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おそるおそる顔を出せば、そこに真っ黒な男の人はいた。といっても黒人じゃなくて、普通の日本人の男の人。
その人はにっこり笑って私を見る。
「初めまして」
ああ、なかなかに整った顔に、良い笑顔じゃないか。ジャニーズには入れないが、有名番組のMCにはなれる。髪は染めていないらしく黒。これも私の中では好印象。
「時間屋です」
「……時間屋?」
ただし、名乗らなければ、の話だった。
何、そのネーミング。パン屋とか本屋とかのノリですか。花屋八百屋時間屋ですか。
「『時間屋』あなたの時間買い取ります。買い取り価格高値! 時間安売りセールも同時開催! 時間が欲しいあなた、お金が欲しいあなた、ぜひお呼びください!」
真顔で言い切ってふつりと押し黙る。決まり文句だろうか。だとしたら語呂が悪いし長いし意味がわからない。
「……えっと」
「要はあなたに時間を売りましょうという話です」
「はあ」
「欲しいのでしょう?」
知っていたかのように時間屋は微笑んだ。
「時間を――ね、佐藤由美子さん」
綺麗な発音で発せられた言葉は、そしてなぜか知られていた私の名前は、私の耳に心地良く響く。
時間。
そうだ、時間が欲しかった。期限に、蓮夜さんの誕生日に間に合わせるための時間が。
「なんで……」
「わたし、地獄耳なもので」
時間屋は嬉しそうに言った。
「お客様の声はどこにいても聞こえるんです」
「はあ……」
「立ち話も何ですから」
そう言って時間屋はにっこりとした笑みを私に向けた。
「中に入れてもらえますか?」
「……え」
「落ち着いてお話をしたいので」
「……え」
待て。
今私の部屋汚いし、第一彼氏どころか友達も入れたことがないんだぞ? 彼氏いないけど! 友達もいな……いや、いる! いるよ自分大丈夫いるから!
なんて心の中で漫才をしている間に、私は時間屋を部屋に招き入れていた。……うん、そう、招き入れてた。
なんでだろう。
「お気遣いは結構ですから」
なんか、抵抗がない。
「あ、でもいただけるのならコーヒーを。ブラックで」
何でも許せる気がした。それこそ、長年の友人のように。
初めて会った人なのに。
「時間は一秒千円です」
突然言われた数字に、私の頭は真っ白になった。
まさかの一秒単位ですか。
対して時間屋は、悠々とマグカップからインスタントコーヒーをすすっている。さも当然、と言わんばかりだ。
「……えっと」
「期限が一週間、とお伺いしました」
私の言葉を遮って時間屋は言う。ちらり、と目が机の端に避けたノートパソコンに移った。
「……どのくらいかかる方ですか?」
「え? ああ、創作ですか?」
「ええ」
「短編なら……思いつけば早いです。二時間くらい」
「おや、それなら一秒も要りませんね」
「え?」
「だってまだ一週間あるんですよ? 一週間は七日、百六十八時間です。単純計算で八十四本の短編小説が書ける時間です。話の一つや二つ、書けるじゃないですか」
さすが時間屋、計算が速い。そしてさすが時間屋、考え方がおかしい。
「待って、睡眠時間は? それに、推敲に時間は? 二時間なんて目安だし、第一」
言葉につまる。
そう、第一。
「第一?」
「第一……思いつかないんです」
話の内容が思いつかなくて、こうも悩んでいたのだ。思いつけば二時間。でも思いつくまでが大変で。
「どんな話を書こうか……。たくさん浮かんできてどれにしようか迷う、じゃないんです。全く思い浮かばないんです、書きたい情景や、人や、言葉が」
人はこれをスランプという。が、まだそんなに技量のない私にとってこれはスランプではなく、実力。地頭だ。
「なるほど」
そう言って時間屋は顎に手を当てた。
「では、七十二秒でどうでしょう」