奈良坂のクラスメイト
「ほら早く!」
顔いっぱいに笑顔を浮かべて、嬉しそうに俺の手を引く。
走り出す。
廊下を駆け抜け、階段を上る。二階の隅にある図書室に忍び込み、閲覧コーナーや本棚をいくつも抜けた先にある扉のノブを回した。
小さなその部屋は古びた本ばかりが積み上げられていて、埃っぽい空気が充満していた。真ん中に木製の長いテーブルが一つと、部屋の隅には折り畳まれたパイプ椅子が3つ置いてある。それ以外には本棚と積み上げられた本しかない。たまに司書の先生や図書委員が作業をする時に使用されているくらいで、この部屋はほとんど倉庫のようなものだった。
手を離した香織が扉の反対側にある窓に寄って行って鍵を開ける。
慣れた手つきで窓を開き、振り返って笑った。
「ね、お花見しよう」
窓の先には一面の桜。先日行われた入学式の時には五分咲きだったそれが、なるほど満開だった。
窓を開けた事で、風が運んだ花びらがいくつもいくつも流れてくる。
気持ち良さそうに柔らかい風と花びらを楽しむ香織の横に並ぶと、柔らかくて眩しい空気を直に感じた。『春』だった。
「…授業が始まる」
「さぼってはいけない?」
先日行われた入学式で奈良坂たちは先輩になった。
高校二年生。
香織と出会って、二度目の春だ。
あっという間に一年を、四季を駆け抜けた。
高校に入学した一年前の春に香織と出会ってから、奈良坂の学校生活は今までになく賑やかなものとなった。
春の暖かな屋上、桜の花びらの浮かぶプール、自転車の二人乗り、半分こにしたパピコ、びしょ濡れになったプール清掃、クラス中から祝われた誕生日、教師を巻き込んで焼き芋、隣町のショッピングモールまで大きなクリスマスツリーを見に連れられ、雪が降ると大きな雪だるまを二人で作った。
香織は自分とは正反対で、始めは絶対に無理だと思っていたのに、今ではいないと不安になる。
気づいた時には、既に恋に落ちていた。
「私の通学路は学校の横の、そこの道を通るでしょ?だからここの桜が見頃だなって気づいたの」
「昼休みでも良かっただろう」
「わかってないなぁ、すぐに見たかったの!…すぐに見せたかった」
拗ねたかと思えば、目を細めて優しく笑う。
せわしなく変わる表情。屈託のない笑顔。
底抜けに明るくてまぶしい。
彼女は俺にないものを沢山持っている。
「香織」
「ん?」
「花びらが付いている」
「えっ、どこ?」
「頭。…動くなよ」
手を伸ばして、髪を梳くように花びらを掬う。
おとなしくじっとしている香織に、自身に気を許している事への優越感と少しの不安を抱く。
頼むから、他の男にはそうやって隙を見せないで欲しい。
「…取れた?」
「取れた」
「へへっ、ありがと」
俺に下心があると、疑う事を知らない純粋な笑顔。
隙だらけで呑気な女だ。
俺だっていつかはその気にさせるつもりでいるのに。
精々覚悟をする事だ、と内心で笑った。
『恋と戦争においてはあらゆる戦術が許される。』
シェイクスピアと並び称された、かの有名なフレッチャーの名言だ。
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