執着Auge3


こんなに深夜でも、空き部屋さえあればチェックインできることを名前は初めて知った。
御三家ホテルの豪華なロビーを見て回る気分ではなく、フロントでチェックインをしている、ただそれだけでホテルのホームページの写真にでも使われそうなアーデルハイドの姿を、手持ち無沙汰になりながらぼんやり眺めた。
 
 
部屋に入ると、アーデルハイドは「まずこれを」と言って名前に缶ボトルを差し出した。脅してホテルに連れ込んだくせに、名前が一番気にしているものを渡してくれる。そんな所は気持ちを汲んでくれるんだなと思いながら、名前は全ての元凶を、だだっ広いトイレルームにぽつんと設置されている便器に流した。
優しいのか優しくないのか、良い人なのか悪い人なのか、名前にはアーデルハイドがよく分からなくなってくる。エレベーターに先に入れと促してくれたこと、揺れた時に支えてくれたこと、座る時にハンカチを敷いてくれたことは間違いなく良い人の行動だ。ちょっとやりすぎだが、結果採尿してくれたことと録画を消してくれたこともおまけしてやろう。
だが、秘所を愛撫したことと防犯カメラの映像をUSBに移したこととホテルに連れ込んだことは別だ。

トイレから出ると、天井まである大きな窓のパノラミックな夜景を後ろに、ベッドの脇でジャケットを脱いでいるアーデルハイドが目に入る。
本来ならば、絶対に手が届かなくて泊まれることのない、名前の為だけに取られたインペリアルスイートにはしゃいだりするのだろうが、今からアーデルハイドに抱かれるのだと思うと、モダンな西洋風の調度品も、ゆったりと贅沢に広がったリビングも感動を与えない。
こういう時、恋人とホテルに来たならばする事は一つだろうが、好きでもない人と来た場合どうすればいいのだろう。アーデルハイドはこういう状況には慣れっこなのだろうか。
所在なさげに突っ立っていると、「名前さん」アーデルハイドが手招きする。諦めの境地で近付く。

「あなたは逃げないと分かっているのに、気持ちが逸って仕方ありません」

近付き切らない内に横合いから腕を引かれ、抵抗しない名前の背中から覆い被さるようにして抱き込み、肩口に顔を埋めて首筋に熱い唇を這わされる。回された、長く逞しい腕の力が少し強くなる。

「私の腕の中に名前さんがいるなんて…緊張します」
「…私なんかより、もっと綺麗な人の方がいいんじゃないですか?こんなまわりくどい事しなくても、あなたに抱かれたい人はいっぱいいると思いますけど」
「名前さんでなければ意味はありません」
「なんで私なんですか…。私じゃなくてもいいじゃないですか。こういうことは、好きな人とするべきです」
「ならば問題ありません。好きな人ですから」

実際、アーデルハイドに憧れている女性社員は多い。社内の色恋沙汰に疎い名前の耳にも、アーデルハイドの噂はよく入ってくる。
男性社員に人気のある美人受付嬢がアーデルハイドに告白して振られたとか、取引先の仕事ができる美女に誘われていたとか、将来企業提携する会社の娘が許嫁だとか、恋人がいるとかいないとか。そんな背びれ尾びれが付いて一人歩きしているような噂が多いが、少なくともアーデルハイドから女性をどうこうしたという悪い噂は聞いたことがない。

とにかくアーデルハイドの人気は確かで、昔で言う高学歴、高収入、高身長の三高どころか、人よりも四つも五つも秀でたところのある彼と関係を持ちたいと思っている女性は社内外問わずごまんといるだろう。選り取りみどりなのに、わざわざ面倒なことに発展しそうな社内の女に、しかも飛び抜けて美人でもスタイルがいい訳でもない普通の女に軽々しく「好き」などと囁いて手を出さなくてもいいだろうと思う。

「いつも、こうやって連れ込んでるんですか?」
「何やら勘違いをされているようですが、私は誰でもいい訳ではありません。名前さんの事を好きだからこうしているのです」
「……好き?好きなのに、同意無しに、レイプするんですか?」
「レイプ…ですか。確かにそう捉えられても仕方ありません。でも私は、あなたが他の男に奪われるくらいなら、何としても手に入れると決めましたから」

絡められた腕を解かれ、向き合うようにくるりと体を回されると、真摯な瞳とぶつかった。その目に嘘偽りはないような気がして、なまじ顔の良い男に告白めいた事を言われた名前の心臓は高鳴り、それが何だか気に入らなくて目を逸らす。
名前だって、アーデルハイドの事をかっこいいと思った事があった。でもそれは憧れでもなんでもない、テレビに出ている俳優を見てかっこいいと思うような、ただの純粋な感想だ。自分には特に縁のない人だと、それ以外の何ものでもなかったのに。

「好きです。愛しています。名前さん」

エレベーターの中で、すんでのところで邪魔が入ったキスが今成される。
名前の頬にアーデルハイドの長い指が触れ、端正だが、決して女性的ではない顔が近付く。望んでいないはずなのに、頭の中が数秒後に訪れるだろう唇の感触の想像でいっぱいになる。
息を止めて唇を合わせる。かすかな息遣いとともに、触れるだけのキスを数秒だけ。

「…幸せです。ずっと、あなたの唇は赤くて柔らかそうで、キスをしたらどうなるのだろうと思っていました」

名前の唇の輪郭を親指でなぞり、もう一度遠慮がちに軽く唇を押しつぶされる。

「抱きしめたら、手を握ったら、どんな風なんだろうと。髪の毛の手触りも匂いも全部、知りたかったんです。名前も、ずっと呼んでみたいと思っていました」

本気なのかも知れない、頭の片隅で思う。しかし名前には、惚れられる程の接触の記憶がない。

「そんなに好きになって貰えるような覚えがないんですけど」
「名前さんにとっては些細なことだったのかも知れません。ですが私には、とても大切な出来事でした。あなたが総務にいた時のことです」

今は異動して別部署にいるが、名前は確かに数年前まで総務にいた。その時にアーデルハイドと何かあったかと記憶を呼び起こすが、分からない。
アーデルハイドは名前を抱き寄せながら、目を閉じて愛おしそうに思い出を語る。

「あの日私は、出張に行かなければいけないのに飛行機のチケットを取り逃してしまって、慌てて総務に行ったんです。その時対応してくれたのがあなたでした。ギリギリの時間に行けば、自分でやれと言われるものですが、あなたは一生懸命になって、困っている私を助けて下さいました」

そこまで言われてやっと思い出す。確かにアーデルハイドを助けたことがあった。
会議続きで飛行機のチケットを取る暇がなかったが、どうしてもその日のうちに飛ばなくてはならないと困り果てたアーデルハイドが総務に来た時、名前は方々走り回ってその日でも取れるチケットを調べ、移動時間も考慮してどうにかアーデルハイドが出張に出られるようにした。だけどそれは総務にいればよくあった仕事で、アーデルハイドに特別優しくした訳ではない。

「出張、気をつけて行ってくださいねと笑ってくれたのが、とても嬉しくて、心が温かくなって…その日から、ずっと名前さんを見つめてきました。恥ずかしながら、この歳で初めて恋というものを知ったのです。分かってくれますか?私が本気だということを」

アーデルハイドの顔は目元まで赤く染っている。微熱でもあるような、熱の籠った目。その目が瞬きもせずに近付く。
今度は先程よりも少し深いキス。舌先で舐められ、下唇から後頭部へと甘い痺れが走る。

「ああ、キスだけでこんなにも身体が熱くなる…」

力強く、無理やり舌が侵入してくる。淡いキスの余韻を上書きするように夢中でむさぼられ、唾液が絡み、いやらしい音が鳴る。どちらのものか分からない唾液で濡れそぼった赤い口を、同じく赤い舌がぺろりと舐めた。

「自分で脱ぐのと私に脱がされるの、どちらがいいですか?」

そう聞きながら名前をベッドに押し倒す。ひんやりとしたシーツを背中に感じながら、名前は答えを渋る。もう脱ぐことは決定しているようだが、そんなの、どちらを選んでも恥ずかしい。
焦れたアーデルハイドは答えを聞かずにカーディガンを脱がせ、ブラウスのボタンを早急に外していき、まごつきながらも下着も全て取り払うと、喉を鳴らした。
スカートを剥ぎ取られ、あれからパンツを履かせてもらってなかったことを名前は今さら思い出す。

「……綺麗です」

胸を隠していた腕をそっと掴み下ろされ、淫靡な色をたたえた瞳で食い入るように全身を見つめられる。
ネクタイを弛ませ、するりと外し、アーデルハイドも少し荒々しくシャツを脱ぎ捨てると、無駄のない均等の取れた上半身が現れる。顔のわりに体付きが良いと思っていたが、脱ぐと見惚れる程の筋肉だ。
アーデルハイドと友達から始め、ちゃんと告白をされていたらときめく展開だが、好きだと言う人を脅して肉体関係に持ち込むアーデルハイドに対し、何やら薄気味悪い不信感を感じている名前には、とにかく手早く一回済ませてしまえば解放されるだろうという思いしかない。



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