一話 学習された無気力 


 ひらひらと何か柔らかいものが頬を掠る。キメの細やかで、まるで絹とかそんなお高い布生地の様な触り心地であった。気持ちがいい、微睡みが私の肉親みたいにふわふわと私を抱く。ああいっそこのまま意識を落とせば良いのだ。赤々と照らし出される黒い影は瞼にじくりと焼き付いている。這う様に絹が私の足を巻いた。蛇、絹、冷たい、てらりとつるりとふわりと私の足を壊して行く。母は私の体を力一杯に強く抱いた。ぐうるうりと視界が反転、当てもなく空を泳ぐ感覚、果ての無い不安と心地よい安堵感、母よ。

 一旦幕を閉じ、黒に暗転。



 目が覚めれば、私は清潔感溢れんばかりの白い部屋に一人で居た。先程、いや、いつかは知れないが、絹の蛇に食べ尽くされた筈の足は以前のまま。動いてくれと願えば簡単にガクンと足先が上がった。衝撃でがたりと横になって居た寝台から体を落とし、腰に酷い鈍痛が走る。思ったよりも高さがあったとそれなりに後悔。じんじんとまともに立たない腰をどうにか引きずり、兎に角はこの部屋のことを調べなければと私は奮起した。
 まずあたりを見渡せば、淡い青のグラデーションがかかった壁紙、広い部屋の中には私と寝台だけ。部屋の四隅には子供が掴んで投げて遊ぶ様な木の玩具が幾つか転がっている。扉らしいものはない。見当たらない、見つからない。隠し扉でもあるのだろうか。はて、私は一体何から逃げているのだろうか。
 脇にある寝台に捕まり、足にも伝う痛みを食いしばって耐え、情けなく弱々しく私は立ち上がって一歩をかくんと踏み出した。骨だけで動いているみたいだ、。

 壁にべたりと張り付いた。痛みは幾分か和らいだ。壁のヒヤリとした触感が薄い皮膚を通して私に壁を教えてくれる。べたべたと壁を撫で、駄目だ、ここには何もないと息をつく。さあ這うぞ、穴はどこだ。かくりと出された足が玩具を蹴った。ガタン、あ、在り来たりな展開が目に見えるようで私は思わず目を瞑った。面倒、その一言で万事解決で言葉にそぐわず有能である。

 目の前にありますは赤の扉、青に溶けたこの部屋にはひどく映える色である。私意外に誰もいない窮屈で広い部屋、水草だけが鬱蒼と沈められた水槽が頭に浮かんだ。ひどく息苦しい、苦しい、足掻いても浮かぶことはできない。水でできた鎖などそんなものは容易く切れて床に落ちてしまう。だから私は外を一心に目指すのだ。

 世界は暗転、闇から光も然り。



 無気力を学習、私に学習能力はない。只管にドアの向こうを目指して息絶え、こうして鎖で雁字搦めに巻かれた牢屋にて目を覚ます。いや語弊がある。目は覚めない、目は常に冴え渡っている。沈む世界に意識だけがぐんぐんと浮上するとは、なんとも難いルールであろうか。

「いい加減に思い出せばいいのにね」

 硝子越しにこちらをてろんと見つめる少女の愛らしい目、罪はそこには無く、学ぶ、沈む、無気力に、。
 ああ、母よ。



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