text1 | ナノ
 

無題

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 はあ…。
 またため息をついてしまった。朝焼けと夕日と星空の、どれにするかを決めかねておざなりに混ぜ合わせたような色合いの空に溶けゆくそれを眺めながら、今日はこれで37回目だなんて考える。近頃のオレはこんなふうにため息をついてばかり、しかもその回数を数えるのが癖になってしまっていた。要するに悩んでいるというわけだ。あまりにもわかりやすい自分、嫌気がさして吐き出しそうになった38回目を慌てて押しとどめる。
 どうしてこんな状態なのか。…あまり考えたくはない。かといって見上げる空に答えがあるはずもなく、視線を下に向けたところで赤茶けた荒廃の大地が広がるばかりだ。まあこれは終わりというより、はじまりに近い状態なのだけれど。
 どちらにせよオレにとっては大した違いじゃない。嫌味なほど今の気分に見合った風景、むしろ慰みすら感じてオレは今度こそ38回目のため息をついた。肺どころか体ごとしぼませつつ奥底に澱んだものを溶かし込むようにすれば少しは楽になれる気がして、こうするのも悪いことばかりじゃないと思う…が、次の瞬間には手のひらを返すはめになった。
 ため息なんてつくもんじゃない。俯いてたせいだ、反応が遅れたのは。
「フリオ、ニールー!!」
 大声で呼ばれて、オレは頭を抱えたくなることも、後ずさりそうになることにも耐えなくてはならなかった。前者はそうしてしまうのがわざとらしい気がしたから、後者はもう意味がないからだ。…くっ、あと3秒、いやその半分でも気づくのが早かったなら。
 ティーダはまだあるように見えてその実見えただけだった距離を、飛び跳ねるような軽やかさと信じられないほどのスピードであっという間に詰めてくる。捕まえた!その上胸ぐらを掴まれて逃げようがない。
「観念しろ」
 唸るような調子だった。さらには突き刺すような視線。なんとか背けようとするオレの顔に穴を開けようとするかのように容赦がないそれに怯みながらも、意を決して見れば思った通り、得意げな顔でもましてや笑顔でもなく、殺気すらまとった怒りの表情がそこにあった。
「…ティーダ」
「今日という今日は許さないからな」
「わかった。わかったから落ち着いてくれ」
 それと、離してくれ。言葉は尻すぼみになってしまってうまく伝わらなかったかもしれない。
「落ち着けるわけないだろ!誰のせいだと思ってんだよ!」
 もちろんオレのせいだ。諸手を掲げて降参の意を表してはみたものの、受け入れられる様子はない。けれどティーダ、どうか。離してくれ、この願いはおまえが思うより切実なんだ、…近い。近すぎるんだよ。それさえ解決すればいくらでも話をするから。
 実際のところオレは切実なんてものを通り越してとてつもなく焦っていた。迫るようにして寄せられた顔。ともすれば視界いっぱいに広がりそうになるそれから背を反らすことでなんとか遠ざかろうとする。目線は当然のように泳いでしまって、ティーダを余計に怒らせることになるんだろうがしょうがないという他ない。勝手に下がりそうになるのを留めるので精一杯だ…だめだ見るなそこを、じゃあどうすればいいんだどうしたって視界に入ってくる。
 さんざん迷ったあげく、はっとして単純なことに気づいた。基本だ。目を見て離せばいいんじゃないか。
「なあ、ティーダ…」
 幾分か気が軽くなって顔を上げた、
「…っ!?」
 そしてすぐに息をのんだ。
 目を合わせた瞬間、それまでの射貫くような力強さが嘘のように消え去り、つり上がっていた目尻が勢いよく垂れ下がったんだ。さらにはものの数秒で潤む青い目。
「ティーダ…?」
 雨に降られた水面のように揺らめくそれを、思わずじっくりと覗き込んでしまう。涙が。溶け出て流れるに違いないと思われたそれがしぶとく目の際にしがみついたまま光を反射しているのに、なぜだか釘付けになった。ティーダが何かを言おうと口を開いて、ためらって閉じる、オレは明らかにそちらを気にしなければならないはずなのに、ああ落ちる、とそればかりが心配で。
 だから危うく聞き逃すところだった。何で、とティーダは言った。その声は小さく頼りなげで、やはり先ほどまでの強気な態度とは一変している。きちんと向き合うべきだ。この段になってもこぼれ落ちるはずの涙を凝視し続けるなんてとんだ現実逃避を。
 事実、オレの往生際の悪さをとがめるかのように瞬き一回の間にそれは消えてしまった。オレは呆然とする。頬に残った一筋の痕。自然とそれを追って行き着いたのは、ティーダの、今はやや突き出すようにしている…。
「何でオレのこと嫌いになったんだ?」
 鼓動が高鳴って痛んだ、そんな錯覚を起こしたところだった。そんなことを言われても理解なんてできるわけがない。今なんて?聞き返すオレの顔はさぞ間抜けに見えただろうと思う。
「嫌いになったんだろ?」
「そんな…なぜ」
「だってそうだろ!」
 激昂したティーダが手に力を込める。不意をつかれて締め上げられたオレは、なんの抵抗もできないままその先を聞いた。ずっとオレのこと避けてた。ずっとだ。今だってそう、顔も合わせたくないぐらい嫌なんだ。そうなんだろ!?
「違う」
 もちろんそう言いたかったし、言った。だが息が苦しい、ただでさえ混乱して弱っていた思考能力がさらに奪われて、すぐには続きが出てこない。
 そんなオレの様子を勘違いしたんだろうティーダはなおもせき立ててくる。じゃあ何で避けてたか言ってみろよ!言い淀む。鼻で笑われる。自分のことを棚に上げて傷ついた気になったオレの脳裏に、影のような面立ちをした考えがそろりと這い寄ってくる。…何でオレばかりが責められなきゃいけない?
「やっぱりそうなんじゃん」
 一度考えてしまったら、間違っているとわかってるのに止められなくなった。…たしかに顔を合わせなくて済むようにと振る舞ってきたのは事実だ。だがそれは理由があってしたことだった。おまえだって本当はわかってるんだろう?
 感情というのは厄介なもので唐突に制御ができなくことがある、さきほどのティーダがそうだったように。気がつけば焦れて手を離すティーダを追いかけ、オレのほうから両肩を掴んで引き寄せていた。開き直って早く楽になってしまいたいという気持ち、…身勝手なことにそれだけじゃなく。
「そうだ…おまえのことを避けてた。しょうがないだろ、気まずかったんだ!」
 つまるところ逆上というやつだ。気づいたときには手遅れだった。
「あんなことがあったんだぞ?どんな顔をすればいい、今だってこんな近くで」
「…はあ?」
「何もなかったふりをしろっていうのか?オレにはむりだ!」
 堰を切るのを許してしまったのが運の尽きといったところだろうか。みっともなく喚く自分を遠くで眺めているオレがいる、そんな気分だった。何せこれほどの勢いで感情に飲み込まれるなんてまったくの予想外で。
「あー…フリオ?」
 反動というのもあるのかもしれない。それにティーダの態度。心底不思議な様子で首をかしげている、勝手だとわかっていても考えてしまう。白々しい。無責任だ、オレは一人であんなに悩んでたのに…。
「何の話してるんスか?」
「決まってる。あの日のことだ」
 ため息をつくのが癖になってしまった日のこと。
 本当ならいつもと変わらない、闘争の一幕でしかないはずだった。おまえは相手チームにいた。終始優勢に立ち回ったのはオレたちのほうで、それは連携がうまくいったとか、召喚が滞りなく成功しただとか、これまたいつものように要因はいくつもあったように思う。けれど一番は間合いがかみ合ったからだ。おまえとの間合いが。覚えてるだろ?決して寄せ付けず、また振り切られることもなく、オレからしても改心と呼べる手際で攻防を制することができた。結果どうなったかといえば、ティーダ、おまえがムキになったんだ。勝敗が決したというのに挑んできたよな。
 そうしてオレは隙を突かれた。だってそうとしか言えない、あんなの…オレは攻撃をいなしただけだ。おまえはバランスを崩して、反射的に腕を掴んできて。そしたら今思い出しても意味がわからないほどオレまでよろめいてしまって、踏ん張りきれずにぶつかったんだ。
 唇が。唇に。
 …だがあれは事故だ!
「わざとじゃなかった!」
 そうだわざとじゃない、絶対にわざとじゃない。できるもんか、周りにあれだけ人もいたんだぞ。そのこともあってオレの頭は一瞬にして真っ白、体勢を維持したままきっかり30秒、いやもっとかもしれない、ただ瞬きだけができたのを覚えている。
 あまりにも長い時間だった。感触が残るほど。体温とその分け合い方をつぶさに思い出せるほどだ!
「だから?」
 だから、…だから?
「いや、だから何だよって。まさかそんなことでオレのこと避けてたのかよ?」
「そっ…」
 オレは絶句した。…そんなこと、今こいつはそう言ったのか?
 ティーダは輪をかけて不思議そうな顔をすると、首をかしげながらオレを覗き込んできた。濡れて束になった睫毛が縁取る目、探るような視線。いっそ不躾なほど顔中を舐め回すそれにますますわけがわからなくなった頃だった。
 唇にいつかと同じ感触が落ちてくる。
「フリオってさ、バカだよな。知ってたけど」
 もう一回。
「バカまじめってやつだ。あ、褒めてるんじゃないぞ」
 …さらにもう一回。眼前いっぱいにティーダの顔がある。笑っているように見える。いたずらにというよりは、しょうがないな、といった感じだ。
 オレのほうはといえば、遅れてなだれ込んでくる情報量にただただ錯乱するばかりだった。コンフュをかけられたところでこうはならないだろうというほど。もしかしたらスタンやカーズにもかかってしまったのかもしれない…とりあえずこのままじゃ埒があかない、簡単なところから拾い上げるよう努力してみようと思う。頬が熱い。いつの間にかティーダの両手に包み込まれている、ああでもきっと、そのせいだけじゃない。次には振動を。ティーダが笑っている、その震えがほとんど触れたままでいる唇から伝わってくる。
「なあ、フリオ」
 ティーダは額をつき合わせるようにして、子供を諭すような調子で言った。
「オレはあんただったら命を預けられる。だからちゅーすんのぐらい、どうってことない」
 だろ?言い切ったティーダはそのまま、とどめとばかりに目を閉じて見せた。腕がするりとオレの首に回る。引き寄せてくる。選ばせるようでいてその実選択肢など与えない仕草。…キスしろ、と。
 こんなことがあっていいのかという思いがしていた。ティーダが言いたいことはわかる気もするが、だからってあんな風にけなされるいわれはないし、まるごと納得できる内容でもない。突拍子がなさすぎる。おまえは命を預けられる相手なら誰とでもできるのか?一方で間違っているのはオレなのかもしれないというような思いもあった。単に唇と唇を合わせるだけだ。たしかに何でもないことなのかも…いやその考えこそ間違いなんじゃ。
 頭に血が上ったり失せたり忙しない。オレは自然とため息をついていた。39回目だ。癖になってしまったとはいえこの状況でも律儀に数えている自分がおかしくて、密かに笑った、そうして生まれた余裕はオレの背中を押した。
 合わせた唇の感触は、今までと比べるべくもない鮮やかさだった。
 こんなふうに力強く押しつけたのはこれが初めてだったからかもしれない。鼻面がぶつからないように気を遣った角度で、隙間がないように、あわよくば接合でもしてしまえばいいという気持ちで。すでに何もかもをかなぐり捨ててはいたが、そうしているとさらにそれまでのことがどうでもよくなっていくからおかしい。
 率直な感想は、正しい、ということだ。
 それは先ほどのティーダの言でもあったし、キスという行為そのもの、ティーダの顎を掬い上げるようにして固定するオレの手や、互いの背に回しているほうの手、ティーダが半ばつま先立ちをして体を寄せてくること、そのすべてだった。正しいことをしている。だってどこもかしこもぴったり合わさっている。特に唇はいっそうそうだ。ここにこうして収まるべきだったという心地、元からこういう形をしていたという確信めいた思い。
 何でもっと早くにしていなかったんだろうとばかばかしくなってしまうような有様で、オレたちは呆れるほど長い間そうしていた。
「ほらな。どうってことないだろ?」
 唇を離し、砂埃をまとった風がオレたちの間を通り過ぎるのを許し、ティーダは言った。
 その様子は涼しげだ。さっぱりしている。…しすぎている。いかにも憂いごと全部解決してやったと言わんばかりの清々しさだ。
 確かに解決したと言ってもよく、オレも喜ぶべきなのかもしれなかった。けれど…どうしても肯定できそうにないんだが。心中穏やかでいろっていうのか、これで?詳しいことは何もわからない、ただ新たな問題に直面したことだけを悟る。
 これをとてつもなく単純なところに落とし込むとするなら、…不満だ。このオレの状態は尋常じゃない。心拍数は上がってるし、顔が熱い、指先が震えているような気さえする。それに比べティーダのこざっぱりとした様子ときたらどうだ?何でオレばっかりが。おかしい、不公平だ。
 何でそう思うのかはやはりわからないし、今は考えられそうにない。確実に言えるのは、オレはこれからもため息をつくだろうし、その意味が前回の39回目から、まるっきり違う意味に変わったということだ。

2020/11

 



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