今様歌物語
〜ここにいたい〜
中編 01
「冬明けて君に出会いしこの春の風が吹き込み鴇色が散る――」
朝、桜の花びらが雪のように舞い上がるのが見えた。花は雪とは全く違うものなのに、雪のようと表現するのは果たして正しいことなのだろうか、そう問われたときに私はどう答えるだろう。例えば春というこの季節が冬の次にくるもので、桜という花の一枚一枚が丸くて小さい欠片だから、と言ったところで味気ない。冬が名残惜しそうにしてるからとか、文学は気持ちと言葉の埋まらないすき間をそうやってどうにかして表現している節がある。
鳥が羽ばたくように、それも、まだ知らない生き方を模索する鴇のように、花びらは私の頭上をかすめていった……そんな気がした。
綺麗に舗装されたタイルを蹴って、朝も通った桜並木の道を朝とは逆に走る。ちょうど先週のことを、鮮明に思い出しながら。
自己紹介、ざわざわとした空気。それが私の一声で張りつめた。心がくすぐったい。それと連動してか、全身がむずむずと震える。走らずにはいられない。
私は結局あの場所でも物珍しい≠フだ。拍手は嬉しかった。でも私は決して、見せ物としてあの歌を詠んだのではない。
(悔しい……)
物珍しさが私を隠す。物珍しさが私そのものになってしまう。私は私でさえも、周囲に伝えきることが出来ない。
こんなことに、何の意味があるっていうの?
息を整えるために一度緩めた歩調も、あのワンシーンを繰り返し思い出すにつれて速まり、私はまた走り出す。視界に移る景色の脇で、家や電柱や街路樹が次から次へと流れていく。弾む息で喉の奥が痛くなる。全力で駆け抜ける私をすれ違い様にさりげなく観察する、他人の視線を振り切る。
「ちょちょ、ちょっと待って」
大学からアパートまでの道のりの途中にただ一つあるコンビニエンスストアから出てきた男の人が、声を高くして私を呼び止めた。最初、私を呼んでいるんだということに気付かなくて、彼はいくらか私を追いかける形になった。
「少し話したいんだけど、急ぎの用事でもあったのかな」
あっ、と私が思ったのと彼が頭をかきながら名乗ったのはほぼ同時と言えた。
「ああ、ごめん。俺、真鍋榛紀っていいます。文学サークルの……覚えてるかな。
背を向けて駆け行く君の羽風に揺蕩う魂と朧灯りよ」
その歌に込められた惜しみない心遣いは、自ら作った向かい風に冷えた体に痛くしみ込んだ。それなのに私には目の前の人までもがなんだか哀れに見えてきて、ただ憮然として「……大丈夫です」と答えることしか出来なかった。
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