凍傷



「梵!やったな!!」
「おう、成実。もうそんな呼び方はやめろ」

悪戯が成功したような笑みを浮かべる政宗に、成実は心底嬉しそうな破顔を返した。

「そうだね、政宗。天下人、伊達政宗様」

後ろで兵士たちが大きな雄叫びをあげている。
それを誇らしそうに見つめる政宗に、成実はまた腕を振り上げた。
小十郎と綱元と共に、成実は目いっぱい空へ勝鬨を上げるのだ。
声は止まない。
伊達軍が何よりも望んだ天下人の誕生は、日ノ本全土に知れ渡ることとなった。

それから梵は予てから言っていた皆が笑って暮らせる世界のために、様々な政策を考案した。
戦をした嘗ての敵達にそのまま領土を納めさせ、もう二度と争いが起きぬように法律を作った。
それはとても有効だったようで、争う声は次第に消えていく。
平和な世。
誰もが笑って暮らせる世。
その世界は、唐突に、終わった。



俺の世界が終わったのは、雨の日だった。
ひと月前から梵の体調が悪くなって、殆ど床の中で過ごすことが多くなったある日。
梵に呼ばれて部屋に行ったら、ふわりと笑いかけられた。
なぜだろうか、その時俺は瞬間的に悟ってしまった。
どくりと心の臓が大きく脈打ち、俺の身体は凍りついたように動かなくなった。

「成実?」

低く少し掠れた声にぴくりと俺の身体は反応して、漸く身体の戒めから逃れられた。
慌てて枕元に座った俺を、梵は苦く笑って俺を見た。

「成実、頼みがある」

その頼みごとを聞いて、俺の世界は壊れてしまった。
小さなその頼みごと。
それはとても冷たかった。
俺はただ、こくりと人形の様に頷くしかできなかったんだ。


奥州の王、独眼竜伊達政宗が死んだ。
その知らせが日ノ本全土に届いてから、丁度3年目になる。
あの時は大変だった、と「ははっ」と零れた声に俺自身が驚いた。
この世界から独眼竜が消えたあの日、俺はただ傍に座っていたことを覚えている。
一番最初に訪ねて来たのは、梵とライバル関係だった武田の若虎とその忍。
随分焦ったような様子で真田はドタドタと音を立てながらの登場だった。

「政宗殿!!」
「旦那、もうちょっと静かにして。お邪魔しますよ」

肩越しに振り返った俺に忍はそう言った。
それになにも返さないで俺は視線を梵へと戻す。

「成実殿、先程報告があったのですが何かの間違いでございましょう!?」
「………梵が死んだ、ってこと?」

見れば分かるじゃん、とそっけなく言ってやれば隣に膝をついた若虎が梵の顔を覗き込んでいた。

「……間違いであってほしいのは、こっちの、方だよ」

最早冷たい梵の頬に手を滑らせて、温もりを求めた。
けれど滑らかな頬は氷のように冷え切っていて。
滲む視界に、強く歯を食いしばった。

「……片倉の旦那は?」

後ろで忍びの声がする。
その名前に俺は酷く怒りを、嫉妬を覚えた。

「片倉サン?梵が死んだんだ、生きてないよ」
「なっ!?」
「そこの庭で…腹切ってた」

あくまでも視線は梵から外さず左手で部屋の正面にある庭を指差した。
その瞬間、どくりと重いものを飲み込んだように俺の中の何かが底に沈む。

「…なんで、なんでなんでなんでなんで、なんで、…片倉サンばかり!!!どうして俺は連れてってくれない!俺はこれからどうすればいい!どうして俺には一緒に逝く権利をくれなかった!どうして俺に、頼み事なんかしたんだよ!!」

梵!!

畳を激しく拳で打ち付けた。
衝撃で床がへこんだが、そんなことどうでもよかった。
右目への嫉妬が溢れ出る。
何故だ、何故自分が許されていないあの世まで一緒に逝ける?
悔しくて妬ましくて仕方がなかった。

若虎と忍が帰ったのも気付かずに、俺は凹んだ畳を睨みつけていた。
心にあるのは何故かという問いと、嫉妬。
でももうそれをぶつけられる人間はいない。

ちくちょう!
心の中で何度も呟いたあの日、俺の心は音を立ててひび割れたのだ。


伸ばした指の先に冷たい石が触れる。
滑らかな手触りはあの日触れた、梵の肌と似ている気がした。

感情は時が経つごとに飽和され、この墓を普通に見つめられるまでとなった現在。
美しく雄々しく戦場を駆け抜けた蒼い稲妻を苦痛なく思い出せるようになった。


それでも、

君が欠けて心に走った傷は凍りついたまま。
癒えることもなく、凍り続けている。




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