誤算だった。と言うよりも、忘れた振りをしていた。長く微温湯に浸かった躯は、逆上せた事からもふやけた事からも目を背けていたらしい。
 絶対的に俺と彼が違うところ、それは喩えるなら駄馬とサラブレッド、とでも言うべきなのだろうか。知盛という男は、何よりも戦う事が好きなのだ。そうなる運命だった。彼に流れる武士の血は、呪縛となって主を戒める。
 戦い以外に存在価値を見出さない彼を快楽殺人者だとかそう一言で括ってしまえば簡単だが、きっと、誰よりも生に執着する男なのだろうと思う。(盲目だと言われても構わない)生きたくて生きたくて仕方がないのだ。だから、他人の血や死体を見て安堵する。自分は未だ、生きている、と。生きているか死んでいるかも分からない連中に囲まれて荒んでいくのは、道理に適っているのではないか。それこそ長い間、微温湯に浸かってそのまま溶けて同化してしまいそうなくらい、自分が生きている、という実感がなかったのではないか。
 そこに、還内府とかいう訳も分からないイレギュラーな存在が入ってきて、掻き乱された。何処か涸れていて、全てを諦観する双眸はそのままだったが、彼は俺に興味らしきものを覚えたようだった。何も知らない、何にも染まっていない存在を好奇の目で見るのは決して珍しい事ではなかった。
 時が流れるに連れて、自分が変わっていくのが分かった。着々と、武士の躯と頭になっていた。そして、知盛も変わっていくのが分かった。無意識的に、とは断言出来ないが、俺と戯れる事が多くなった。それも軽口で神経を逆撫でする事ばかり覚えやがって、お前はこんな面白い事を言っていたな、なんて揶揄されていたが、嗚呼、この男の頭は死んでいなかった、と単純に思った。端から見れば、ただ死を待つ人形にしか見えなかった男と、こうして言葉を交わしてコミュニケーションを図るなんて思ってもみなかったからだ。
 予想だにしなかった、と言えば嘘になる。何時からだったか俺は彼と躯を重ねる事があるのではないか、と夢見ていた。そして、その時がかくも簡単に訪れたのだ。三大欲求とは程遠い世界にいた男が、気紛れだろうが酒の勢いだろうが欲望に任せて他人を押し倒す、というのは中々見物だった。動揺を見せなかった俺に、知盛はお前も変わり者だな、と笑った。まるで、自嘲するように。分かっているじゃないか、と言ってやりたかったが、何しろご無沙汰だったもので、俺も歯止めが利きそうになかった。若気の至り、此処に極める。

 痛みで気が触れてしまったのだろうか。否、今に始まった事ではない。容赦なく噛まれた肩がずきずきと痛んだ。昔の人間はやはり歯が丈夫だったのか、なんて馬鹿げたジョークが頭を過ぎる。嗚呼、大丈夫、未だイかれちゃいない。痕を付けたい、とか、所有物にしたい、とか生温い欲望ではない、本能そのものだと思った。
 知盛は、渇望している。生に。戦も終わり、のうのうとしている現代で、何が起爆剤となったのかは定かではない。だが、これだけは言える。血は争えない。地を這うような彼の声音が、耳に入ってくる。それは、全対象を俺に向けた、嘲笑だった。

「抵抗、しないのか」
「生憎、痛みでそれどころじゃねえ」

 抉れた傷からは血が溢れ出す。嗚呼、忘れていた、この痛みだ。




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