「はあっ?」

 思わず出た大きな声に、薫は自分で驚いた。急いで教室の中をざっと見回し、自分が注目されていないことにほっとする。

「何だよー文句あるのかよーおいー薫ぅー」

 ひどく不満げな顔で、目の前の着崩した学ランは唇を尖らせた。彰人のその表情を見上げつつ、ずり落ちていた眼鏡を押し上げる。

「……そんな幼稚な顔をされても」
「失礼な。可愛いと言え」
「どこが可愛いんだか。子犬の方が断然可愛い」
「ちょっと待ってそれ勝てる気がしない」
「うん、無理だと思う」
「ちょっと待ってそれ挫ける気しかしない」

 机の上に出した参考書の山を整える。次の授業は数学だ。さて、今度はどんな計算ミスがあるんだろう。
 この頃の数学の授業は、教科書や参考書の答えの間違い探しが小さな楽しみになっていた。間違いは人間には避けられないことだが、さすがに三問連続で間違いを見つけた時はげんなりした。大学受験レベルの微分積分くらい、間違わないで欲しいものだ。

「ほら、どうぞってば」

 彰人は懲りずにそれを押しつけてくる。綺麗にラッピングされた、小さな箱。リボンはいかにも女の子が好きそうなクマの柄のもの。

「……趣味悪いんじゃないの」
「おれがラッピングしたわけじゃないから! そこ勘違いしないで! 市販だし!」
「だろうとは思ってた」
「……薫、この頃さらに酷いよな……」
「この頃彰人の絡みが酷くなってきたから」
「そこ比例させなくても良いじゃん!」
「反比例だと僕がゼロに近付くほどに君が無限大に近付くってことだから嫌だ」
「新手のツンデレ」
「ちょっとそこの窓から飛び降りてみる? 手伝ってあげるよ」
「丁重にお断り申し上げますごめんなさいすいませんでした」

 そんないつものことをしている間に、チャイムが鳴った。次の授業が始まる合図だ。教室のみんなが席に座っていく中、彰人は薫の席の横でのんびりとため息をつく。

「あーあ、時間切れかー」
「何の」
「口説きタイム」
「……まさか、君、僕に……」
「うっふーカオルチャン、何照れちゃっ」
「僕に数学で勝てると思ってたの?」
「何でまだ比例反比例の話引きずってるの」
「この前の数学の小テスト百点満点で一桁っていう点数出してたのに?」
「ぐはっ……やめて、カオルチャン……彰人のライフは、ゼロよ……」
「まあテスト範囲を前回のと間違ってたんだからしょうもない」
「これ以上抉らないでくれ! 親父にも抉られたことないのに!」
「前回のテストがどれほどの手抜きだったかがわかるね」
「……轟沈だ……」

 ぐったりと項垂れた彰人に一瞥をくれ、薫は呆れ顔で黒板の方を見た。いつの間にか教師が来ていて、ぼろぼろのプラスチックのカゴから教材を取り出していた。

「彰人。先生来たし、戻ったら?」
「ちぇっ。……じゃ、これやるから」
「え」

 先程までのうっとうしいやりとりは何だったのか、彰人は薫の机の上に箱をあっさりと置いた。薫の反論も聞かず、さっさと自分の席に戻って行ってしまう。

「よーし、授業始めるぞー……こら、彰人、何だ、お前の机の上の物は!」
「あ、国語」
「次の授業の準備をしてから休憩しろと何度言っている!」
「ひええ、すんませーん」

 教室の中が穏やかな笑い声で満ちる。彰人はおどけた様子で教科書を鞄の中から取りだしていた。
 呆れつつも、薫は机の上にちょこんと居座っている箱手を伸ばした。よく見ればリボンに何やら英字が筆記体で書かれている。

「ホワイトデー……?」

 チョコレート会社の陰謀と噂されているその日は、確かに今週の金曜日にあるけれど。

「……何で」

 それをもらう理由は思い当たらない。もやもやした気分のまま、机の下で箱を眺めていた時だった。

「……ん?」

 箱をひっくり返し、ようやく底に書かれた文字に気がつく。マジックペンで書かれたこの酷く角張った汚い字は、間違いなく彰人のものだろう。

『ふられた泣』

 その五文字でだいたい予想はつく。
 どうやら彼は誰かに告白して、あっさり振られたらしい。そしてそれを慰めてくれということだろう。よく玉砕しているが、まあよく飽きないものだなと思っていた。

「……不要になったものを押しつけてくるなんて……」

 だいたい市販の安いホワイトデー用の物をホワイトデー前に渡して告白、とは。ある意味凄い行為な気がする。手抜き感が丸見えだ、相手に怒られるのが当然というか。

「すんません、準備整いましたー!」
「遅い。――じゃあ始めるか。前回はどこまで進んだんだっけ?」

 教師がすぐそばの生徒のノートを覗き込む。彰人をちらりと見ると、いつもと同じへらりとした笑顔で机に座っている。いつも通りだ。
 そう。いつも、彰人は笑っている。
 彰人の気分がどんなにマイナスだろうが、彰人の表情にそれは比例も反比例もしない。
 それがきっと、彰人という人間なのだろうけれど。

「……仕方ないな」

 僕は後処理係じゃないんだけど。
 心の中で呟いて、箱を鞄の中に突っ込む。中身はチョコレートらしいから、あとでおいしくいただくことにする。仕方ないから彰人にもわけて、きっとその時あいつはぐだぐだ話をするだろうから、それを聞き流すくらいはしてやろう。残念ながら慰める気はない。
 教師が黒板に向かって数式を書き始める。カッカッというチョークの音を聞きながら、薫はノートを開いた。
 
 
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