ポットマリーゴールド


穏やかな街の通りの片隅にその店はある。
店主である政宗は本日入荷したばかりのものを試飲していた。
路地を進んだ先にあるこの紅茶屋は大きな時計塔の陰に今は浸されている。
肌に心地よい本日の気温は、寒がりな政宗の瞼をとろとろと下ろそうと誘っていた。
ふぁ、と欠伸を噛み殺した政宗は一口美しい酸味のあるルビー色を嚥下した。
さぁ、と心地よい風が政宗の肩にかかる髪にちょっかいを出して去っていく。

「It is sleepy.」

座り心地の良いアンティークの椅子に深く腰かけなおした。
煉瓦造りの路地にその風景は実に美しく映えていた。



かすがは煉瓦造りの路地を散歩するのが好きだった。
温もりを感じさせるその色とざらざらとした手触りがわりと気に入っている。
そして最近見つけた美しい風景に足を踏み入れた。
そこは温かみを感じる紅茶屋。そしてアンティークの椅子とテーブルが優雅に置かれている。
しかし今日は、そこに一人の人間が腰を落ち着かせているのにかすがは眼を見開く。
いつもは眺めるだけで酔ってみる事はないのだが、無性にその人間が気になって少しだけ近付いてみる。
どうやら眠っているらしい。
無防備な寝顔にかすがの頬にほんの僅か朱がはしった。
はっとして頬を押さえるが、どきどきという心臓の音がはっきり聞こえて来て顔が熱くなる。
ひとりで百面相をしていたかすがは不意に下からくつくつという音が聞こえてはっとした。

「くっ…アンタ、なに百面相してんだ?」
「なっ」

男の笑った顔は意外に幼く見えた。
顔の右側を長い前髪が覆い、眼帯もしているらしかった。
男は笑みを引っ込めると、深く凭れさせていた椅子から立ち上がり店の奥へと入って行く。

「おいアンタ、暇ならそこに座ってな」
「………」

初対面の人間にそんなことを言われたかすがは戸惑う。しかし奥からコポコポという何かを注ぐ音が聞こえて来て、ゆっくりと椅子へ腰を下ろした。
僅かばかりして戻って来た男の手にはあたたかみのある乳白色の輝きを放つティーカップ。
差し出されたそれを咄嗟に受け取ってしまったかすがはそのティーカップの手触りに驚いた。

「良い手触りだろ?ボーンチャイナ製の特別品だ」

優雅な仕草で椅子に座った男を見てボーンチャイナと言うらしいカップを見る。

「…何故わたしに?」
「暇潰しさ。別に毒なんて入ってないから安心して飲めよ。Lady」
「レ…!?フ、フン!」

微かに笑む男に赤面したかすがはそれを隠す様にそっぽを向いた。
次いで自棄のように一口流し込む。
日本茶のようにさわやかな味が口内に広がった。

「美味いか?」
「…不味くはない」
「当然だろ。オレが淹れたハーブティーだ。不味いわけがねえ」

自信家な男だと思った。
でも一口飲んだティーの味は確かに悪くない。
美味しいと素直に思えた。

「……これは…なんという紅茶なんだ?」
「ポットマリーゴールドだ。アンタ、綺麗な金髪してるからな」

金髪女性は美しい金髪を保つためにこの花を用いていたんだぜ。
そう言ってこくりと男の喉が嚥下した。

「…ちゃらちゃらしてる、とか思わないのか?」

いつだってそうだった。
周りの大人たちは生まれた時から黄色いこの髪をけがらわしいものように言う。

「Ah?何で。綺麗じゃねえか。アンタに良く似合う」
「……っ!」

優しい笑みに胸が高鳴った。

「ポットマリーゴールドってのはな、抗炎症作用・整肌作用に優れたハーブで、吹き出物を抑え、腫れを引かせ、痛みを取る効果に優れてる。ローションにすれば素肌をしっとりと滑らかにし、髪には美しいつやを与えるリンス剤になる。17世紀には解熱や心臓病にも使われていて、頭痛・歯痛・悪寒の治療薬にもなっていたんだ」

そう語る男の表情は柔らかく、またひとつ胸が高鳴った気がした。

「っと、つい誘っちまったがアンタ都合とか大丈夫なのか?」
「あ、ああ…。今日はなんの講義もない。…平気だ」
「講義……大学生か」

半ば呟くような声に僅かにかすがは頷いて見せた。
それから、ぽつりぽつりと話しをしながら二人はすっかり仲良くなった。
気が付けば辺りはぼんやりと朱に染まり、巨大な時計塔から午後5時を告げる鐘が鳴る。
時の速さにかすがは慌てて立ち上がる。
随分長く外に居たことに気が付いたのだ。

「わ、私はもう帰る!馳走になった!」
「Wait!待てよ」

かすがは急に手を掴まれたことに頬に朱を走らせるが、夕日のせいで気付かれることはなかった。
慌てて振り払おうとしたかすがだが、その手に何かを握らされて手元を見る。
それは可愛らしくラッピングされたクッキーだった。

「土産だ。持っていきな」
「いいのか?」
「やるっつってんだ、大人しく貰っとけ。………暇だったら、また来な」

浮かべられた微笑みに、かすがは胸が高鳴るのを抑えられなかった。
逃げるようにして飛び出してしまったことにかすがが気付くのは、屋敷の門をくぐってから。
丁度屋敷の主である謙信が息を切らせているかすがとはち合わせた。

「おや、どうしたのですか?」
「け、謙信様。ただいま戻りました」
「はい、おかえりなさい。そとでなにかあったのですか?」

そのようにいきをきらせて…。
心配そうに自分を見つめる謙信にかすがはぽーっと見とれながら、カサリと掌に握られたものを思い出す。
慌てて握り締めていた手を開くと、かろうじてクッキーは原形をとどめていた。
そのクッキーを見て、あの風景に溶け込んでいた男を思い出したかすがは、その一枚を謙信へと差し出した。
不思議そうに見つめていた謙信は、それでもそっとクッキーを摘みあげて口へ運ぶ。
すると口内に優しい風味が広がった。

「とてもおいしいですね。いったいどうしたのですか?」
「きょ、今日、紅茶屋を見つけたのです。そこには一人の男がいて……その男が淹れたハーブティー…ポットマリーゴールドというらしいのですが、美味であり…謙信さまも気に入ると思うのです。こ、今度一緒に、行きませんか…?」

かああ、と頬を鮮やかに彩らせたかすがを見て、謙信は優しく笑んだ。

「ああ、いいですね。ともにゆきましょう。そのもののなはなんというのですか?」
「え、な…名前…?」

謙信にそう言われて初めて思い至ったようにかすがは顔を強張らせる。
あれだけ長い時間話していたと言うのに、あの男の名も聞いていなかったのだ。
ひとり苦悩しているかすがを見て、謙信はクッキーの味を思い出す。

「………はるですね、わたくしのうつくしきつるぎ…」

そなたをなやませるとのがたがどのようなひとなのか、わたくしもきょうみがわいてきました。

「かすが、たしかあすはごごにひまができていましたね」
「はい、明日の講義は午前中だけです」
「では、あすの3じにゆきましょう。こんどはしかと、なをきいておくのですよ?」
「は、はいっ!謙信様!」

優しい味のクッキーの男に、謙信はどんな人間なのかと想像するのだった。


END





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