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「僕は、探偵になりたかったのです」
 タキシードを身に纏った三十才くらいの男は、一脚の椅子に座って溜息を吐いていた。私はその傍の瓦礫に腰を下ろして、聞くともなしにその愚痴を聞いている。だって他にすることがないのだから。
「謎を華麗に解く探偵が、そう、名探偵が好きなんです。憧れだったのです」
 彼の手には、一冊の文庫本が握られている。ぼろぼろに薄汚れたそれはもう読める代物ではないだろう。タイトルさえわからない。カバーなんてものはとっくになくなってしまっている。
「探偵は神のようで、無謬であり、時にはデウス・エクス・マキナになります。それに敬意を抱き、また恐れているのです」
 彼が見上げる空は、秋らしく雲もなく澄んでいる。
 地上の惨状など忘れているかのようだ。足元に延々と地平線の向こうまで広がっている瓦礫が空には見えていないのだろう。風なんかは遮るものがないおかげで、心地よさそうに吹き抜けている。
「でも、僕は頭がよくありません。推理小説では何度騙され混乱したかわかりません。探偵になど、なれるわけないのです」
 当然のことを、彼はさも重大なことであるかのように語った。まるで悲劇の主人公であるが如く振る舞う姿は滑稽だ。自分を正当化したいがための演説は見苦しくも続けられる。
「脇でただ見ているだけの観客であり、ミスリード役であり、……どんなにうまくいってもワトソン役にしかなれないのです。つまり無駄な人間なのです」
「推理小説は探偵だけでは成立しませんよ」
 慰めの言葉を口にしたのは、暇つぶしでだ。夕方の配給までは太陽の位置から察するにもうしばらく時間がある。
 まともな娯楽もないのだし、人だって減ってしまったのだから、今あるもので我慢するしかないのだ。未来にあるのは期待ではなく、諦めだ。だから私は適当に言った。
「無駄な人間もいた方がいいでしょう」
「本当に? 無駄な人間など世界にとって不要ではないのですか? だって文字通り、無駄なのですから」
 私の言葉を鵜呑みにすればいいものを、彼は救いを求めるような目でこちらを見る。吐き気がした。なんでこんなご時世に、赤の他人にすがられなくてはいけないのだ。
「下には下がいます。上には上がいます。平等なんて言葉は嘘でしかなくって、どちらかから見たら片方は無駄になってしまうんですよ。どうせ」
「そうですね。きっと、そうなんですよね。僕の上にも下にも無駄な人間はいる。僕自身だって無駄な人間。それでも……ときには有益にだってなれるはず、ですよね」
 彼は嬉しそうに言葉を紡ぐ。単純さに呆れて反吐がでそうだ。その無駄な人間というのが、この瓦礫の底にいるもはや人間でなくなった死体であったとしても、きっと彼には必要なのだ。でなきゃ彼は優越感を味わうこともできない。幸せそうで何よりである。
 一方では、この瓦礫の上で生きる人間がいる。
 一方では、この瓦礫の下で死んだ人間がいる。
 それが、今のこの場所だ。
 荒れ果てたこの地を見捨てた人間が何人いたことだろう? 一夜にして瓦礫の山と化したこの地は、もはや人間の生きるべき場所ではない。でも、そこに私や彼は生きている。世界が終わると思うようなことが起きたって、時間は動き続ける。
 これが残酷というものなのだろう。足を投げ出した先の鍋が体重でべこりとへこんだ。遠くから鐘の音が響いてくる。
「あれ、集会の呼び出しですかね?」
「配給にしてはちょっと早いですからね」
 よっこらせと立ち上がって、壊れたラジカセを踏みつけ、扇風機を跨いでいく。後ろから、足を踏み外したらしい悲鳴が上がったけれど、無視して旗のもとへと急いだ。
 もしこれで配給だったら、遅刻などできない。最後に残った余り物なんてごめんだ。潰れたコンビニおにぎりを咀嚼する気持ち悪さを、私は初日に味わった。自炊ができるならさせてほしいものだ。配給されるものよりは美味しいものを作る自信がある。それでも当番になって皆に振る舞うことは御免だから、この時ばかりは怠慢という言葉とお別れだ。
 もはや小さな集落となっている仮設テントの集合体に帰ってくると、旗の真下にある集会場に人だかりができていた。
「今こそ、我々は自ら立ち上がるべきなんです!」
 なにやら見知らぬ女が、拡声器で叫んでいる。いつもまとめ役を担っている一村さんは近くで誇らしげに女を見上げていた。
「この地は、たった数ヶ月前の災害によって全てがなくなってしまいました。多くの悲しみがあります。私だってそうです。でもそんな今だからこそ、我々は強く生きていかなければならないのです! いつまでもこのまま燻っているわけにはいきません!」
 たった数ヶ月前じゃない。もう、数ヶ月前だ。
 時間がすぎていくのはこんなにも早い。隕石が落ちてきたあの日のことを、私は昨日のように思い出せるというのに。
「隕石の欠片を売れば、復興のための資金を集まります! だからみんなで力を合わせましょう!」
 その女の演説は、無駄な足掻きに思えた。
 今更何をしたってこの地が荒れ果ててしまったことにはかわりはないし、元通りになんてならない。それに、形だけの復興ですら、向こう何年もかかることだろう。そんな状態で隕石の欠片ごときを見つけたって、ほとんど無意味だ。お金を手に入れたってそんなものは端金だ。「みんなのための復興」にでも使われてしまうのなら、結局ないのと同じになる。
 隕石の欠片というのは、ささやかな希望の象徴としてあげられただけで、きっとそのものの意味はどうでもいいのだ。一村さんもあの女も、曖昧なものを盲目的に信じて縋っているわけではないだろう。退屈した毎日を、遅々として前に進まない時間を、変えるためのきっかけでしかない。それがわかりきっている状態で、参加する気には到底なれなかった。
「面白そうじゃないですか」
 気づけば、真後ろに自称探偵志望が立っていた。
「隕石の欠片なんて、夢がありますよね」
 そんなもの、こんな終わった場所には必要がないということが彼にはわからないらしかった。入り用なのはそんな不確かなものではなく、もっと現実的なものだ。たとえば衣食住に代表されるような、健康で文化的な最低限度の生活を維持するためのものだ。
 さっき彼が持っていた推理小説だって良い例だ。毎日を生きていくのにそんなものは不必要なのだ。だって私たちは、身の回りのほとんどを破壊されたって、こうして息ができているのだから。
 それでも彼は、隕石の欠片に対して希望を見ているようだった。いもしない青い鳥を外で永遠と探し続けているようなものじゃないか。家に帰ることのないチルチルとミチルなど、自ら夢を壊し続ける存在に他ならない。期待を抱いて空回りすることの一体何が楽しいというのだろう?
 いや、もしも壊れてしまうことすら理解していないのだとしたら、あまりにも哀れすぎる。ただ家にいるだけで幸せになれるはずなのに、無意識の内にそれを手放してしまうなんて。
「自由参加だそうですよ。せっかくなら、参加させてもらいましょうよ」
 無言で首を振ると、彼は不満そうに眉間に皺を寄せた。
「明日暇なんでしょう? 絶対楽しいですよ」
 明日も何も、娯楽も仕事もなくなった今に忙しいという概念は存在しない。積極的に新しい生活に踏み出そうとでもしなければ、日々はありえないほど平穏で緩慢に過ぎゆく。それがいっそ、心地良いのだけれど。

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