SS | ナノ


▼ 理由なんてない

■堕ちてゆく鴫。止められない鴇。



「トーキ?」
双子の兄にそう声をかけると、少し意外そうな目が振り返った。

美柴家の道場は結構広い。
俺達は幼い頃からそこにずっと馴れ親しんできている。
たくさんの生徒達も此処に通ってきている。
でも、俺は此処を数ヵ月前に辞めた。
理由は…特になかったかもしれない。ただなんとなく、辞めた。


「…どうした?」
鴇はその広い道場で独りで座り込んでいた。
それはびっくりするだろう、辞めてから一度もここには顔を出していないのだから。
別に「来るな」とは言われてないし、辞めたいって言った時も少しは反対されたけれど 最終的には父さんも俺の考えを尊重して理解してくれた。
気まずくなんか全然ないはずなのだけれど、それでも俺は此処にはもう足を踏み入れなかった。

「鴇は行かないの?みんなお茶に行ったのに」
練習が終わっても すぐには迎えが来ない生徒もいる。
父さんはよくそんな生徒達を連れて遊びに行ったりする。多分親を待つ幼い生徒を放っておけない性分。

鴇は肩をすくめてみせる。
「別に。ああゆうの好きじゃないし」
知ってる。
疲れて座ってる鴇はなんだかいつもと違って見えた。
道着だから?…昔っから毎日見ていたのに、今となっては新鮮だ。
はだけてるのが 少し気になった。直してあげようか それとも……。

ぺたんと向かいに座ると 鴇は?と目を向けてくる。道着を締める帯を見た。
「あれ‥‥なんでこの帯なの?二段受かったんでしょ?」
あぁ と鴇は頷いて帯に触れる。
「まだ届いてない。なんか……母さんが注文したって」
「家紋入ってるやつだ」
「うん……別にそんなのいらないんだけど」
嫌そうにそう言う鴇を見たら…駄目だった。
触れるだけのキスを奪う。驚いた鴇が身を竦めた。
「何」
「キスしてみました」
笑って言ったら 鴇のあからさまな呆れ顔。
ヒドイなぁ。そっと抱きついて ついでにはだけた隙間から手を滑らせる。
いつも思う 綺麗だなって。
ちょっと厳しい声で名前を呼ばれて 縋りついたまま見上げた。迷っているような鴇の目。
「……離れろ…」
「なんで?」
分かってる。裏にある台所にまだ母さんがいる。
皿でも洗ってるのか 水の流れる音が聞こえる。
でもそんなのどうだっていい。軽く笑って 肌に唇を落とす。噛み付くように吸い上げればすぐに紅い跡ができていた。
鴇はどうすればいいか困っていた。知ってる。鴇は俺を突き放せない。
「ねぇ…これ いつもどうしてるの?バレない?」
と 顔を寄せて 今つけたばかりのキスマークを人差し指で押す。鴇は顔をしかめた。
「…薄いのなら別にバレない。濃いのはガーゼ当てとく」
「そうなんだ やっぱ絆創膏じゃさすがにね。大変だ」
「……誰のせいだと思ってんだ」
あ ちょっと本気で言ってる?ため息を吐いて立ち上がろうとした鴇を思いっきり引っ張って腕の中に閉じ込める。抗議を口にしようとしたスキを見逃さない。
キスと一緒に帯を解く。深く触れようと手を伸ばしたら 痛いぐらいに押し退けられた。
「…いい加減しろ…」
怒ってる。鴇は真面目だから こんな所で汚すのは嫌なんだろうね。

「俺が嫌?」

たったそれだけ。
鴇を繋ぎ止める言葉なんて知り尽くしてる。
鴇は逃げるように目を逸らす。

…なんで逸らすの?

どう返せばこの状況の抜け出せるのか 悩んで苦しんでる鴇を微笑み見ながら 解けかけた帯を畳に流して もう一度同じ場所に紅い跡を刻む。
深いキスを浴びせ 肌を撫でる。
ほら もう突き放せないよね?

その時 玄関のチャイムが鳴った。愛撫を中断して 耳だけを澄ます。
母さんが返事をして玄関を開ける音と微かに聞こえる交わされる会話。

腕の中の鴇を覗き見る。上がりはじめていた甘い呼吸を整えようと目を伏せて 何度も息を飲んでいる。
「トキ―!」
母さんの声。こっちに来る気配はない。

「呼んでるよ?」
笑ってあげると 鴇は目を逸らしたまま立ち上がった。
帯を拾い締め直して 道場を出ていく。
意識してしまうからか 一度も俺を見なかった。

俺はずっと鴇を見てたのに。

急に この広い道場で独り座ってるのが 可笑しかった。

俺は此処が苦手だった…
その理由はなんだろう…?


ひょい と 道場から顔を覗かすと母さんが座って何かを手にして向かいに立つ鴇に見せていた。黒い帯だ。

「やっと届いた ほら これが二段帯」

母さんが嬉しそうに笑ってる。

「今使ってるのは練習用にしましょう お父さんが来たら見せなきゃね」

頷いてる鴇の横顔。
珍しく ちょっと笑ってる。自分が嬉しくて笑ってる笑顔じゃないなって思った。
誰かが嬉しそうにしてるのが嬉しくて笑ってる。
そんな表情…。

「あ シギ ほら見て 鴇の新しい帯よ」

俺に気付いた母さんは 変わらない笑顔で俺を手招きする。
踏み出して 鴇の隣に立つ。
鴇の顔は見ないようにした。
その方がいいと思った。

「うん やっぱ黒いのが一番カッコイイね」

母さんと同じ笑顔でそう言った。
カッコイイって思ったのは事実なのにどうして…笑おうって思わなきゃいけないんだろう。

分かってる 母さんは俺も鴇も同じくらい大事で愛してくれてる。
父さんもちゃんと俺達を平等に理解してくれてる。
二人とも自分の子供達に無償の愛情を与えてくれてる。
ちゃんと……分かってるんだ…。

「そうだ 二人ともケーキ食べる?買ってきてあるけど」
「まだ夕飯じゃないのにいいの?」
「今日は特別ね」
そう言って優しく微笑んでくれる。
「やったぁvVチーズケーキは?」
「はい そう言うと思って買ってきてあるよ トキは食べる?」
こくんと頷く鴇にも母さんは同じ笑顔を向ける。
「じゃ 先にお風呂入っちゃいなさい 道着ちゃんと畳んでないと洗わないからね」
「チーズケーキは〜?」
「はいはい ちょっと待ちなさい」
先に台所に向かう母さんを見送ってから やっと鴇を振り返った。

「鴇いないうちに食っちゃうかもよぉ」
笑って冗談を言ってみる。
でも鴇は…ひどく切ない表情をしてた。

「………鷸…」
「分かってるよ」
鴇の言葉を遮って笑う。
「早く風呂行ってきなって」
「…………………」
何も言えなくなった鴇は ただ黙って浴室へと歩いていく。その背を見ていた。


ねぇ鴇 俺分かってるよ
俺は鴇からも愛されてる。

俺…どうしてこうなっちゃったんだろ…こんな風に……

死ぬほど考えたんだよ… 鴇が眠ってる横で必死に考えたりしてるんだ
でも…駄目なんだ。考えてると爪を剥いだり 鴇を抱き締めたりしたくなって 抑えられなくなる

でも…信じて鴇…?
俺も鴇が大好きなんだよ…


大好きなんだよ…。



■伝わらない葛藤。

「鴇…俺のこと大事?」
そうやって確認しなきゃ不安なんだ きっと。


06.3/14






[ back to top ]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -