小瓶に波打つ薄桃色の液体。片手に収まる程度の大きさのそれを二、三度振り揺らし、沖田はふんと鼻を鳴らした。


「“ご利用者様の体液を本薬に混ぜご使用下さい。尚、服用させたい相手に効能を知られないよう十分留意願います”、……ね」


やけに生々しい注意書はご丁寧な日本語表記。しかしこの怪しげな薬品の持ち主は江戸で商う天人連中、つまりはこの地に住まう地球人に売り飛ばして一儲けという算段だった訳である。いい加減駆逐してやりたいが上の命には逆らえないのが悲しき公務員の性だ。幕府を敵に回すことに何ら恐れは無いが、近藤に迷惑を掛けるようなことだけはしたくない。傍若無人な振る舞いに定評がある沖田といえど、真選組の一員であるという自覚は十分過ぎる程に背負っているのだ。


「それにしても惚れ薬たァ、あちらさんも随分暇らしい」


麻薬の類が出回るよりは平和な話だが、こんなものを欲しがる人間が果たしてそう多く存在するものなのか。疑問に思わなくもないが、人間の汚い部分に目敏いのは同じ人間よりも天人の方だ。情けない世の中になったものだと嘲ろうにも、自分達役人も褒められた立場にいるとは言えない。

──おまけに、このようなくだらないモノに縋りたくなる気持ちが分からないでもなかった。


(チャイナに使ったらどうなってくれんのかねィ……)


見目の良さから女は選り取り見取りだろうと評される沖田には、選ぶまでもなく心を奪われた一人の少女が居た。


「さっきから何ブツブツ言ってるネ?ていうか、なんだヨソレ」
「なんでもねえよ。ったく、勝手に寛いでんじゃねーや」


食い荒らした菓子の包装を手すさびながら良いじゃねーかヨ、と悪戯な笑みを浮かべた神楽に思わず舌打ちをする。あれだけ大規模な喧嘩を繰り広げる相手の部屋で無防備に寝転がるとはどういう了見か。男として意識されていないのだと思うとなんとも切ない気持ちになった。下世話な話、想いを自覚してからは何度も脳内で汚してしまう程に神楽に女を感じていた。初めこそ罪悪感もあったが、所詮男など即物的な生き物だ。好意が募ればそのような行為を求めるようになるのも致仕方無いと開き直った。とはいえあくまですべては想像上でのこと。二人の関係が変化する筈もなく、ただ、いつからか神楽は用も無しに沖田の自室に居座ることが増えた。都合の良い期待をしようにもあまりの無警戒ぶりに自信を喪失、指ひとつ触れないまま何度その背中を見送ったことか。


「……毎度毎度言ってるが、此処に居たって相手なんざしてやれねえぞ。公園でも行ってガキ共と遊んでろィ」
「気分じゃないアル」


一蹴された言い分に燻っていた苛立ちが思考を燃やす。蓋を乱雑に取り外した小瓶を傾け、沖田はぼそりと呟いた。


「……人の気も知らねえで」


ぐい、と一気に怪しげな液体をあおる姿に訝しげな視線を寄せた神楽が軽く身を起こした刹那、その胸倉を強引な手が掴み上げる。
自棄になっているのだと、自分がよく分かっていた。
それでも自分を止めようとはしなかった。我慢の限界だと、悪いのは無防備な神楽だと言い訳をしながら、沖田の唇は神楽に触れる。重なった唇、柔らかなそれを割り開き、見開かれた蒼を細く見つめながら口内の“惚れ薬”を流し込んだ。口移しで飲ませれば薬が偽物であっても接吻したという事実は残る。ひとり悶々と悩むくらいならいっそ困らせてしまえばいい、好敵手でしかなかった男の為に精々悩めばいいと半ば八つ当たりのような行動だった。


「ん、む」


──ごくん。
微かな音に飲み込んだことを確認し顔を離す。目を合わせても呆然とした表情があるだけで、特別な変化は見られない。今に鉄拳か激しい口撃がお見舞いされるだろう、内心諦めつつ乾いた笑いを零したときだった。


「う、おっ……!?」


倒れ込んできた身体を咄嗟に受け止める。くたりと脱力したそれは沖田の驚きと焦りを余所にそのまま静かに寝息をたてはじめた。


「……なんでィ、やっぱりニセモンか」


期待していなかったといえば嘘になるが、こんなことだろうとは思っていた。惚れ薬などと都合のいいものがそう簡単に量産出来る筈がない。立派な詐欺未遂が立証されたという訳だ。よしこれを近藤さんへの土産に土方を追い落とそう。理不尽に標的の駆逐方法を考える沖田の腕の中、小さな身体がもぞりと身じろぎした。


「……目ェ覚めたか」


寝惚けたように緩んだ表情がまばたきを数度繰り返す。押し入れからなんとか引きずり出した布団に少々雑に放り投げた神楽に声を掛け、一発くらいなら殴られてやろうかと沖田にしては殊勝なことを思いながら傍に胡坐をかき座った。


「チャイナ、さっきの事ァ」
「もっとちゅーしたいアル」
「ああ俺もしてえ、って、……は?」
「ちゅーしたいアル」


──本物だった。


「好き、好きアル」
「おいチャイ……」
「だいすき、おきた」


幾度となく夢想した自分を求める神楽の姿。蕩けるような笑みで愛を囁きながら迫ってくるその姿は堪らなく扇状的だ。おまけに神楽が居るのは決してこんな展開を意図した訳ではないが自らが用意した寝具の上。無意味な期待はまた膨らむ。


「……チャイナ」
「おきた」


橙の髪に指を通し纏められたそれを梳きつつ髪飾りを外す。肩に落ち赤に散らばる色はいつ見ても鮮やかで、夕焼けのように眩しい。
神楽から手を離し、大きな溜息を吐き出す。


「……勝手なことしといて悪ィが、正気じゃねえてめえとどうこうなっても嬉しかねェ」
「……なんで?」
「いいから今日は帰れ。じゃねえと」
「嫌アル!ずっと、私、ずっと前から」
「っ、チャイナ……!?」


突然取り乱したかと思えば瞳からぼろりと涙を零し再び倒れ込むように寝入ってしまった神楽に、どうやら身体に優しい薬ではなさそうだと転がった空の小瓶を睨む。目を覚ました瞬間から催眠でも掛けたかのように効果を表し始めたのだ、恐らく次に起きた時には神楽も元に戻っているだろう。結局のところ、偽物ではなくとも失敗作、不良品ではあったということだ。


「余計な負担掛けちまって悪ィな……」


眠る神楽の頬を撫で、起こしてしまわないよう静かに部屋を出る。今度こそ殴られるだろうかと頭を掻きつつ水の入った湯呑みを片手に自室に戻れば、身体を起こし低く唸り声をあげる神楽がぎこちない動作でこちらを見上げた。


「ん……、うう、なんかごっさダルいネ……」
「そりゃお前、あんだけサカって俺に迫ってきたんだぜィ?疲れもすらァ」
「意味わかんねーヨ……」


相当応えているらしくそのまま上半身をうつ伏せにへたりこんでしまう。仕方がないと湯呑みを卓上に除け神楽を抱き起こすと、副作用を危惧し額にぴたりと掌を乗せる。穏やかな体温に熱はないことを確認し、安堵からか少しからかうつもりで普段は隠れたそこに小さく口付けを落とす。
薬が効いていた間のことは反応からすると忘れているようだ、ここでいつものように殴りかかってくるようであればあんな安全性の保証されない物を試した責任もそう重くはならないであろう。湯呑みを持ち直し甲斐甲斐しくも神楽の口元に水を運びながら、考えるのは呆れた開き直りのような言い訳だ。仮にすべてを思い出した神楽が責任を取れと喚いたとしても娶る準備は出来ているのだから大した問題でもないが、その場合の面倒はあの大袈裟な保護者だ。
片手間に思考をしつつ傾けた湯呑みの水は、勢いをそのままに流れ落ちた。


「……あ?何してやがるテメー」


神楽の顔は大いに背けられ、色を濃くしたチャイナ服に轍を残した先には寝具の上の水溜まり。何とも不可解な状況に沖田は眉を寄せた。


「おい」
「ッ……!!」


沖田の腕によって支えられている状態である神楽に逃げ場は無い。強引に顎を掴まれ曝け出された表情を隠す余裕はなかった。


「……あ?」


潤んだ瞳も上気した真っ赤な頬も、薬が作り出した紛い物だ。神楽の様子からも効果は切れた筈で、証拠にあれだけ熱烈だったアプローチなど影も無い。

──目の前に居るこの女は、どうしてさっきと同じ顔をしている?


「い、まっ……、オマエの顔見てらんねーんダヨ……!!」
「ふざけんな。手ェ退けろ」
「い、やアル、恥ずか、し……、なんで」


腕に表情を隠そうと縮こまる首。しかしそれを沖田が許す筈もなく、じたばたと暴れる神楽相手に二度目の舌打ちをすると濡れてしまった布団から引きずるように自らの方へと引き寄せた。容易に持ち上がる軽い身体は沖田に乗り上げると、諦めたようにへたりと脱力する。
口元が緩むのを抑えられず、ざわざわと騒がしい感情を持て余したまま神楽を抱き締めた。

(ずっと前から──)

神楽の言葉を反芻し、ますます腕の力は強まる。
不良品だなんてとんでもない、あれは本物だ。ただ、名称は自白剤にすることを勧めるが。


「ずっと前から、俺のこと好きだったんで?」
「!?っバ、カじゃ」
「今更誤魔化せると思ってんのかィ?てめえがトんでる間に言ったこと、忘れてなんざやらねえぜ」
「言ったこと……?」


ほどいた橙色から覗く耳元に、あの素直な愛の言葉をそのまま流し込む。吐息にびくりと揺れ離れようとする神楽に不敵な笑みを浮かべると、トドメのごとく最上の甘ったるさで囁いた。


「俺は愛してるぜィ?神楽」


──薬の効果の余韻か、神楽はキャパシティーオーバーに熱を出す羽目となった。持ち前の回復力に本調子が戻るのはすぐだったものの、すっかり恋人面の沖田の口に出すのは憚(はばか)られる看病という名のセクハラによってその日万事屋に帰ることはなかった。




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リルルさまリクエスト
『攻め神楽』

遅くなってしまいしかもリクエスト内容もブレブレで申し訳ありません。結局いつもの沖神でした…。安定の隊長としてどうかお納めください。
リクエストありがとうございました。


2013.5.17




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