ると、元就へ視線を向けた。 「…酒が切れた。おしゃべりの時間は終わりだ」 帰るよう促す政宗に、元就はハッとして眉を寄せた。もう政宗とこうして縁側へ腰を下ろす事も無いのだと気付くと、元就はどういうわけか、危機感に政宗へ顔を向ける事が出来なかった。 「Hey,アンタが出て行ってくれねえと、俺も寝れねえんだが」 なかなか腰を上げない元就に、政宗は面倒くさそうに言った。 「…寝ずともよかろう…」 「Ah?」 元就は既に頭の中が混乱し、心臓が奇妙に、まるで冬の寒い日のように震えているのを感じた。言いたい事が次々と頭の中を駆け巡った。 「…貴様が明日、ここを発つと言うなら、寝ずに我とここに居れ…付き合ってもよい」 政宗が困惑して口を開いたが、元就はすぐに続けた。 「貴様がしばしここに留まると言うなら、我は部屋へ戻る」 元就の言葉に、政宗は驚いて少しの間何も言えなかったが、可笑しそうに笑い出した。その政宗の笑顔に、何故もっと自分にその顔を向けぬのだ、と元就は思った。 「随分と気に入られたみてえだな!悪いが、荷物はまとめちまった」 朝までアンタとこうしていよう、と政宗は笑いながら言った。元就は 気に入られた という言葉に些かムッとしたが、酷く安堵したのを感じた。 陽が登り、元就はハッと気がつくと、もう政宗の姿も、荷物も無かった。 慌てて起き上がり、家臣を呼びつけると、家臣は僅かに怯えるいつもの表情で政宗はもう既に奥州へ発ち、元就が良く寝ているようだから起こすなと言われたと言った。 元就は憤りに硬く拳を握り締めた。声を荒げ、追い払うように家臣を下がらせると、がらんとした部屋を再び眺めた。 夜が明けるまで、ここには竜を名乗った男がいたとは思えないほど、しんと静まり返っていた。なんでもない部屋だったが、その男がいるだけで、自然と足を向けていた。 「…おのれ…!我に礼の一言も言わず去るなど…!!」 いつの間にか寝てしまった自分の事は棚に上げ、元就は一本取られたような悔しさに歯軋りした。 もしかしたら、その眼帯を先に見つけていれば、政宗はもっとここに留まっていたかもしれない。何故早くそうしなかったのかと憤った。 「…フン…貴様は我に恩があるのを忘れてはおるまいな…」 しばらく呆然と部屋を眺めていた元就は不意に、飛び出すように部屋を出、自室へ戻ってくるとすぐに机に向かい、筆を走らせた。 そして政宗が奥州へ戻るのを待ち、策士の不敵な笑みで元就は奥州・独眼竜へこの文を渡すように家臣へ言いつけた。 数日後、政宗の元に届けられた元就の文に、政宗は驚いて声をあげた。その声を聞きつけた片倉小十郎が駆けつけると、そこには面白そうに文を見ては笑う政宗の奇妙な姿があった。 「政宗様、いかがされました!?」 心配になり、小十郎は政宗に駆け寄ると、政宗はいいところに来た、と小十郎に文を見せながら、可笑しそうに笑った。文にはたった一言だけ書かれていた。 「宿を貸せ、だとよ!アイツがJokeを言うとは思わなかったぜ!」 数日後には、奥州の港に毛利の船が来る事になるなど、思いもしなかったのだった。 ← |