確かな円運動が二人を繋ぐ
待望の金曜日
 竹林を通過する風はいつも爽やかで、ここが唯一の心の拠り所なのだと気付かされる。

「『F=ma。力の向きは加速度の向きと同じ』……」

 ノートの上の歪な文字列を拾って発音する。結構核心まで迫れたと思うんだがな。

「頑張ったね」

 柚希がくれる賞賛と微笑みは、何にも替えがたい俺の喜びだ。……だからこそ。こんなに近くにいて、笑いかけてくれる柚希の目の前で、俺はどうしても心のわだかまりを隠しきれない。

「……いいなぁ、柚希はモテて」
「え?」

 独り言のようにつぶやいた俺の言葉は、薄っぺらく軽い。

「お前、モテてるんだって。羨ましいって言ったの」

 それだけに、触れれば鋭く相手を傷つけてしまうのかもしれない。……知らないうちに。

「そうなんだ? 気づかなかった。興味もないし」

 しれっと言ってみせる彼女は、本当にそれが不思議だとばかりに答えた。不思議で、不思議で、そのことについて探求してみよう、なんて思っていやしないだろうか。

「もしかしてさ、望道……」

 柚希が四つん這いで俺の方に近づいてくる。清潔な香りがふわっと漂った。上目遣いの瞳が、軽い前髪の奥からきらりと覗く。

「嫉妬、してるんじゃない?」
「……」

 毒気が抜かれた、とでも言うのだろうか。やっぱり柚希は読心術を持っている。

「大丈夫よ、心配しないで」

 ペタッと芝に腰をついて、笑う柚希がいつもに増して眩しい。

「あのね、望道。私は、沢山恋ができるほど、器用じゃない」

 包み込むように俺の左手首を握って、幸せを噛み締めるようにはにかんだ。一方俺は、己の罪深さと柚希への申し訳なさで強い眩暈を起こしてしまった。

「私は不器用だから、一生で一人しか愛せな……」

 そしてそれに任せて、そのまま柚希にもたれかかった。腕も中にはちゃんと、彼女がいる。



 何分間、その状態が続いていただろうか。思い出したようにぎゅっと力を入れれば、柚希が同じようにギュム、と返してくれる。その繰り返しの状態が。

「円運動は、不器用な運動だ」

 無言を途端に突き破る俺の言葉だが、今度はそれほど軽くない。抱擁を解いて、潤んだ瞳を見つめた。



 円運動は、不器用な運動だ。中心からの距離さえも変えられない。しかしその運動の軌跡は、誰にも何とも言わせぬ、他ならぬ円だ。
 物体が運動を始めた途端、物体には中心方向の力が働く。それはつまり、中心が物体を引っ張っているんだ。たとえばそれは、地球の公転のように直接的な――そうだ、万有引力だ――力だね。物体は何の外力も与えられなければ、等速直線運動……つまり、真っ直ぐに進もうとするわけだ。
 けれども、円運動はそうじゃない。円は、どこまでも曲線だ。ということは真っ直ぐに進もうとする物体を邪魔するような力が働いているんだと言える。
 前向きに進みたいのに、進めない。邪魔されているのに、円なんだ。等しい力が加わって、前向きではないかもしれないけれど、決して中心から離れることもない。ずっと一緒に、円弧を描き続けている。そんな不器用な中心と物体との二人の関係が、人には……少なくとも俺には、美しく見えるのかもな。



「……って、かっこいいこと言ったな。円がこれほど奥ゆかしい図形だとは今まで一度も思わなかったよ」

 この言葉で締めくくってしまう。俺は柚希ほど語りがうまくない。

「図形的で立体的で、原始的で神秘的。運度の現象はいつだって魅力に溢れている……そう思うの」

 やっぱり彼女の話し方はうまい。自分の心中を話すとき、自分ことをよく理解している人ほど語り尽くすことができるように思う。俺はその点でも、柚希には敵わない。

「地球は物質という物質で構築されている。私たちもその物質の一部であることは言わずもがな。地球自身だって、その定理から外れることはできない。一つ一つの確かな定理が、そう、たった一本の定理がこの世に生まれでた瞬間、それは地球のすべてを包み込む。それだけじゃない。こうやって私たちが定理を語り合うことで、私たちも確かな何かで結ばれる。定理が等号・不等号で結ばれるのなら……なんて言えばいいのかな?」

 彼女は聞いてくる。でもその笑顔は、答えを知っている。……なるほど、こうやって柚希は俺の心の中を読んでいたんだな。謎も一つ解ける。

「たぶん、柚希と同じ答えだから、言わない」
「そっか、よかった」

 言葉の要らない会話は心地よい。決まりきっていて、確かなものを議論した俺たちは、暖かくて確かな『それ』の芽生えを喜んだ。

【了】



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