風間くんに甘やかされるお姉さん
ああ、駄目だ。
そう思うとすぐに思い浮かぶ人がいて、思い浮かぶ姿でさえも、私を泣きそうにさせた。
お目当ての背中を見つけて、そのまま一直線に突進した。半ばぶつかりながら、後ろから抱きつく。
男の子にしては小柄な体躯の彼が倒れないのは、普段から生身もきちんと鍛えているからと、そばにいた菊地原くんが早くから私の足音に気づいたからだろう。
「ーー香織さん?」
人に抱きつくとストレス発散になるって本当だ。
強張った心が、端からじんわりとほぐれていく。気持ちが緩んで、強がりでがちがちに固めた中から弱い部分が溶け出して、我慢をしなくていいこの場所で、私はぼろぼろと泣き出してしまう。甘え場所も泣き場所も、私にとっては風間くんのところにしかない。
「香織さん」
風間くんは理由を聞かない。最初こそ「どうしました?」と聞いてくれていたけれど、もうすっかり慣れたもので、ただ宥めるように、風間くんのおなかに回した私の両手を、優しく上から包み込む。
荒ぶった心に優しさや温かさが一気に押し寄せてきて、ぐちゃぐちゃで、上手く言葉が出てこない。でも何かを伝えたくて、唸りながら抱きつく両腕の力を強くする。
「う〜〜〜〜〜〜〜!」
「………」
「うわ…」
横から菊地原くんの引き気味の声。
ぐりぐりと風間くんの背中に顔を押し付ける。口紅やファンデーションが付いちゃうかもしれない。付いちゃったらごめん。でも、でも!
どうして私ばかりが焦って、必死に働いているのだろう。決められた時間までにどれだけの量を捌かなければならないのかわからないのだろうか。何故ペースを上げないのだ。やらなければ終わらないというのに、積極的に手を動かさないのは何故なのか。誰かがやるだろうとでも思っているのだろうか。そんな甘い考えでどうしていられる!
籍を置く部署への怒りと不満が止まらない。トリオン体とはいえ実際に前線に出てネイバーと戦っているこの子たちに比べたら、なんとも俗っぽい事で簡単に悩んでしまう私を、それでもこの子たちは温かく迎えてくれた。この子たちよりもお姉さんの私を、仕方がないなぁと甘やかしてくれる。
優しく抱きとめてくれる風間くん。辛辣な言葉を並べつつも追い返さないでいてくれる菊地原くん。まるで自身が痛ましいというように眉を下げて見守ってくれる歌川くん。優しく優しく頭を撫でてくれる三上ちゃん。
私は風間隊のみんなが本当に大好きで、この子たちがいるから、ここで頑張ろうって、いつも思い返せる。
怒りや不満で逸れた心が、正しく戻ってこられる。
「香織さん、落ち着きましたか?」
「…ね、頑張れって言って」
「あまり好きな言葉ではありません。それに、貴女は十分頑張っているように思えます」
「うっ!…だ、駄目っ!甘やかしすぎないで!わたし…私、風間くんから離れられなくなっちゃう…!!」
「!」
私の両手を包んでくれていた手が離れる。
うわ、流石にうざったかったよね?!取り戻せない失言に再び泣きそうになっていると、風間くんの両手が戻ってきて、私の手を自身の身体から優しく剥がす。振り返った風間くんと正面から向かい合う。手は、取られたままだ。
「香織さん」
柔らかく目を細めた風間くん。
駄目だ、と思う。
駄目だ。君があんまり優しいから、甘いから、私は思い上がってしまう。つけあがってしまう。
「それでは俺からは一生、貴女に頑張れとは言えませんね」
(うわ、)
ぐらり、と意識が持って行かれそうになる。
どこで覚えてきたの、そんな台詞。
顔中が熱くて熱くて、いま絶対に真っ赤だ。きっと顔だけじゃなく、全身が真っ赤に違いない。それくらい恥ずかしい。
私は君よりお姉さんなのよ。
女はすぐに勘違いしてしまうのだから、うっかり本気にしてしまいそうになる冗談はやめて欲しいものだ。
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