三輪のもう一人の姉
気が、狂いそうだ。
正常な呼吸方法も忘れて、はっ、はっ、と短く喘ぐように空気を求める。
目の前の惨状に、過去の情景が過る。気が狂いそうだった。
「、っは…っは、ぃ、っやだ!」
いやだ。嫌だ、香織姉さん!!
腕の中の、彼女の胸の辺りにぽかりと空いた空洞。
血が、止まらない。
4年前のあの日の上の姉と同じように、今、下の姉までも失われようとしている。
つらく当たってきた。
奔放な下の姉よりも、真面目で優しかった上の姉の方をうんと好いていたから。
何故あの人だったのだと、貴女ではなかったのかと、最も愚かな台詞を吐いたどうしようもない俺に、一瞬だけ哀しそうな顔を見せた後、いつものように笑ってみせた。
いつだって笑っていた。
俺よりも長く、上の姉とこの人は姉妹で、寄り添っていたのに。つらくないわけがないのに。馬鹿な俺の醜い感情を全て受け止めて、自身の悲しみや苦しみの一切を飲み込んで、俺の分まで笑う人。
失われようとしてようやく気がつくなんて、本当に、俺はどうしようもない馬鹿だ。
光が、失われてしまう。
「っ、やだっ…いやだ、…香織姉さん!!」
いかないでくれと喚く事しか出来ないでいる俺の叫びに、弱く、姉さんの顔の筋肉が動く。
…応えた!
だけれど、その反応は本当に弱く、秀次を焦らせた。
もう、これしか力が残っていないのだと言うくらいに、弱い。
「ね、さん…?」
もう、開けられないのだろう。
目は閉じたままで、唇を閉じて、そして。
「ーーーーーー」
(あぁ、)
唇の両端がわずかに持ち上がる。
笑顔。
今までで一番不格好で弱い、呪いのように強い力を持った笑み。
(あぁ、貴女はそれでも笑うのか)
呆然とする俺の腕の中で、彼女はそれきり動く事はなかった。
救急車のサイレンがどこかで鳴る音が頭の中に通るのを感じながらも、もう、全身の力が急激に抜けていき、助けを呼ぶ事もままならない。
姉さんの笑顔は、まるで大きな十字架のように俺を貫いた。
もう一生抜けはしない楔。この人は最後まで「姉」であり続けた。苦しかった。俺は、生き続けなければならないのだと突きつけられた。それは俺から楽な道を、生きる事や戦う事を諦める選択を、あっさりと綺麗に断ってみせた。
最後まで守られた。
俺は、生きなければならない。立って、戦い続けなければならない。
もう光のない暗い世界でも。一人きりでも。
ぽたぽたと、腕の中に抱え込んだ姉さんの上に透明な雫が落ちていく。
姉さんの青白い頬を伝っていく。
4年前も雨が降っていた。
視界がぼやけていく。
やがて香織の輪郭がわからなくなり、秀次は、自身が泣いているのだとようやく気がついた。
失くしてしまった宝物
企画「 僕の知らない世界で 」様に提出
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