1.牧き人ひつじを 守れるその宵
冷たい風に舞い上げられた雪がガラス窓にぶつかり、温かい部屋の熱で溶けてゆく。
結露で曇ったその窓から外の景色は見えない。
クリスマス・イブの夜。風の音だけが静かな部屋に響いていた。
ひと月後に大学入試を控えている千恵は、机に飾られた写真を眺めながら少し物思いに耽り、小さく溜息をついた。
……せめて今日ぐらいは会いたかったな。
駅の階段で私を助けてくれた、あの一年前の出会いを思い出す。
その人は初対面なのにどこか懐かしくて。穏やかな瞳に吸い込まれそうだった。
もう少し一緒に居たい。このまま離れたくない。
そんな私の願いを見透かすように誘ってくれた夕食の席で、食べたのはイタリアンだった。
ドキドキして、舞い上がってしまって、トマトソースの何かを頼んだ事は覚えてるけど味はよく分からなかった。
思えばあれが初デートだったんだから、どんな会話をしたか、隅々まで覚えておきたかったのに。
今しっかりと思い出せるのは、高揚した気持ちと、帰り際に貰ったメールアドレスを家で何度も眺めた事だけだった。
そっと手を伸ばし、写真立ての中の彼に触れてみる。
アクリルガラスが冷たい感触を指先に伝える。胸だけがキュッと切なく、甘く疼いた。
出会いから一年。
講義と部活とバイトで忙しい彼と、週末が模試で潰れる私は、メール中心のゆっくりとした交際を続けている。
分からない所を教えて欲しいと頼めば、待ち合わせは図書館になり。
心地良い声に聞きほれて説明が頭に入らない事もしばしば。
集中しろ、と優しくいさめる彼に参考書を示され、その度に顔が熱くなる。
デートだと感じられるのはその帰り道、私のマンションまで並んで歩く10分ぐらいだけだった。
最初の頃は30cmくらい離れていたのが、段々近づいて、肩が軽く触れ合うほどになって。
時折ぶつかる手の甲をそっと温かい手で掴まれた日は、心臓が飛び跳ねた。
今では自然と差し出される手に自分の手を滑り込ませ、家までの幸せな時間を積み重ねている。
同級生に話したら笑われそうなくらいもどかしくてゆっくりな私達の恋は、「大学生と交際している高校生」のイメージから遠くかけ離れていた。
「頑張るね。合格したら……沢山デートしたいな」
写真立てのはじめさんに声をかけ、びっくりしたように目を見開いた写真から元気をもらう。
友達に借りたチェキで撮った、世界で一枚の大切なポラロイド。
突然カメラを向けられて驚くその表情はどこか恥かしそうで、いつもと違った顔が新鮮で気に入っている。
次は二人並んで撮りたいな。
そんな事を思いながら、私ははじめさんに見守られている気分で、再びノートに目を落とした。
一昨年までクリスマスを一緒に祝ってくれた両親は、事故で他界しもういない。
思い出の詰まった家からアパートに移り住み、親の知人や親戚の誘いを断って一人暮らししている。
その部屋で今夜は一人きりのクリスマス・イブ。
私は寂しさを打ち消すように、シャーペンを走らせた。
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