青山大輔と恋の話
 窓際の一番後ろ。生徒間で特等席とされるそこで頬杖をついた大輔は、黒板前で身振り手振りと忙しなく動く教師をぼんやりと眺めていた。高校一年の時点で既に百七十を超える身長を持つその頭は、こうして座っている中でも一つ分飛び抜けている。
 いつもは睡眠学習が専らだが、身体や瞼を伏せてみてもその日は何故か上手く寝付けなかった。
 仕方がなく手持無沙汰にシャープペンシルを弄ぶ。数度ノックしては芯を出して、直して、また出す。ふと、机に目がいった。
 中学の頃とは違って、木の色が淡い。なぞってみれば、サラサラとした滑らかな感触に少し気が良くなった。大輔たちの代で新しくなったのだろうか。傷の見当たらないそれを、少し汚してみたくなる。
 絵心を持ち合わせないまま棒人間を描いては消したり、円を描き続けて英文を書いているような気になってみたりするも、すぐに飽きてしまう。やがて、何気なく言葉が綴られた。
『もうすぐ大会』
 単語を書き込むと、更に実感が沸いてくる。新人戦とはいえ、高校生。中学時代よりもレベルの高い試合を期待しては、早く来月にならないかと大輔は胸を躍らせた。
『早くれんしゅうし――た――――い』
 昨夜、遅くまで練習していたツケが遅れてやってきたようだ。
 舟を漕ぐ大輔の文字はミミズのようになり、やがて力なく垂れた手から筆記具が転がり落ちた。


 地に足がついていないような、感覚。全ての音が反響するような、奇妙な世界の中。
 掲示された試合結果を見つめる後ろ姿に大輔は見覚えがあった。できることなら消してしまいたいとさえ思う。忌々しい過去が、そこに茫然と立ち尽くしていた。

 物心つく頃から柔道を始めていた大輔の才は、元から周りと比べて突出していた。それは身体ができるにつれ膨れ上がり、大きな戦力として認められた後も留まることを知らなかった。
 やがて大輔は主将になった。指名に次いだ拍手の中、誰かが「やっぱり」と呟いた。当時は、それぐらいには認められていたはずだった。
 強くなればなるほど褒め称える周りと、それに伴う実歴。これだけ条件が揃っていれば大輔の考え方が自己中心的になるのは簡単なことだった。誰かを認め、互いに頂点を極めることはない。
 力はある。部員もいる。それでも常に一人で戦っているような。悲しくも大輔はそんな選手になってしまったのだ。
 自分と同じだけの力量を、大輔は他の部員にも求めた。自分がこなせるメニューはこなせて当たり前だと思っていた。抗議されると「どうしてこんな簡単なこともできないんだ」と大輔の眉間は皺寄った。怒鳴るほど、部員の眉間に寄せられた皺は深くなる一方で、決して互いに取り除かれない。
 言い合いの最後は決まって大輔がこうくくる。
「この柔道部の成績がいいのは誰のおかげだと思ってンだよ」
 周りは彼に嫌悪を表し、月日の経過と共に稽古場の人口密度は減っていった。衝突はいつまで経っても減ることを知らず、迎えてしまったのはあの日だった。

 一つの白星が大輔の見つめる先にある。取り残されたようにぽつんと存在したそれは虚しさの塊だった。
 中学最後の大会は呆気なく終わった。終わらされた、と思った。大輔が舞台に立っていた時間はとても短いものだった。
「なぁ、この後どうする?」
「ファミレスでなんか食おうぜ」
 仲間は動けない大輔を一瞥することなく、素通りする。
 鼓膜を震わせる笑い声が不快で仕方がない。悔しさを微塵に感じられない声色が、大輔の神経を逆撫でた。
「お前らなんで笑えるんだよ! 負けたんだぞ!!」
 感情は爆発し、吐き出した言葉は荒々しいものだった。勢いに任せすぎて――その結果、出してはならない言葉まで飛び出してしまう。
「お前らわざと手ェ抜いたんじゃねェのか」
 肩で息をする大輔を映す彼らの瞳は、酷く冷えきっていた。
「……ふぅん、相手が強かったっていう考え方はできないんだ」
「しょうがないだろ、負け無しの最強無敵な天才様には俺たち凡人の気持ちなんて分かんねぇんだよ。だって“勝ってアタリマエ”だもんな」
 笑みが消えた仲間の瞳は暗く淀んだ色をしていた。その口元は歪な笑みを作り、ゆっくりと動く。
「――あぁ、悪い。元“負け無し”だっけ」
 嘲笑うような声色に大輔の表情が強張った。言葉は追い打ちをかけるように紡がれる。
「大体、このチームで勝っても俺たちもう喜べねぇよ」
「なんでだよ、好きだから柔道やってんじゃねぇのかよ……」
「好きだったよ、先輩たちがいたあの頃までは」
 即答だった。鈍器で思いきり殴られたような衝撃を受け、大輔は言葉を失う。
「お前のおかげだよ、青山」
 鈍感だとはよく言われるが、ここで込められた皮肉に気付かないほど大輔は鈍くなかった。「お前のせいだ」と副音声が大輔の思考を、精神を強く揺さぶる。
 いっそ、本当に殴ってほしいとさえ思った。
「三年間アリガトウ。その礼に、俺たちから“敗北”をプレゼントだ」
「俺たちの気持ちを思い知れ」と吐き捨て、去っていく仲間。一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
 次々と離れていくその中、一人が大輔の肩に手を置いた。
「いいじゃん、青山はさ。どうせ個人戦あるんだろ?」
 そうして最後の一人も離れ、誰もいなくなった。一人になっても大輔はその場から動けなかった。
 大輔が主将に選ばれて喜んだ理由は、憧れにある。中学に入って、二学年上の先輩は大輔の憧れだった。強くて、明るい主将だった。いつしか、先輩のように柔道部全員で戦いに挑むような、皆に囲まれた中心に立つような主将になりたかった、はずだった。
 いつから忘れていたのだろう。いつから、こうなってしまったのだろう。
 憧れていたのだと気付いても、あまりに遅すぎた。あの人のように仲間に囲まれて、なんて。仲間に裏切られた、なんて。
 仲間なんて、いなかったのに。
 憧れた全国への切符は目の前で破り捨てられた。残ったのは、はっきりとした拒絶だけだった。
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