行く手を阻むように、立ちはだかる五つの影。それを睨みつけていた少女は、このままでは埒が明かないと観念して顔を上げた。


 目覚めたら見知らぬ土地。聞いたこともないような学園名に、身に纏っているのは見覚えのない学生服ときた。
唯一の救いは、何がなんだか混乱しているのが自分だけでなく、他の生徒もだということだったが、その後の展開は少女にとって喜ばしくないものであった。
『成績優秀者は元の世界に戻れる』。提示されたそれは、良い。問題は『成績判断は、この学園における生徒同士の戦闘のみ』の条件。
普通の女子学生ならば卒倒ものだが、それは少女に当てはまらない。何故なら、彼女の家系は代々陰陽師だからだ。彼女も幼い頃から、そういった教育を受けてきた。

しかし、残念ながら特殊なのは彼女だけではない。この学園に集められた他の生徒たちは先祖返りばかりで、並外れた身体能力や、特殊能力といった何等かの力を持っているのだ。現に、前に並ぶ彼らも全員先祖返りだ。それも、前の中間成績発表からして、なかなかの手練れと思われる。
少女にとって戦いが回避できるなら喜んで回避したいところだが、そうはいかない。
特にこれといった元の世界に対する未練は浮かばなかったが、見知らぬ土地にいるよりは幾分マシだろう。それに加え、この学園では自分がやらなければ相手にやられるような環境なのだ。
気を緩めば命取りとなるような世界と、修行に追われ家の者から逃げ隠れする世界を脳内で天秤にかける。少々ぐらつき、重り数個の差で天秤は元の世界を選んだ。

これら全て、最初は夢の出来事だと思い込んでいた少女も繰り返される戦闘の中、初めて攻撃を受けた際にその考えを改めさせられた。
流れる赤い液体は熱く、傷を認識した瞬間からは血とは違う熱が身を焦がす。浸食していくように広がる痛みは確かに本物だった。
今までどうすれば夢から覚めるか模索していたが、この瞬間に少女は悟る。忠実に再現された風景も、小物も、騒音や感触といったそれらは全て、現実で起こっているものなのだと。

再度、目の前に立つ壁へ目をやる。――五人だ。それも全て、男。
痛む頭を押さえつつ、記憶を手繰り寄せる。正直、身体を動かすことに自信はないが頭には自信がある。生徒の情報は大体頭に詰め込んでいたはずだ。
脳にある情報と、影を一つずつ照らし合わせながら確認してゆく。そして、その顔がどれも勝ち抜くことを目的にした表情だと気付くと、小さく息を吐き出した。
――どうやらこの戦闘は回避できなさそうだ。

七星剣(しちせいけん)

囁くようにして、手持ちの札から剣を呼び起こす。
邪を封ずる、本来の使い方とは違うが緊急事態だと少女は自身に言い聞かせ、中腰の体勢で構えた。
刃の部分が少し短めだが、その分軽い。それに加え、特異な力の威力を半減してくれる効果を備えている。異能ばかりが集まる学園では良い御守りだ。

五芒星の桔梗印が特徴である剣を構え、標的を見据えようとした刹那、少女の背筋を形容しがたい何かが走り抜けた。正体は分からないが、それが良くないものだということだけは理解できた。
昔から悪い予感だけは外したことがない彼女は自慢しがたい能力に頭痛を覚えながらも気を引き締める。そのお蔭か、耳元で空間が歪むのにいち早く気付き、風を自在に操る天狗の先祖返りからの攻撃を避けた。
弾け飛ぶようにして前へ踊り出、峰で脇腹へ一撃。峰と言っても、骨に(ひび)は入るだろうと、呻きを耳にしながら少女は胸の内で合掌する。

そのまま地を蹴り上げ、宙へ身を翻す。丁度、彼女がいた場には水の牢が完成していたところだった。
まさか立て続けに攻撃を避けるとは思っていなかったのだろう。水を操る力を(もっ)て水牢を作り出した本人は、文字通り目を丸くさせた。
見る限り優男だが、彼女の性別を考慮した上で、できる限り傷をつけまいとした結果がこうなったのだろう。しかし、気付かう相手が悪かった。

彼女はただの女子陰陽師ではない。
安倍晴明(あべのせいめい)の血筋をひき、尚且つ先祖返りによって非常に長けた陰陽師であった。
一歩後退した足を少女の鋭い目が捉る。そのまま少女は優男――人魚の先祖返りにも天狗の彼と同じように一撃叩き込んだ。そして合掌。
残りの三人を見やり、少女の薄く開いた唇から吐息が漏れる。
燃えるような赤の瞳を持つ少年は鬼。女性が羨むような白い肌、美しい風貌を持つ雪男。そして、獣のように爛々と瞳を光らせる、狼男。

どう片付けるか。思考を走らしたのも束の間、獣独特の低い唸り声が空気を震わせる。
我に返った少女が前を見やると、先程まではなかった獣耳を生やした男子生徒が一直線に駆けてくるではないか。
驚異的な速さで距離が縮まってゆく。その速度は、元は同じ人間であることを失念させられる程であった。
あの鋭い爪で切り裂かれたら、もしくは尖った牙で噛みつかれたら。ただではすまない――。

「ッ、急々如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)!」

音にならない悲鳴を喉の奥へ押し込み、とっさに掴んだ霊札(れいふ)を発動させる。
剣で叩くようにした札は少女の合図と供に、それが紙から発生しているとは思えない度合の風圧を生み出した。
爆風は相手の足をすくい、吹き飛ばさんとばかりに吹き荒れる。そしてその風は術者からの命か、札に込められた霊力が底をつくまでは尽きることなく生み出し続けられるのだ。
無意識の行動だったが、狼少年の足止めに成功したことで少女が安堵の息を漏らす。しかし間髪入れず、彼女は真上から影が降ってくるのに気付く。

嫌な予感を隠せないまま顔を上げれば、腕を振り上げた状態の鬼が降ってくるではないか。
見上げたままの形で、その口の両端が思わず引きつった。
「今日の天気予報でそんなことは言っていなかった」と彼女は悪態をつきながらも必死に身をかわす。
瞬間、爆音と共に揺れる大地。
半壊したあの場に数秒前まで自分がいたのだと顔を青冷めさせた少女の視線が、雪男のものと宙でかち合った。
男が肺に酸素を取り込むのと、少女が剣を持っていない方の手で印を結んだのはほぼ同時だった。人差し指と中指を伸ばし、残りの三指を閉じる。

(りん)」と唱え、空中で横線を引く。
(びょう)」と唱え、空中で縦線を下ろす。
(とう)」と唱え“臨”の下に横線を引く。
(しゃ)」と唱え“兵”の右に縦線を下ろす。
(かい)」と唱え“闘”の下に横線を引く。
(じん)」と唱え“者”の右に縦線を下ろす。
(れつ)」と唱え“皆”の下に横線を引く。
(ざい)」と唱え“陣”の右に縦線を下ろす。
(ぜん)」と唱え“裂”の下に横線を引く。

その間、僅か数秒。
陰陽術の一つ“九字(くじ)”と雪男の口から放出された氷の(つぶて)が宙でぶつかり合った。
競り合いも見せず、異なる力が触れ合った瞬間に巨大な礫は煌めく粉と冷気となって空中で分散する。
少女の流れるような動きは一つも無駄がなく、自分の攻撃が無にかえされたにも関わらず、その鮮やかさに敵も目を奪われているように見えた。
 惹きつける先にある口元が吊り上ったのを視界の端で捉えた雪男は我に返るも、既に手遅れのようである。

雷呼(らいこ)!」

 少女の軽やかな指笛に呼ばれて立ち込める暗雲。
 六畳程に広がった漆黒のそれからは、絶えず何かが弾けるような音が発せられる。それだけでなく、時折、淵から漏れる火花に男の顔が青を通り越して土気色になっていった。
未来を読む、陰陽師の“先読み”と呼ばれる能力がなくとも、その先を読むのはそれほど難しくはない。それは陰陽術に精通しない雪男も同じであった。

数秒後の姿が脳裏を(よぎ)り――慌てて体制を立て直す間も男に与えず、少女の指が鳴らされた。全てを引き裂くような音を立てながら雷撃が放たれ、その凄まじい迫力と音量だけで彼らの世界が揺れた。
少女の意図か、直撃は免れたものの、その威力は舞台の崩壊を持って相手へ知らしめる。
コンクリート素材の床が弾け飛び、その衝撃を受けて雪男の身体は宙を舞った。そのまま、風に身体の自由を奪われていた狼男とまともにぶつかり、二人して意識を失う。
 その手際良い処理に括目している鬼へ向き直った少女は口元を吊り上げた。

「次はアナタの番ね?」

 不敵な笑みに一瞬見惚れるも、告げられた意味に気付き、少年の顔に赤みが差す。
他の四人より一回り大きい身体が怒号と供に突っ込んでくる様は、まるで弾丸を連想させたが、いくら剛腕の持ち主だろうが、頭に血が上った状態での攻撃は単調になる。
隆隆とした筋肉も虚しく、少女は鮮やかな剣捌きで峰を使って繰り出される拳をいなしてゆく。

そして雪男を倒した時のように素早く九字を切ると、少女の周りにいくつもの霊札が現れた。
突然の出現と、向けられた不敵な笑みに鬼は僅かに怯んだ。しかし、悪寒がしたところでこの勢いは止まらない。
距離を置く選択肢が瞬時に浮かび、消えた。

――当たって砕けろ。男は考えることを放棄し、己の全てを攻撃へ注ぎ込むと決めたようである。
剣で拳をいなす形は変わらず、少女の周りで浮かぶ霊札もそのままだった。
やがて一撃一撃が重くなっていく様を、剣を通して理解した彼女の目が細くなる。
いくら剣が異能の力を抑える力を持っているとはいえ、そもそも男と女では根本的に力量が違いすぎる。加えて、できないわけではないが少女にとって肉弾戦は得意というわけでもない。

仕上げと言わんばかりに、男子生徒の筋肉が盛り上がった。同時に風もないのに赤髪が揺らめく。
少女が瞬いたその間に変化は続き、開いた視界の先には腰まで伸びた赤い髪。そして、そこから覗く立派な角と、狼男と同様に鋭い爪が存在していた。
赤だった瞳は黒目を残して金へと変わり、鋭い眼光はそのままに少女を睨みつける。
まさしく鬼と呼ぶに相応しい姿にも関わらず目の前の少女が臆する様子はない。相も変わらず余裕が滲み出る態度に苛立ちが募ったのか、鬼の眉間に皺が寄った。
次の瞬間。

鬼魔駆逐急々如律令(きまくちくきゅうきゅうにょりつりょう)

呟かれたそれに、頼りなさげに宙を漂っていた札が一斉に弾け飛んだ。

「なッ!?」

向けられた男の驚愕が空気を揺らす。
身体の至る所へ飛ばされた札は、触れたところから白い煙を上げ始めた。
肉を焼くような音が立つも、男にとって痛みはないようで自分の身に起こる変化を把握しては目を白黒させるしかできない。
鬼や邪悪を封ずるために作られたという呪が今、実際に目の前で鬼の動きを封じている。
男は身動きできないどころか、鬼としての力を札によって封じられ、元の“体格の良い青年”の姿へ戻った。

「な、なんだよこれ……っ! くそっ!」

かなりの力を加えているのか、その顔は真っ赤染まり、血管が浮き出るが、札で抑え込まれた身体はぴくりともしない。
そして――慌てふためく青年に近付いた少女が鳩尾に剣柄を叩き込むと、筋肉質の身体は静かに地へ伏せた。

「ごめんね、個人的な恨みはないんだけど」

 静かに呟き、伏せる五人の男子生徒を見回す。早く戦いから無縁の世界へ戻りたいものだ。
零れた少女のため息だけが静かに空間を震わせた。


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