おやこい! 生徒会室には親子がいる。 この噂は一般生徒の間でひそやかに広がりつづけ、今では常識のようなものになっている。初めは親子ってどういうことだだとか、生徒会室にしか現れないのかだとか、疑問の声も上がっていた。生徒会室のある特別棟は役職持ちしか入ることは許されておらず、真偽を確認することは一般生徒では難しい。役職持ちはすべからく口をつぐんでいて質問に答えてくれない。 だが一度、あるクラスの委員長が呼び出しに応じて生徒会室を訪れ、確認したことがあった。クラスメイトに問いただされ、彼は驚愕の表情を浮かべたまま開口一番に言ったのだった。 生徒会室には親子がいる、と。 この学園の生徒会役員は仕事が多いことで有名だ。将来的に親の会社を継ぐような家柄の生徒が数多く通っており、その頂点に君臨する生徒会もまた、いつか社長となり人の上に立つことになる。指示をする側になる前に自分が働くということを知らなくてはというのは、初代理事長の言葉である。 そのための練習にと、学内の自治や行事の企画運営、ほぼすべてが生徒会役員によって行われてきた。各委員会ももちろん手助けはしているが、やはり生徒会は別格である。 選出は人気投票で決まる。人望のみで選ばれ、生徒の期待を裏切ることなく学園を運営していくと言うのは、高校生にとってはつらいものかもしれない。しかし学園ができたときから長く続いた伝統を自分たちの代で壊すわけにもいかないと、役員たちは手腕をふるう。 今期の生徒会もそうだ。選ばれたときは多少嫌そうな顔をしたものの、一か月もすればほどよい緊張感と充足感にどこか楽しそうにすらしていた。成績も問題なく、腕のある役員が集まっているなと教師もほっと胸を撫で下ろした。人気は上々。なんら問題ない。 そこに冒頭の、親子問題である。 「こらユキ! またサボって!」 生徒の間での噂などどこ吹く風で、生徒会室では今日も役員が集まって仕事をしていた。授業免除制度があるにはあるが、彼らは優秀なのでイベントごとの前くらいにしか使用したことはない。今も放課後の時間帯である。 窓の外からは運動部員の掛け声が聞こえ、室内ではタイピングや書類をめくる音がするのみ。だったはずだが、真剣な空気にそぐわない怒声が響いたのは、作業が始まってすぐのことだった。 「何度言ったらわかるんだ、仕事しなさいって言ってるでしょう!」 「うるさいな、俺も何度言ったと思ってる。後からやるって」 「そう言って本当にやったことがあった? ないよね? 今更誤魔化されると思ってるのかい!」 「トーン下げろよ、うるせえって」 「なにその言い方っ」 明らかに怒っていますといった大声と、明らかに面倒くさいですといった低い声。喧嘩というよりは一方的な叱責に、他の生徒会役員は顔を見合わせて苦笑した。 足を汲んで気怠そうにお茶を啜るのは、一番大きな机に腰掛けた男だ。机には生徒会長という文字が彫ってある。名前を藍原幸嗣といい、言わずもがなこの学園の生徒会長である。夜を固めたような艶やかな黒髪は軽く撫でつけてあり、同じく黒曜石のような瞳を眠たげに細めている。鼻梁は理想的に整っており、輪郭もすっとしているわりに男らしく硬質である。それは肉体もそうで、細身ではあるが身長は高く、大きな肩幅に鍛えられているのだろうと分かる。 ただ頬杖をついているだけでも十二分に絵になる幸嗣に、しかし生徒会役員は今更見惚れたりはしない。彼と共に仕事をするようになってもう半年近いのだ。いちいち視線を奪われていては何も立ち行かなくなる。 「だいたい仕事ならしてるだろうが。役員の動向を見守んのも、会長の立派な役目だぜ。なあ?」 「えー会長見守ってなんてないっしょー? 昨日だってサボってたじゃんか。屋上からどうやって見守ってんの。エスパーかなんか?」 「……会長サボり、だめ」 「ほら、君が仕事してないことはみんな知ってるんだよ! 観念しなさい!」 馬耳東風と言った幸嗣の発言に、方々からブーイングが起こる。会計は唇を尖らせ、書記は眉を垂れ下げ、副会長は肩を怒らせている。 先程から声を荒げているのはこの副会長だ。名前は深水静季。王子様のようだと生徒から騒がれている通り、さらりと癖のない茶色の髪とそれよりいくらか色素の強い瞳を持った優男である。いつも柔和な笑みを崩さず人当たりも大変よい人気者だ。背は幸嗣に届かないにしてもかなり高めで、武術等にも見識が広い。その優しいだけではない風貌が人気がある理由の一つでもある。 ただこの静季、とても真面目で口うるさい男だというのが幸嗣含めた役員の総意であった。口うるさいと言ってもきちんと理屈の通ったことしか口にしないし、普段はある程度までなら何をしていても文句は言わない。むしろ変なノリのよさを兼ね備えてすらいる。 ただ、幸嗣のサボり癖には辟易していた。生真面目で面倒見がよくて兄気質な静季が、学園のトップに立つ人材の怠惰に甘い顔をするはずもない。何かと手を抜こうとする幸嗣に静紀が怒鳴り声をあげるというのはもはや生徒会室の恒例行事なのであった。 「別にいいだろう、立て込んでるわけでもねえし。忙しくなったらやるって」 「そういう話じゃない。生徒会長としての姿勢に問題があるるんであって、」 「ああもうはいはい」 鬱陶しいという気持ちを前面に表した幸嗣の態度。静季はその名の通り静かに、静かに、笑みを浮かべた。 「いい加減我慢の限界だ」 ぼそりと呟かれた押し殺したような声に、幸嗣がぎょっと肩を揺らす。傍若無人であった先ほどまでの態度が身をひそめ、悪戯がばれた子犬のように身を縮める。 「ユキは夕飯抜き」 「え」 「僕は作らないから、食堂にでもコンビニにでも行きなさいね」 「ちょ、それとこれとは話が別だろ! 今夜はハンバーグだって言ってたじゃねえか!」 「そうだよ。ハンバーグだけど、ユキの分はなし。僕一人で食べます」 「ひ、人でなしがっ!」 「人でなしで結構。君が仕事するまでごはん作らないから」 うぐ、と幸嗣が口をつぐむ。悔しそうに床を見つめてはいるが、どうしたら夕飯にありつけるかを考えているのが丸わかりである。つんとわざとらしく顔を背け席に着く静季。と、ようやく静けさが返ってきたと息をつく会計と書記。 幸嗣がサボり、静季が叱り、罰が下される。いつも通りの光景だ。 偏食家である幸嗣の食事は、実家が世界でも有名なレストランを経営しており、それに影響され趣味が料理になってしまった静季が担当している。苦手な野菜等でもおいしく調理してしまう静季の腕を、幸嗣は気に入っていた。なのでごはんを作らないという発言は、彼にとって死活問題なのである。 束の間、真面目な空気の戻る生徒会室。ただし幸嗣は先ほどからうーうーと唸っている。さっさと謝っちゃえばいいのにとは、彼以外の役員の総意である。 「……る」 ぼそりと、仕事をする音しかしていなかった室内に、小さな声が落とされた。静季は気付かないふりをしているが、タイピングをしていた指がピクリと反応したのを、会計と書記の二人はしかと見た。 「仕事、する」 ふてくされたような声で宣言する。渋々といった様子がありありと見て取れ、だからなのか静季は会長席に目すら向けない。一秒二秒と無音の時間が過ぎるごとに、幸嗣の表情に焦りが見え始める。 がたんと鈍い音を立て椅子が倒れ、幸嗣が立ち上がる。生徒会役員の中で書記の次に高い身長はそれだけで圧巻で、広い室内であっても強い存在感がある。 静季もようやく、視線を会長席へ向けた。 「仕事するっつってんだろ! だからハンバーグ作れ!」 なんて間抜けな発言だ。こんなのが会長だと知ったら生徒たちはどう思うのだろうと、すでに生徒間で愉快な噂が立っていることを知らない書記が溜め息を吐いた。噂を知っている会計は苦笑いである。 幸嗣は少し涙目になっている。そんなにハンバーグが好きなのかと、呆れた声をかけるものはここにはいない。生徒会長さまが子ども舌であることは役員間では公然の秘密なのである。 「……はあ、初めからそれだけ素直ならいいのに」 仕方ないなあとでもいうような声音。目を見開く幸嗣に、静季が笑いかける。わざわざ会長席まで出向き、手を伸ばして手入れの行き届いた髪を撫でてやる。不本意そうな表情を作ってはいるが、幸嗣もどこか嬉しそうにしている。ちなみに、髪の手入れも静季の管轄であったりする。 「今日の分、全部終わらせるね?」 「は、俺の手にかかりゃそんなもん一瞬で終わるっての」 「はいはい。夕飯はハンバーグとじゃがいものポタージュにしようか。そうだ、チーズも乗せよう」 「ニンジンも食いたい、甘いやつ。あとブロッコリーにはタルタルソース」 「わかってるよ。野菜も食べるようになって、専属コックとしては嬉しい限りだ」 「お前の作る料理はうまいからな」 うりうりと頭を撫で続ける副会長と、撫でられる会長。会話は言葉だけ見れば我が儘な息子となんだかんだ言って親ばかな母親のようだ。 生徒会室の親子の噂。言いえて妙だなあと会計は笑う。ただし、実際は親子なんてもんではないわけだが。 「静季の飯はうまい。……だから、もう作らないなんて言うなよ」 「っ、あーもう、君がちゃんと仕事するならいくらでも作るよ! 僕だってユキがおいしそうに食べるのを見るの好きなんだからっ。もうサボらないって言うんなら、一生ユキにごはん作るって約束するよ」 「……善処する」 指を絡め頬をすり合わせはじめた二人から目を逸らし、会計と書記が同時に咳をした。 「いちゃつくなら余所でやってよねぇ」 「……同感」 生徒会の親子は仕事中でなければ熱々の恋人同士であるのだということは、役職持ちと生徒会役員親衛隊のみが知っている秘密である。 サボり癖のある会長のおかげで、絶賛独り身の会計と書記は仕事中だけでも甘い雰囲気にのまれないで助かっている。しかし恋人に構われたいがためのかわいいフリであるというのも何となく察していた。ただ、自分たちの平穏のため、気付かない顔をしているだけで。 「ユキ、ちょっと屈んで。あーあ、僕ももうちょっと背が高ければなあ」 「静季はそれくらいがちょうどいいだろ。俺より大きい静季とか、きもちわる……ん」 「口が悪いなあ。ちょっと黙っててね」 「はっ、誰が黙るか」 溢れんばかりに生まれた甘い空気を無視し、黙々と仕事をする役員たち。 優秀な生徒会は、こうして今日もつくられるのであった。 END. |