小説(MSSP) | ナノ






▼ きさらぎ駅

■落書き ホラー要素、都市伝説要素注意。




その日は、平凡な一日になるはずだった。

「今何時?」
「11時」
「じゃあ昼前には実況始められるな」
山手線内回り。至っていつも通りの都会の駅ホーム。
あろまとえおえおは、これからFBの家に向かう。
晴天清々しい一日の大半をゲーム実況に充てるのは、最近ではよくある事。
これが、彼らの日常だ。

ホームに滑り込んできた電車に乗り、幸運にも空いていた場所に二人並んで腰を下ろす。
「お前昨日の、何か良いの出たの?」
「星5は出たけど、あんま使える感じしねぇーな」
座ると同時に手に取り出すのはスマートフォン。それぞれがそれぞれの持ち駒を鍛える作業に勤しむ。
たまに駅を乗り過ごしてしまうこともあるぐらいに、二人はこのゲームに夢中だ。
でもこれからメンバーを落ち合う約束がある以上、今回はそううかうかと乗り過ごすわけにもいかない。
車内アナウンスを小耳に挟みながら、あろまは画面をスワイプする。
「なぁこれどうしたら良い?」
「あ?どれよ?」
隣のえおえおが、画面を見せながら戦略を伺ってきた。
「あー…それは、」
えおえおの手の中を覗きこんでアドバイスをしようとした時、あろまは気がつく。
視線の中に当然のように映りこむはずの「それ」がないことに、気がつく。


誰もいない。


そしてプシューッとドアが閉じられ、見知らぬ駅から電車が発進するところだった。
ハッと見上げたホームに掲げられた看板には、『新浜松』という文字。知る限り、それは静岡だ。

「は!!?」
あろまの大声とほぼ同時に、えおえおも異常に気がついて周囲を見渡していた。
「あれ!?」
「何これ!?」
さっきまで車内を埋め尽くしていた人混みが、綺麗さっぱり消えて無くなっていた。
座っているのは二人だけで、聞こえる声も二人のものだけ。
「え!?なんで!?なんで浜松!!?」
「え、何ここどこ!?」
慌てて立ち上がった二人がきょろきょろと辺りを見回すが、やはりどこにも人がいない。
車両結合部のドアから覗き見える隣の車両も、がらんと無人。
窓の外を見ても真っ暗になっていた。いつの間に車両内の電灯が点いたのだろう、それすら記憶にない。
「は!?なんで暗いの?」
「だってさっき11時だったじゃん」
二人は窓に食い入るように覗き込み、空を仰ぎ、遠くを見渡そうとする。
けれど目の前の景色は草原の夜以上に暗く、トンネルを通っているのだとしても灯り一つ見つからない。
本当に走っているのだろうかと疑いたくなるが、走行する揺れと音を体に感じることで まだこの電車は線路を走っていると認識できた。


「は?え何これ?」
「…俺らそんなに乗ってたっけ?」
「いや乗ってたとしてもおかしいだろ。だって山手線だっただろ?俺らが乗ったの。今の看板、「新浜松」って書いてあったぞ」
「…じゃあ、……乗り間違えたとか?」
有り得ないことだと分かってはいたが、えおえおはそれでもその可能性を示唆した。
もちろんあろまの反応は懐疑的だ。
「はぁー?んなわけねぇーべや。仮に乗り間違えてもこんな一瞬で静岡入りとかどんなドラえもんの飛び道具だよ」

でももし万が一にも、二人揃って電車を乗り間違えていたとして。
そしてその電車が、こんな見たこともないような路線を走る電車だったとして。
………それでもこんなに夜が深くなるはずなんてあるわけがないのだが、それでも、……。

あろまは一抹の可能性を胸に、ドアの上の線路図を確認しようとする。そして唖然とした。

「……線路図、ねぇーじゃん」

どんな電車でも必ずあるはずの案内図が見当たらない。
壁にも、天井にも、ドアにも、どこにもこの電車の進む先を記すものがなかった。
「……え?何これ?」
もうこの疑問しか口から出てこない。
「…え、俺ら電車乗ったよね?」
「乗ったっていうか現在進行形で乗ってるじゃん」
「……だよな」
こうゆう時、ほとんどの人はきっとこう思うだろう。

「え、なぁあろま、俺……寝てる?」
「知らねぇーよ!だとしたら俺も寝てんのかって話だよ!?」
夢にしては随分とリアルで、不気味すぎる。
そこで二人はふと、自分達が握っているものを思い出した。
スマートフォン。今のご時勢、どこに居ても誰とでも繋がることが出来るのだ。
その存在を思い出して、二人は少し落ち着いた。
「よし…FBに電話してみるわ」
「じゃあ俺はきっくんにかけてみる」
これから会う為に待ち合わせをしているメンバーだ。きっと電話をすれば、何か転機があるだろう。
そんな期待は、けれど通用しなかった。

「……出ねぇーし」
「ずっとコールしてるのに…」
それから二人はメモリーにある電話先を片っ端から当たった。
友人、家族、仕事関係先。いつもお世話になっている宅配ピザにも電話をした。
誰も応答してくれない。
「……かくなる上は…」
ここなら絶対に、電話に出ないはずがない。
あろまが110とプッシュして 耳に当てるのを、えおえおも横で固唾を飲んで見守る。

「……出ない…」
声が、少し震えていたかもしれない。
「なんで出ねぇーのよ……いやでもちょっと、ちょっと待って…」
あろまは頭の中に擡げている『ある可能性』に気がつきながらも、この現状を打破する手を懸命に捻り出す。
「〜何かあるだろ?だってどこにも繋がらないとかおかしいじゃん。ほら、ツイッターとかさ」
「試してみたけど…アプリが反応しないから開けない…」
「じゃあライン!」
「…今ライン見てみてるけど、俺が読んだところに既読って付かないんだよ…。メッセージも反映されない」
えおえおが「ほら」とあろまに見せるライン画面の中には、FBからのメッセージが追加されていた。

『まだ着かんのけ?お前らどこにいるの?』

「それはこっちが聞きてぇーよ…!!」
あろま渾身の、盛大なツッコミである。
そのツッコミもメッセージにして返してやりたいのだが、何度送信をしても画面に表示されることがない。

「ここどこだよ!?何なのこれ!?」
うがー!と吠えるあろまの隣で、えおえおは恐る恐る隣の車両をもう一度覗き込む。
「…でも……この電車動いてるならさ…車掌さんとかいる、よな?」
「それだ…!!」
えおえおに「でかした!」と指を差したあろまは早速この場を踏み出す。じっとしていられなくなっていた。
「見に行くぞ。さすがに運転してる奴ならこの電車がどこ行くのか分かるだろ」
込み上げる不安をなんとか蹴散らそうと、あろまの足取りは躍起になっている。
「……おぉ、そうだな」
そんなやせ我慢をしているあろまを追いながら、えおえおは胸を摩るように押さえていた。
さっきから酷い吐き気がするのだ。
そして、例えばこれから運転席を見に行ったとして、そこにも誰も居なかったらと考えてしまう。
誰も運転していない電車が、これから自分達を乗せてどこに行こうというのか…。
背筋に冷たい氷が一筋、落ちたような錯覚を覚えていた。


「………なんだこれ」

現実は無情なるものだ。
この場合、今の状況を『現実』と表現していいものか迷うところだが。今二人の前にある現実は、淡い期待を淡々と捻り潰してしまった。
「…どうなってんの…」
「〜誰が運転してんだよこの電車ぁ!」
運転席へ向かったはずのえおえおとあろまが見たものは、ただの壁だった。
三つ先の車両で連結ドアは無くなっていて、代わりにそこにあるのは行き止まりだったのだ。

「〜なんでぇ!?どうゆう事ぉ!?何がどうなってんのぉ!?」
心が折れそうな声で叫ぶあろまは、壁に両手を当てる。冷たくて、硬質な感触。こつんと額を当てても、その冷たい温度は頭を冷やしてはくれない。目覚めさせてはくれない。
これはきっと紛れもなく、現実なのだ。
「……誰か居ないのぉ…?」
いよいよ『あの可能性』が色濃くなってくる。
でもまだその説を口に出すことは出来ずにいた。受け入れられずにいた。

(だって、まさか…そんなはずないんだ)

「…と、とりあえずさ…一応反対側にも行ってみようぜ」
えおえおはそれとなくあろまの肩を叩いて そう促す。
思い描いていた最悪のパターンよりも恐ろしく、不可解な行き止まり。
おそらく反対側も同じだろうとは思うが、滅入っているあろまをなんとか奮い立たせなければならない。

あろまはどんな状況でも挑戦的で、「なんとかなるだろ」と楽観しながらケラケラ笑って突き進むタイプだ。
そんな彼がこうして落ち込めば落ち込むほど、自分も不安になって落ち込んでしまうと分かっていた。

「〜もうこれ多分反対側も同じだって…」
「かもしんないけど。でも車両に誰か人がいるかもしれないし…」
「………まぁ…そうだな…」
とても気弱に頷いたあろまを連れて、今度は二人で反対側の車両に向けて歩き出す。
でもどの車両もやはり人はおらず、電車は暗闇の中で走行を続けていた。


「…やっぱ同じだ」
そうして行き着いた反対側の端も、想像通りの壁になっていた。
「………もうどれくらい走ってる?」
「分かんない…。だってもう13時だし」
最初の駅で確認した時間から、もう二時間も経っている。
時間を確認する術は腕時計とスマートフォンのみ。
そのどちらを見ても同じ時刻を差してはいるが、いまいちピンとこなかった。
「おかしいだろ?俺ら二時間もここにいたか?つーかなんで二時間も走ってどこにも着かないんだよ。駅一個も通らないとか、北海道でもねぇーよ」
「しかもずっと真っ暗だしな…。13時なのに…」
茫然と、成す術もなく壁を見つめる二人は 途方に暮れていた。

この段階で、パニックに陥らずにいられたのはきっと独りではなかったからだろう。
隣に気の知れた友人がいる安心感は大きい。
「…これ、はぐれたら終わりな気がするな」
「なんで同じ車両にいるのにはぐれる事があんだよバカかお前」
そう早口で悪態を吐くあろまの右手が、えおえおのリュックの紐を握っている事には気がついている。
そうして握っていれば、握られていれば、不安で震える指くらいは誤魔化すことが出来た。

「……もう一回、電話かけてみよっか」
えおえおは諦め半分にもう一度スマートフォンを手に取る。ついでにラインもツイッターもスカイプも起動を試みるが、案の定何の進展もない。
焦燥感を抱えながらも 溜息混じりにFBへのコールをする彼を、あろまは見ている。
「………。」
きっとまだこれがどんな状況なのか少しも検討がついていないであろう彼に、あろまはぽつりと静かな声で問いかけた。
「……お前さ、まとめサイトって見る?」
「はい?」
この状況で突然何を言い出すのかと、えおえおが眉を潜めてあろまを振り返る。
酷く深刻な表情のあろまは、血の気が引いて青ざめた顔色に見えた。

「…まぁたまに。面白そうなやつならね」
冗談や気晴らしではなさそうな空気を察して、えおえおは真っ当な返事をする。
「うん、俺もたまに見る」
あろまも同意して頷いてみせ、「じゃあ」と次の質問を投げかけようとした。
「じゃあさ……」
けれどすぐには言葉に出来ず、乾いた口の中で唾を転がし、じっとえおえおを見る。
「……何?」
珍しく言い淀むあろまに、えおえおはますます怪訝そうに小首を傾げた。
あろまの問いをちゃんと聞こうと、コールを続けていたスマートフォンを仕舞う。
こうして向き合っても、あろまがリュックの紐を離す様子は無い。むしろ、睨むようにより一層強く掴まれる。

「……、」
先ほどから自分の中に燻っている『可能性』の名を、あろまほっとはようやく口にする。
言葉にしたら認めてしまうような気がして怖かったその、『可能性』の名を。


「……お前、きさらぎ駅って、知ってる…?」


これから二人の身に起こるすべてを簡潔に、単純に、明朗に、明確に、最も分かりやすい言葉で表現するならこれしかない。
これは、大の大人の男が二人で時空の狭間に迷子になったという、ただ、それだけのお話だ。



きさらぎ駅。
その名前を聞けば、多少オカルトをかじった事のある人間ならばあろまの云わんとしていることが理解できるだろう。
普通に電車に乗っていたはずの人間が 気がつくと存在しないはずの不可解な無人駅に辿り着くという、いわば都市伝説である。

「これが、その都市伝説だってこと?」
概要を聞いたえおえおは、釈然としない様子だ。もちろんあろまにも、これがあのきさらぎ駅への道中だという確証はない。
「いや分かんないけどさ。でも、だって…この電車明らかにおかしいだろ?」
ついさっきまで混雑していたはずなのに、気がついたら誰もいなくなっている車両。
体感的には30分と経ってはいないはずが、時刻上は2時間も走行し続けてる路線。
路線図も運転席もなく、車両の両端は行き止まり。
むしろ、おかしくない所なんて一つもない。
これがただの電車の乗り間違えではないことは明らかで、この車両が尋常ではないことも明らかだ。

「……もしこれがそのきさらぎ駅ってやつだとしたら、どうやったら元に戻れんの…?」
えおえおにとっては聞き覚えの無い都市伝説だった。
聞く限りでは、『摩訶不思議』というだけで害があるようには思えない。
どんな事象が待ち構えていようとも、最終的に大切なのはどんなラストが用意されているのかということだ。
「ていうか…帰れるものなの?」
現実には存在しない無人駅に辿りついたあと、その人がどうなるのか。それが重要だ。

「帰ってきた奴もいるし、帰ってこなかった奴もいる…」
えおえおの問いに、あろまは「帰れる」と断言は出来なかった。
「……俺が知ってんのは、まとめサイトで斜め読みした程度のことだけど…」
ネット発祥の都市伝説に、『絶対』はない。
無事に解決を見た事例は少ないし、そもそもどれが真実かなんて誰にも分からない。
でも、今はその曖昧な情報に頼るしかないのだ。
あろまは知りうる限りの禁止事項を、指折り数えてえおえおに教えた。

一つ、狐狸の類に化かされているのだとしたら、何か燃やして煙を上げるといい。

「燃やすって言われてもなぁ…」
「紙はともかく、火が無いんだよなぁ俺ら…」
二人は煙草を吸わない。ライターを持っていなかった。
こんな密室の車両では火種を見つけることも無いだろう。
落胆しながら、あろまはまた一つ指を折って続ける。

二つ、そこの飲み物や食べ物を口にしてはいけない。

「そこで手に入れたものはこの世のものじゃないから、それを飲んだり食ったりして体に取り込むと、もう元の世界には戻れないってことらしい」
「…なるほど」
えおえおは自問自答し、そろりと腹を押さえた。空腹なんて微塵も感じない。
「いやでもこんな状況で飲み食い出来る奴なんかいないでしょ」
「マジね」
「しかも俺、ちょっと吐きそうなんだよね…」
「マジかよ」
あろまも決して元気だとは言えない状況だが、確かにえおえおのほうが体調が悪そうだ。
普段からシャキッとしているタイプではないが、今はそれに輪をかけて気力がないように感じる。
糸に吊らされて立っている人形のようだ。

三つ、トンネルを潜ってはいけない。

「何その千と千尋の神隠しみたいなやつ」
「まぁあれも言っちまえば都市伝説みたいなもんだからな」
あろまは窓の外を見やる。電車は相変わらず、真っ暗な闇の中を走行し続けている。
行き先を覗き込んでも、駅はおろか電灯すら見えはしなかった。
「つーか、徒歩ならまだしもこうやって乗車してたら 回避しようがねぇーんだよなぁ…」
あろまがそう言い終える前に、ごうという轟音がした。
電車がトンネルに入る瞬間特有の、空気を貫いた音。
二人は一拍、沈黙の中で顔を見合わせた。まるでこちらの会話を聞いていたようなタイミングだ。

「……あろまさん、あろまさん早速トンネルっすよ」
「潜ってるよな?これ確実にトンネル潜ってるよな?」
狼狽えたところでもうどうしようもないのだが、焦燥感は増す一方だ。
「…え、トンネル潜っちゃったらどうなるの?」
あろまは首を横に振る。この項目が一番真偽が曖昧なのだ。
どの事例にも登場する「トンネル」だが、人によって遭遇した状況が違う。
「潜ったらいけないっていうよりも、多分潜った後が問題なんだよ。とりあえず…座ろうぜ」
深く息をついて、二人は並んで腰を下ろした。

トンネルに入った頃から、徐々に頭が痛くなってきていた。
何か考えようとすればするほど、頭の奥がズキズキと痛み出す。
「………。」
「………。」
互いにその身体の異変を口にはしなかったが、こめかみを押さえる仕草を見れば、共に同じ症状だろうと推測できた。
頭痛が落ち着いてくると、どこかに意識が遠のいていくような気がして、今度は眠くなってくる。

「他に…他にやっちゃいけないことってあるの?」
眠ってしまわないように、二人は会話を続けようとした。
「あー……あと『名前を忘れてはいけない』てのがあったな。お前、ちゃんと自分の名前分かるか?」
「……え?」
言われて初めて気がついた。自分の名前は、なんだっただろう…。
茫然とするえおえおを見て、あろまもハッとする。問うた自分も、その答えが導き出せない。
「わ。ちょっと待って…俺も名前何だっけ…」
「え?お前はあろまだよ」
「そうだそれだ!」
「あれ?俺は……俺は…何だっけ…」
「お前はえおえおだよ、忘れてんじゃねぇーよちくしょう」
「いやお前がそれ言うか!?」
不思議と、自分以外のことは何の問題も無く答えることが出来た。
「お互いの名前は、忘れてないんだな」
「だな。でも一応、メモしておこう。忘れても思い出せるように…」
あろまがそうして自分のスマートフォンに個人情報を登録しているのを見て、えおえおはヒヤリとする。
「……なぁ…充電切れたらどうする?」
もちろんその可能性は、あろまにも分かっている。だから、短く言った。

「そん時はそん時だ」

トンネルはまだ終わらない。

――

お互いの個人情報をすべてメモに写し終え、ふぅと一息つく。
どれくらい経ったのだろうかと腕時計を見たえおえおは、目を見開いた。
「ちょっと待って」
「何よ」
自分の目に映ったその時刻を、あろまにも見せる。
「……は?17時?」
そんなはずはない。いくらなんでも、これはない。
時間に対する感覚のズレが大きくなっていた。
「どうゆう事よ」
「なんでこんなに時間が、」
嘆く声を遮って、車内アナウンスが流れ始めた。その音の異様さに、二人は絶句する。

何を言っているのか分からない、男の声だった。
電波の悪いラジオノイズのような雑音に、ガラガラに乾いた男の声が混じる。
複数の人間が同時にざわざわと喋っているようにも聞こえた。
大音量で耳を劈く音の多さに、えおえおもあろまも押し黙り、そのまま身動き一つ出来ない。

「きさらぎえき」

辛うじて聞き取れたのは、渦中の駅名。
音と声はぶつりと切れ終わり、車内はまたしん…と恐ろしいほどに静まり返った。

「………え、…怖ぇ…」
「……もう嫌だぁ…」
アナウンスというよりは、ただの怪奇音声だった。
響き渡ったその音に二人はすっかり気弱になって、泣きそうな声になる。
それほどに、あまりにも衝撃的な音声だった。

「…え、これ降りられないの?もう俺乗ってるの嫌なんだけど…」
疲れきったえおえおの言葉には心底同意するが、それでもあろまは息をついて首を振る。
「電車動いてたら降りれないだろ…っていうか降りたらいけないんだよ、確か」
「……そうなの?マジかよ…」
「降りて、そのまま帰ってこなかった奴がいる」
「………帰れなかったら、……どうなんの…?」
不安を包み隠さないえおえおの小さな声には、何も答えられなかった。

それから続けられる会話はなく、口数は一気に少なくなった。
二人はただ黙って電車に揺られ続け、次第に頭の中がぼんやりと薄弱し始めていた。
はっと我に返る瞬間はあるが、窓の外の暗闇も、無人の車内も、景色は何も変わらない。
トンネルの中をもうかれこれ一時間以上進んでいるような気がする。
「おい起きろよ」
「……ん」
あろまは我に返る度に隣を見て、えおえおが寝ていると気がついて慌てて起こした。
その繰り返しを何度か経て、事態はようやく動いた。
電車が、どこか見知らぬ駅にたどり着いたのだ。

「……。」
突然現れた駅には、告げられる名前が無かった。電車は静かに、ゆっくりとホームに停車する。
ドアが開いても、あろまには期待感や安堵感は一切無い。
さっき聞き取れたアナウンスが本当なら、ここはもしかするとあの「きさらぎえき」だ。

ホームから流れ込んでくる空気が妙に湿っぽく、絡みつくような気味の悪さを感じた。
気味が悪くて、不穏で、この世のものではないと直感で感じる。降りたくない。
駅の詳細を確認したいが、後ろを振り向くことも出来なかった。
背後から、みっしりと窓を埋め尽くすほどの圧倒的な量の視線を感じたからだ。
誰かが、大勢で、こっちを見ている。

ドアから見える駅のホームには、自動販売機が見えた。遠目だが、古びた無人の改札も見える。
でも、この駅には絶対に降りたくない。
あろまは本能的に感じる恐怖に耐えて唇を噛む。
(閉まれ。早く閉まれ)
一刻も早くこの駅から離れたい。
そう祈るあろまの隣で、それまで寝落ちそうだったえおえおが、不意に身体をゆらりと背もたれから起こした。
その言動は不自然なまでに暢気で、白々しかった。

「あ、俺、喉乾いたから飲み物買ってこようかなぁ」
「……は?」
さも当然のように降りようと言って立ち上がったえおえおのリュックを、あろまは咄嗟にパシリと掴む。
「降りるなよ。さっき話しただろ?」
何を言われているのかさっぱり理解できていないような顔で、えおえおは首を傾げてあろまを見る。
「あろまは?降りないの?」
「は…?」
「じゃあ俺はちょっと降りるわー」
「!?え!ちょっと待て、お前おかしいぞ…!?」
こいつは正気じゃない。真っ先にそう思った。
すたすたとドアに歩いていってしまうえおえおを、あろまは慌てて追って引き止める。

「降りるなって言ってんだろ!?」
えおえおが降りてしまう寸でのところで、ぐいと紐を引いた。
「何考えてんだお前!?」
「だってこのまま乗ってても何も変わんないじゃん」
「いいから乗ってろ!お前さっき俺が言ってたこと忘れたのか!?」
「ちょっとぐらい降りて周り見てきたっていいでしょ?」
「見てこなくていいんだよ!乗ってろ!座ってろ!」
「やだ」
いつもならえおえおは、こんな風にあろまに対して頑固に言い張ったりはしない。「分かったよ」と、「しょうがないな」と、諦め笑いながら折れるはずなのだ。

「〜やだじゃねーんだよ!いいから座ってろっつーの!」
「でもずっと座りっぱなしでなんか気持ち悪いし。もう何でもいいから、俺は外に出たいんだよ」
えおえおの話し方は懸命に訴えるというよりも、どこか投げやりな強い言い方だった。
「………、」
これがもしも本当にただの迷子で、外に出ても帰れる手段があるというならあろまも手を離しただろう。
でも、………今は違う。
「手ぇ離せよ」
「………。」
何かが、彼を連れて行こうとしている。
あろまは掴んだリュックの紐を離さず、ぐっと凄んで低い声を出した。
その威嚇は、えおえおに対してじゃない。その、『何か』へ向けてだ。

「……いいから乗ってろ。降りたら殺すぞ」
「じゃあすぐ戻ってくるから。駅の名前とか、改札とか、そうゆうのちょっと確認したら戻ってくるから」
「その前にドア閉じたらどうすんだ…!」
「そしたら次来た電車に乗るから大丈夫だよ」
「〜〜!!」
なんでこの状況で、次の電車が来るなんて思える?
大丈夫だなんて、平気な顔でさらりと言える?
えおえおの様子は、もうどう見ても明らかにおかしかった。おかしくなっていた。

「〜ダメだって言ってんだろ!」
言う通りにしろと怒鳴る前に、電車の天井からべちゃりと濡れた音がした。

悪寒を走らせる不気味な水っぽい音。
それに背筋を凍らせた次の瞬間、『何か』は上から落ちてくる。
べちゃりと、赤黒い塊。あろまはヒッと驚いて息を飲む。
裏返った蝉のような、虫の足が無数に見えた。

「うわ…!」
えおえおがこの世で一番嫌いなものは蝉だ。それには触れたくない。
飛び退くように後ずさったえおえおの足が、背中からホームへと飛び出す。
「……あ…」
両足がホームに着地した瞬間、身体が後ろに引き込まれる感覚があった。
ここではない何処かへ。
深い穴に落ちていく刹那のような、ふわりと体が宙に浮いたような、そんな不確かで現実味のない感覚が、えおえおを襲った。

上から降ってきた『何か』に慄いたのはあろまも同じだ。
にゅるりと蠢いて見えるその赤く黒い塊が、まるで降りろと促すように足元に広がる。
怖くて足が竦んだ。逃げ出したかった。
それでも、その時、あろまは電車を降りてはいなかった。
えおえおのリュックの紐を、離してはいなかった。

「っ!?」
足元からハッと顔を上げると、駅の向こうから暗闇が迫っているのが見えた。
津波のようにせり上がった闇が、えおえおの背後に迫ってきている。
えおえおはそんな事知りもせず、けれど何かを静かに察した表情で、呆然とホームに立ち尽くしている。
「―…!!」
ホームに、けたたましいベルの音が響き渡る。発車を告げる、警笛。警告。終焉の合図。

(ふざけんな…!!)
反射的に、あろまは握っていたリュックの紐を両手でがっしと掴み、思い切り引き寄せるように引っ張った。

「乗れ!!」
全体重をかけて踏ん張ったあろまが、えおえおを車内へ引き込む。
ごろんと二人で床に転がり込むような形で、えおえおの身体は電車内に戻った。
瞬間、二人を分かとうとしてたドアは ピシャリと勢いよく閉まる。
迫り来ていた暗闇は閉じたドアにぶつかり、泥のように汚れ広がった。

「…はぁ…はぁ」
本能的な恐怖で、息が上がる。
電車は何もなかったように、また暗い路線を走り始めていた。
えおえおもあろまも、ドアにこびり付いた泥が徐々に消えいくのを、床に転がったまま茫然と見ていた。

「……〜何なのよマジで…!」
そろりそろりと這うように、二人は座席に並んで座りなおす。
身に起こった恐怖は少し落ち着いて、深呼吸をした。
苛立って見えるあろまに、えおえおは恐る恐る問いかける。
「……え…あれ?俺、何してた?」
案の定、あろまは牙を剥く。
「あぁん!?降りようとかアホなこと言って降りたんだよクソが…!!」
「……やばい、俺もう全然何も自分のこと思い出せない。俺の誕生日っていつだっけ」
「3月24日だよ!〜〜もうやだお前なんなのよ…!!」
頼むからしっかりしてくれ。そう嘆くあろまに、けれどえおえおはやはり少し能天気だった。

「…おぉ…なんだ、お前よく俺の誕生日知ってるな」
「さっきお互いのプロフィール忘れねぇーようにって話をしたろうが…!!」

あろまを襲う頭痛の要因は、増すばかりだ。



■落書き終了。ここまでです。お家に帰れるといいのだけれど…



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