小説 | ナノ


▼ 誰も知らない

病院に着くと、すぐに若い看護婦が車に駆け寄ってきた。
どうやら顔見知りらしく 彼女は慣れた様子で優希に手話を見せて微笑む。
けれど病院が嫌なのか、優希は少しも笑わなかった。
美柴は 車から院内についてきていたオーナーを 少しぎこちなく振り返る。

「……もう、平気だから」
「帰りがあるだろ。待っててやるから」
「…でも、」
「ここまできて迷惑になるとか言ったら ほんとに怒るぞ」
「………………」
「いいから、早く行っておいで」
こくんと静かに頷く時の表情が、素直なものに見えた。
少しだけ わだかまりが解けたような気がして、オーナーはふと笑う。
ひっそりとした廊下で、看護婦に付き添われ診察室に入る二人を見送った。




診察を終え スツールに座る優希が衣服を下ろす。
熱はあるが 微熱。頭痛も 原因ははっきりしない。
やはり 病気というよりは 精神的なものなのだろう。
少し考えて、担当医師は俯く優希を覗き込む。

「優希くんは、お家で一人でお留守番するのと お友達と皆で一緒に託児所で待ってるの どっちがいい?」
その手話に 優希はちらりと上目に、小さく指を動かした。

(…お家がいい)
その返答に思わず、医師からも美柴からも 困ったと溜息が零れる。
どうしたらいいものかと目配せをして、もう一度 医師は優希に諭すようにはんなり微笑む。

「そっかぁ。…でもね、優希くんが一人でお留守番していたら 皆すごく心配するんだ」
けれど優希は答えずに 心苦しげに俯いてしまう。
きっと本当は 自分の答えが周りを困らせていると分かっているのだ。

「皆 優希くんが元気になれるように頑張ってる。だから、優希くんも頑張ろう。ね?」
(…………………)
少し納得していない様子で それでもゆっくりと頷いた優希の頭を、美柴はそっと撫でて見ていた。




−−−−−−−



次の日。
おやつが終わると、鴇は仕事へ行く準備を始めた。
食器を片付けて シャツを着たり バッグを持ってきたり。
僕はお手伝いで 託児所にもっていく物を持ってくると 鴇に止められた。
なんでだろうと首を傾げて見上げると、鴇は屈んで 指を見せる。

(今日は 家で留守番。)
そのサインにビックリして まじまじと見つめる。
出来るかと問われて 一瞬戸惑ったけど、しっかり頷いて返した。
鴇は昨日僕が病院で言った事を 聞いてくれていたんだ。

出掛ける鴇を玄関で見送るのはとても心細かったけど、家を任されたような気持ちがして ちょっとだけ嬉しかった。


一人になって 最初はそわそわ落ち着かなかった。
でもリビングで絵を描いたり 絵本を広げたりしてるうちに 慣れてくる。
ついうっかりうたた寝までしちゃって、起きたらもう外は真っ暗だった。

頭も痛くないし 身体も熱くない。やっぱりお家にいるのがいい。
一人だって全然平気。だって鴇はちゃんと帰ってきてくれる。
そう思って ふと見ると、ダイニングテーブルに託児所の連絡帳が見えた。

(………………)
でももしかしたら、鴇は今 すごく心配してるのかもしれない…
(………ちゃんといい子にしてなきゃ)
ひっそりとそう決意して 自分で自分に頷いた。



夕飯は 真っ赤なチキンライス。
教わった通りにレンジで温める。
お皿は熱いから ちゃんと手にカバーを付けて運んだ。
よし食べよう、として ジュースがないことに気づいた。

(リンゴジュース…)
冷蔵庫から取り出して、いつものコップに注ぐ。ちょっと溢れちゃったけど、ちゃんと布巾で拭いたから大丈夫。
そしてテーブルから なみなみ注いだコップを持ち上げようとした時だった。
「!」
つるりと手の中からグラスが滑り落ちた。
床に強くぶつかったグラスはバラバラになって 僕の周りに散らばる。
注いだばかりのジュースは全部こぼれて、床も服もびしょびしょになってしまった。

(!)
慌てて しゃがみ込んで、そのまま欠片を拾い集める。
右手と左手で抱えるように欠片を持って立ち上がろうとした。
「っ!」
ザクリと手の平に痛みが走って、反射的に手を放った。
またバラバラに落ちるそれらも気にせずに 痛いところをじっと見つめる。
手の平に赤い筋が細く何本か出来ていて、そこからじわじわと血がいっぱい染み出してきた。
広がる血を見ていると、心臓がバクバクし始める。

(……ッ…!!)
急に物凄く怖くなって、身体が震えた。





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