木崎と人型ネイバー
「ごめんなさい…」と落ち込んでいる目の前の少女に、内心でため息を吐いた。謝っているのも落ち込んでいるのも、木崎が諌めたからだ。木崎が怒っていると思っていて、その事にしょぼくれている。いつもこうだ。この子供には伝えたい事が全く伝わらない。この子供の心には届かない。
何故木崎が諌めたのか。それがわからない。理解できない。
人間の育ちの過程をに於いて、まず子供は親からやって良い事・悪い事を学ぶという。親から嫌われたくないからだ。この子は今その段階にいるものの、やって悪い事のスケールが他とは違い過ぎた。
何故、ころしてはいけなかったのか。
この子は今回、己に牙を剥いた野良犬を当たり前のように手にかけた。木崎はこれを「やって悪い事」だと伝えたいのだ。
現在、玉狛支部で預かっているこの少女の名前を香織と言う。引き取った林藤支部長が名付けた。
香織は地球の、人間の子供ではない。ネイバーフッドと呼ばれる異世界の子供だ。
ネイバーフッドのほとんどの国は戦争状態だというし、この子の国もまた、戦争状態であったと聞く。生まれた時から戦争状態の中に身を置いていたこの子にとって、生きる・死ぬ以外に大事な事は無く、また、生きるか死ぬかではなく、もっと正しく言えば「自分が生きるか、他を殺すか」の選択が常だったのだろう。
そんな香織に善悪を説く事は残酷で、非常に難解でもある。
木崎自身もまだ21歳の大学生で、教師でもなければ子供を持った経験もない。どうしたものかと頭を悩ませていると、目の前の少女の方が先に何かを言いたげにし始めた。
眉をハの字にして、口を開けては躊躇うように閉じる。
叱られている最中に口を挟むなど、口答えをしているようで、嫌われないかと不安なのだろう。
「香織。怒らないから、言いたい事は言うようにと前にも言っただろう」
「ーーえ、と…『良心とは厳粛なる趣味である』」
「うん?」
「『良心は道徳を造るかもしれぬ。しかし道徳はいまだかつて、良心の良の字も造ったことはない』
……良心とか道徳とかって、必要ですか?」
頭を抱える。
「…誰だ、そんな事を言ったのは。迅か?」
「いえ、芥川龍之介です」
この子供は非常に賢い。身体能力も知能も秀でている。道徳や良心が欠けている、それと反比例するように。
「必要じゃないかもしれないが、俺はお前にもあればいいと思っている」
「何の利益にもならない、非生産的なものでも?」
「そうだ。俺の我が儘だな」
「………」
途端に、小さな顔いっぱいに苦渋の表情が浮かんだ。懸命に苦悩する姿に虚を突かれたが、すぐに木崎の顔は自然と綻んだ。
俺の我が儘に簡単に悩むのか、と可笑しかった。俺の我が儘など、それこそ何の利益にもなりはしないのに。
「香織。この世界で一般的にやって良い事と悪い事は何だか、大体わかるな?」
「…わかります。けど、理解も納得も出来ない」
苦い顔で答えるこの子に、すまないと胸の内で謝った。
すまない。俺はお前に、お前の考えを抑制する事を強いてしまう。
「お前がこれから『やって悪い事』を行った時、その時は、俺が悲しむという事を覚えていてくれないか」
「!」
小さな瞳を見開いて驚いた後、その瞳がみるみる怒りに染まってゆく。俺を、狡い奴だと責める色。
やがて苦しそうな泣きそうな顔をしながら香織は言った。
「……………覚えて、おいてあげます」
小さな香織に俺が強いて言わせてしまった言葉は、とても掠れた啼き声になった。
俺は悪い奴だ。
覚えといてあげる
企画「 バッド 」様に提出
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