可視光線では見えない
04
「クラスの奴らから、話は全部聞いたよ」

 せっかく忘れかけていたのに、思い出してしまった。まあ、そのことに関して駒浦には何の罪もないことなのだが、どうも気持ちの据わりが悪い。あの空気に今日は当分戻る気にはなれないし、駒浦と話すことさえぎこちないんじゃしょうがない。……どことなく、駒浦の方が普段に似つかわしくなく動揺しているようにも思えたが。
 俺は一つ、気になっていたことを駒浦に尋ねた。

「どうして隣のクラスの、今まで話したこともないような奴にあんな風に言われなきゃならないんだ」

 柚希の存在があまりにも大きすぎるからなのか?

「杉矢はなぁ。四ノ倉さんのことが好きなんだよ。それを聞いたのは……去年の、春頃だったかな」
「……よく知ってるな」

 そして、だいぶ前の話だ。

「四ノ倉さんのこと知りたいって言って向こうから言い寄ってきたんだ。好きになったのは、それよりももっと前の話かもしれないな」

 去年の春。俺がまだ柚希の存在を知らなかった季節。そして、そんな彼女に唐突に出会った季節でもあった。思い返せばずっと昔の話のように感じる。……あれからもう、二年が経とうとしているのか。

「あんな小心者の言うことなんか、気にしなくていいんだよ。お前らのことは、俺だけじゃなくてみんな知ってることだしな」

 駒浦がそう言って俺の方をポンと叩く。そう言われると、なんとなくではあるけれども、クラスのことは気にしなくてもいいような気がしてきた。
 しかしもう一つ、心に引っかかることがあった。

「……でもあいつは、どうして柚希の家の前にいたんだ? あいつの家はそんな近所なのか?」

 俺の素朴な疑問は、小さくはじけてどんどんと俺の中で広がっていく。

「俺はあの日、お前と二人で歩いていたんだ。確かに俺らと柚希の家の方向が違うから、変に見えたかもしれない。だけど、それだけの情報が俺らを追尾する材料になるとは思えん」

 俺のその疑問に、駒浦の顔からさっと血の気が引いた。その一瞬の変化を、俺は見逃さなかった。

「お前、何を知ってるんだ」

 どうして杉矢は俺らをつけた?



 駒浦は一、二秒唇をふるわせた後、俺の視線から逃げるようにうつむいた。

「俺を……つけてたんだろ」
「はぁ? 駒浦を?」

 言葉の意味が掴めない。しかし、冗談なんかじゃない、と駒浦の表情が言っていた。

「去年の春、俺は……あいつからの『依頼』を、すっぽかしたんだ。俺の勝手な都合で」

 そう言った後、駒浦は冷たく笑った。

「はははっ、『勝手な都合』も何もない。簡単な話さ」

 ひとしきり自分を笑った後の駒浦の目に、光が射してなかった。

「俺が、四ノ倉さんを好きになってしまっただけ。俺は自分の力で掴んだ四ノ倉さんに関する情報で、四ノ倉さんに近づいた。――杉矢にはなんの報酬も無く、ね」

 普段から散々人様の情報を掻き回しておきながら、なんということを。俺の中でまた、小爆発が一つ起きた。

「てめえ……人をなんだと思って」
「うるさい!」

 土を蹴って駒浦が立ち上がった。駒浦が声を荒げた、そんなところを初めて目の前にして俺は、二の句を継げないでいた。

「卑怯だとは思った。こんな卑怯なこと、自分だって嫌気がさしたさ。でもな、どうしようもなかったんだよ」

 それなのに、と言葉を止めたと思ったら、駒浦が俺に掴みかかって俺を膝立ちにさせた。

「どうしてお前なんだ! 俺は何のために今まで頑張ってきたんだ! どうして四ノ倉さんの隣にいるのが俺じゃなくて、どうしてお前なんだ!」

 駒浦の鋭い眼光に見つめられ、燃えるように熱くなった頭がすっと冷えていくのを感じた。駒浦の笑顔を思い出す。駒浦はいつも、俺の隣では笑っていた。例えばあの夏の鈍行列車の旅は、一生の思い出だった。夏の日差しも、畳の香りも、祭りの空気も、野原の芝の温もりも、あの時間の全てはこの全身で覚えているのに。

『これから先も一緒にいようと思う相手なら、君らに必要なのは思い出だ。違うか?』

 あいつは、誰がなんと言おうとあいつだけは、俺らのことを理解して支えてくれていると思っていたのに。

「人の心を弄んだあげく卑怯な手を使いやがって。俺はお前が本気だと思ったから、お前の気持ちを尊重したいと思ったから……」

 お前が柚希のことを好きでいることに、俺は何も言わなかったんだ。
 俺は立ち上がり、胸ぐらを掴まれるままに言い放った。

「自分の親友が自分の彼女のこと思ってるだなんて、嬉しいはずねえよ。でもな駒浦。人の気持ちにとやかく口出しする権利なんて、俺にも誰にもないんだよ」

 俺を睨み続ける駒浦の唇は、さっきから絶えず震えていた。

「お前なんかに俺の気持ちなんか分かるかよ」

 駒浦は俺より少し背が低い。充血して赤く染まった目が、斜め下から真っ直ぐに俺を捉える。

「勉強もした。身体も鍛えた。見た目だってお前よりも俺の方が評価がいい。お前なんかよりもずっと、俺は努力したんだ。なのに……なんでお前なんだよ!?」

 体温が2度くらい、下がったような気がした。全身の血が頭から足下へと一気に降下した。

「どうしていつもいつも俺ははじっこで、誰かのことを指くわえて見てなきゃいけないんだ。どうしてお前が四ノ倉さんの隣に居られて俺じゃないんだ。俺の何がいけないっていうんだ!」

 俺の襟元を掴んでいた手から急に力が抜ける。

「俺は努力した。そして情報さえあれば俺は言いたいことが何でも言えた。努力と情報で俺は、変わったのに!」

 駒浦……どうしてお前が泣いてんだ?

「それなのにお前はさ……どうして俺は、お前が、」

 整えられた髪を両手でくしゃくしゃと掻き乱して、駒浦はその場にうずくまった。

「羨ましいだなんて思ってるんだよ……!」

 俺たちの間を流れる風が、俺たちからそれ以上の言葉をさらっていった。それと同時にやってきたのは、俺がさっき記憶から呼び起こした彼女の言葉。



 ――それはまるで、影を見て光を見つけるみたいだと思わない?



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