太刀川と月見の幼馴染
どんなに近くにいても離れてしまうものなんだな、と時々思う。
「あ、見て!」
「え?あぁ、嵐山くんと…太刀川くん、だね」
大学の食堂で遠目に見えた有名人の姿に、一緒にいた友人がはしゃぐ。見えない境界線が引かれていて、私はこっち側なのだと思い知る瞬間。彼とは住む世界が変わってしまった。
太刀川くん。自分で口にした遠い呼び方が釘のように刺さった。
食事を終えて、午前の講義で本日の授業を終えた私は友人と別れ大学を出た。自宅に帰る道を歩きながら、いろいろ考える。
同い年の太刀川さん家の慶くんと、一つ下の月見さん家の蓮ちゃん。この道を、小学生の頃は三人で歩いていた。
離れてからの蓮ちゃんはどんどん美人になってしまって、お姉さんぶっていつも手を引いていた自分が恥ずかしくなる程だった。今はもう、私よりも断然お姉さんに見える。慶くんはとても格好良くなった。受講態度のだらしなさや女性関係の手癖の悪さがあって女子からは批判の声もあるけれど。それでも私は、慶くんは文句なしに格好良いと思っている。自由だけど、強くて頼もしい人。昔からそうだった。
二人とも知らない内に自分で決めて、一緒に離れていってしまった。異界の怪物と戦い、市民を守るボーダーに入隊して。
一気に離れていってしまって、あっという間に他人になってしまった。もう、簡単に話しかける事が出来ない。アンタ誰?なんて言われる事を何度も想像しては、その度に恐くて足が竦んだ。
暗い思考に捕らわれていたその時、上の方からバチッと弾けるような音がした。見上げると、澄み渡る青空を背景に真っ黒な球体が浮かんでいた。
《緊急警報、緊急警報》
バチバチと鳴りながら、その質量はどこまでも増え続けてゆく。
《ゲートが市街地に発生します》
《ごめん、私信はマナー違反だってわかっているけど…ごめん、太刀川くん、香織ちゃんが》
イレギュラーゲートから出現したトリオン兵を粗方片付けた頃に、太刀川隊の通信に割り込んできた揺らいだ声。月見の頼りない声を久しぶりに聞いた。あの強い女が簡単に弱っている。
「ちょっと太刀川さん?!」戸惑う出水も唯我も置いて、急いで本部に帰還した。運動能力が大幅に上がる筈のトリオン体で、耳元が呼吸音で支配されている。わかっている。月見だけじゃない。それ以上に俺も、どうしようもなく焦っていた。
本部内も駆け上がり、辿り着いた救護室の扉をノックもせずに開けた。そして、一番手前のベッドの端に腰を掛けている姿を見て、疲れるくらいに安堵した。お前は俺の心臓か。
「太刀川さん!」
「悪かったな嵐山、付いててもらって」
「いえ」
そう言って清らかな笑顔で笑う嵐山が羨ましかった。日向のヒーロー。俺もこうなりたかったから。
「ーー香織」
呼べば、ベッドに腰掛けている彼女の体が面白いくらいわかりやすく震えた。名前を呼ぶ事も、この距離にいる事も随分久しい。
「香織、怪我はないか?痛いところは?」
「…ない、です」
敬語か、と失笑した。香織にじゃない。敬語を使われただけで軽く絶望した自分に失笑した。
もう無条件で触れる事は許されないかもしれない。それでも自然と、引き寄せられるように細い手首を掴んで、薄い肩に頭を預けていた。
細くて柔らかい体。甘い匂い。
俺はまた間に合わなかったけれど、無事でいてくれた。
「ーーけいくん」
閉じた目蓋の裏がちかちかした。
「太刀川くん!」
部屋の外、廊下の壁に背を預けていたら月見が息を切らせてやってきた。崩れた表情を見て少し笑った。
「大丈夫だ、怪我はない。今、処理されてる」
とんとんと頭を指で指すと、すぐに察して「そう」と横に並んだ。
「香織ちゃんと、話した?」
「少しな。名前を呼ばれただけで舞い上がった。馬鹿だろ」
「そんなことない。私だって舞い上がるわ。今だって、すごく羨ましいもの」
四年前の大規模侵攻の折に、香織は怪我をしてしまった。記憶は正常に処理され、軽い交通事故に遭ったと香織は思っている。それまで、いつだって香織を中心に回っていた俺たちの世界。後先考えずにボーダーに入隊した俺に付いてくるように、月見も入隊を決めた。言葉にして聞いた事は一度もないけれど、嫌でもわかる。理由は同じだろう。
「香織は、俺と話した事も、名前を呼んだ事も全部忘れる」
「うん」
「なぁ、俺、将来結婚とか出来ると思うか?」
「ううん、全然思わないわ」
隣から小さな笑い声が漏れてやっと、太刀川も心から笑える気がした。
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