後ろ姿が愛しい


今日も今日とて、雑踏に紛れて歩く。時折、咳が出る口に手を当てながら。
こんな風に毎日毎日、酔ってしまいそうな程に騒がしい中を歩いていると、どうしても、何があっても思い出す影がある。


やたらと色白で細身の彼女は、非常に優秀な人物だった。

任務遂行の時も、例え何もない日でも、彼女は僕の数歩先を歩いていた。
それくらい、彼女は僕よりも優れていた。
僕は彼女の顔を正面から見ることもほとんどなかった。頻繁に見せられていたのは、ずっとずっと数歩先を歩く後ろ姿のみだった。

上司の太宰さんも中原さんも、頻繁に彼女を気にかけていた。彼女と接すときには、お二方が常に瞳に宿らせるぴりぴりとした殺気や眼光は無く、ただ柔らかく少し優しい光だけがあった。
僕は、そんな風に太宰さんに気に掛けてもらえる彼女の存在が何処と無く妬ましく、羨ましくあった。

だけど、そんな扱いの違いの理由は明白だ。僕と彼女には、差があるからだ。僕の前を、彼女は常に歩いている。速いスピードで、僕より何歩も先を。だから僕は追い付こうと思った。
彼女と同じ世界が見てみたいと思った。彼女と同じ居場所に立ちたいと思った。だから、僕はずっと彼女の後ろ姿を追いかけた。

だけど気付けば、僕と彼女の間にはとても大きな差があった。権力、実力、接する人間…存在する全てに、僕と彼女の差が露呈した。僕はそれでもいつか追い付けると信じていた。努力して、彼女と同じ目線に立ちたかったのだから。


「貴女は僕より、優れたお人だ」
「そうですかね、自覚はありませんが」
「きっと、そうに決まっている。……然し何時か、僕は貴女に追い付いてご覧に入れましょう」


そう言ったのはいつの日だったか。そんなチープな挑発のような言葉を投げられた彼女は、特別嫌そうな顔など見せず、ただただ柔和な笑みを浮かべて僕の頭を優しく撫でるだけだった。


「…では、肩を並べて歩けるのを待っていますからね」
「………あぁ」





―――――――太宰さんが、居なくなった。

組織から、任務を放棄して逃亡したのだ。
幹部であり、上司である彼がそんなことをするだなんて到底思えなかった。最悪、罷免か処刑しか終わりがない道を彼は進んだのだ。
おまけに、あろうことか彼は、僕の目標であった彼女―――――なまえさんも一緒に連れて、組織を出て行ってしまったのだ。それこそ、先刻の通り、残された道は逃亡を続けること、末路は罷免か処刑しかない道だ。どちらも終わりは地上が遥か遠い断崖絶壁のようなものだ。
突然居なくなった、僕の目指していたもの。僕はこれから、何を目指して何を生きがいにしていけばいいのだろうか。
それから暫らくして、人伝てに聞いた話だが。どうやら彼女は太宰さんと一緒に出て行くことを自分から選んだらしい。どちらにせよ、彼女がいないという事実は変わらない。僕にとっては結果がどうであれ、聞いていて気持ちの良い話では無かった。


…畢竟なことに、非凡な才能を持つ人物と肩を並べることが出来るのは、同じく非凡な才能の持ち主のみなのか。
僕は、彼女の肩に触れることすらままならず、おまけに彼女は僕の隣をすり抜けて、あっさりと風のように消えてしまったのだ。…もしくは、後ろ姿なんて拝めない程に遠い何処かへ旅立ってしまったのだろう。
僕は彼女と同じ世界が見たかった。彼女と同じ居場所に立ちたかった。だから、僕はずっと彼女の後ろ姿を追いかけた。
だけど、その後ろ姿はもう見えなくなってしまった。毎日見ていた、飾り気のないワンピースと、毛先を赤いリボンで括った長い髪の後ろ姿は。僕の目には一生映ることのないものに変貌してしまった。

その全てを考え、全てを無理矢理繋ぎ合わせた。漸く、思考が事実に追い付いて来た。その瞬間、乾いた笑いが思わず僕の口から溢れた。
何て気付くのが遅かったんだろう、と。きっと誰もが、今の僕を見て笑うのだろう。過去の僕は何て鈍感で自分勝手だったんだろうか。

太宰さんに認められたいから、彼女と同じ世界を見たいから、だから彼女の後ろ姿をひたすら追いかけていたのではなかったのだ。
僕は、ただ彼女のことが好きだったんだ、好きで好きでたまらなかったんだ。追いかけたのは、彼女に振り向いて欲しかったからだったのだ。
そんなことに、そんな単純なことにどうして早く気付けなかったのだろう。もっと早く気付いていれば、想いを告げられたかもしれないのに。

遅すぎた後悔を胸の奥深くに秘めながら、今日も僕は愛しいあの後ろ姿を探す。
喧騒の渦中と雑踏に、ただただ紛れ、流されながら。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -