48 羅刹
沖田の診察を終えた松本は、診察結果に眉を寄せ、広間を後にした。
千鶴の待つ幹部棟に足を進めながら、この結果は勇と土方にはかなり耳が痛いだろうと苦笑いする。
だが医者の言葉に遠慮は不要、と決め込んだ。
「先生、雪村です。お待ちしていました。今大丈夫ですか?」
裏庭で声を掛けてきた千鶴に、松本は足を止めて笑顔で頷いた。
「ああ……そうだな、先に君との話を済ませておこう。いや、確認してからの方がいいのか?
おっ、丁度いい、勇! この子はどこまで知ってるんだ? 親父さんの事、話してやっていいかね?」
「先生終わられましたか、いや今日は大変有難かった! ん? 雪村君か。そうだな……話してやった方がいいかもしれんな。
綱道さんの娘さんだ、芯の強い子だから受け止められるだろう。トシには俺から言っておこう。
すまんがちょっと呼ばれてましてな。後で顔を出すから先に始めててくれませんか?」
「おいおい、俺に説明を押し付けるのかい? まぁいい、仲間の大事な娘さんだ、ちゃんと話すさ」
近藤は、千鶴が鬼だと知ってから、考えを改めていた。
綱道の失踪が例の薬の研究と自身の鬼の血のせいなら、彼女もいつどこの組織に狙われてもおかしくない。
無論全力で守るつもりだが、本人に構えがあるのと全く知らないのとでは、巡察への随行時の歩き方一つとっても変わる。
不安を煽りたくないし秘密は守りたいが、彼女自身の今後の為にも知る必要がある、と判断した。
だが、トシは怒るだろうなぁ。
鬼副長というあだ名に反し、実は自分よりずっと気持ちの優しい無二の友の顔を浮かべ、眉を寄せた。
「君の父上とは若い時分からの付き合いでな。蘭語の本を片手に科学実験と称して随分無茶をしたもんだ。
小船の上でアンモニアを造った時はあまりの臭さに川に飛び込んだっけ、ハハハ、懐かしいな。
……ある時幕府から、異国から譲り受けた薬の効能を調べて有事に使える物にして欲しい、と頼まれてな。
それが変若水との出会いだった。異国では色んな呼び方をされているが、不死の薬という触れ込みだった。
幕府は何で出来ているか分からんから、まずは死刑囚を斬ってそれを飲ませたらしい。確かに傷は治った。
だが見る間に様相は変わり、血肉を欲して狂う白髪赤眼の化け物になった。闇に生き、光を嫌う異形の生き物にな。
それで蘭方医の我々に白羽の矢が立ったという訳さ。ようは押し付けられたんだな。君もアレを見たと聞いたが?」
千鶴は人に話さないようきつく言われていたので、目を泳がせ口篭った。松本は励ますように背を叩いた。
「ま、思い出したくなかろう。ワシは結局、奥医師になったんで江戸城に勤め、綱道が変若水を持って新選組に来た。
……幕府は金と人の足りない新選組の、足元を見たんだよ。勇達は……まぁ、幕命には逆らえんかった。
隊規違反で切腹間際の者に、薬を飲めば腹を切らなくていい、と言えば大概の者は飲んだ。最初は知らなかったからな。
じきにその恐ろしい副作用が分かり……後は推測だが、君の父上はもう辞めたくなったんだろう。
だが密命を放棄すれば、秘密を知る以上幕府に消される恐れもある。だから……身を隠したんじゃないかと思っとる。
お前さんの父上は立派な医者だ、人道的に耐えられんかったんだろう。ワシも将軍侍医になれたお陰で辛くも後任を逃れた。
あれは……もう捨てた方がいい代物だ。世に出していいもんじゃない。驚異的な回復力と人並み外れた身体能力。
確かにそれだけ聞けば素晴らしい奇跡の薬だが、死ぬには首を切り落とすか心臓を貫くしかない人外に変異する。
しかも気が狂えば手当たり次第に人を襲い血を啜る理性のない化け物になる。地獄の羅刹のようにな」
千鶴は言葉もなかった。京に来たあの晩、自分を襲った化け物が、まさか父親の飲ませた薬で狂った者の末路だったとは。
その因果応報ともいうべき運命に震え、同時にどうしようもない程の罪悪感に襲われた。と、その時。
ガサッ。ふいに草を分ける音がした。…………藪の方から人影が現れた。
現れたのは――――山南だった。
「山南さん!? あの……生きて……どうして!? ……先生!?」
千鶴は心臓が止まりそうな程驚いた。切腹し、その死を悼んだ山南が今目の前にいる。険しい表情で。
やはり千鶴に話を聞かせたくなかったのか? それとも話を聞いて黙っていられなくなったのか?
固唾を呑んで見守っていると、山南は、松本の前まで来て溜息をついた後、反論を始めた。
「おお、山南君生きとったのかね。今丁度、千鶴君の父上が何故ここに来て何をしていたか、話したところだ」
「ええ、聞いていました。……雪村君、久し振りですね。まぁ局長判断なら仕方ありません。このまま居なさい。
私の話は置いておいて、羅刹、に戻しましょうか。
松本先生、幕府からは綱道氏の探索続行と変若水の改良が指示されたんです。
……研究資金と題した多額の組織運営資金と共に。フフ、脅迫と口止め料ですよ。
幕命を断れば新選組は潰され、露見すれば見捨てられる。しかも……服用者は生きているんです。
羅刹とおっしゃるが、里へは訃報が届けられ人前にも出られず、それでも将棋を指したり酒を飲んだり、
笑って暮らしている。いつやってくるとも知れぬ狂気に怯えながらも、人としてありたいと願っている。
そんな彼らを放置出来ますか? 救いの道を探す事が罪ですか? 先生は彼らを……殺せますか!?
私は……新選組も守りたい。彼らも救いたい。幕府が押し付け、綱道さんが投げ出し、貴方が捨てよというならっ!
私はっ……彼らの人としての生を長らえる為に戦いますっ!」
寝食を共にする山南だからこそ分かった彼らの暮らし。思い。厄介者扱いされ、閉じ込められた、仮初めの死者達。
一番最初に服用した者達はもう皆狂って処分されたが、最後に綱道は何かで薬を薄めることに成功していたようだ。
綱道の失踪直前から山南の切腹劇までの期間に飲んだ者達は……今の所一人も狂っていなかった。
「ああ、悪かった。生きとる者を殺せとは言わんさ、ワシも医者だ。しかも後任から逃げた負い目もある。
よし、分かった! 侍医としての務めもあってあまり時間は割けんが、副作用を抑える薬を研究してみるか。
そう簡単に出来る代物じゃなかろうが、あんたの心意気を汲もう。いや、本当にすまなかった」
「いえ。私も少し熱が入りました。母が子を庇う気持ちが少し分かりますね、彼らは私に懐いてくれていますから」
唯一外の世界との繋がりがあり、羅刹達の為に身を捧げた山南を、彼らは皆心から慕い敬愛していた。
その信頼を一身に受ける山南が、何とかしてやりたいと思うのも無理はなかった。
松本と山南は双方矛を納め、和解とともに松本の協力が約束された。
生存をばらすという危険を犯して、出てきてよかった。山南にとっては大きな収穫だった。
と、丁度そこに、戻ると言っていた近藤が土方を連れてやってきた。土方は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
松本、山南、千鶴。この面子を見れば何が話されどうなったか、手に取るように分かった。
雪村が知ったか……くそっ!!
近藤の言い分はもっともだが、それでも聞かせたくなかった。知らずに笑っていて欲しかった。
また秘密を知る者が増えた。しかも誰もあいつが青白い顔で、罪悪感に押し潰されそうになってるのに気付かねぇ。
荷が……重過ぎるだろ? まだ十八だ。一番楽しい娘時代に親は失踪、化け物に襲われ、やがて自分が鬼と知り。
留めにその化け物の生産者が消えた父親ときた日にゃ、どんなに芯が強くたって折れちまうだろうが。
土方は、なんでこいつばっかりに不運が降ってきちまうのかな、なんて考えつつ、三人の側に歩み寄った。
誰かがこいつを支えてやらなきゃならねぇ。平助は……自分の事で手一杯だ。原田は……優しいが手が早い。
新八は気遣いに疎いし、総司は女に興味がねぇ。斎藤が適任だが、あいつにはもう月宮がいる。
後は……俺か。まぁ小姓だし部屋に来る事も多い。もう少し気にかけてやって様子を見るか。
その裏にある微かな男としての感情には、薄々気付いてはいたが。敢えて見ぬ振りをしていた。
大幹部三人に将軍侍医。中々の面子が揃ったところで、羅刹の話の続きをしようと土方が口を開きかけたが。
山南が思いも寄らぬ爆弾を落とした。思いに耽って泣きそうだった千鶴が驚いて我に返るほどの爆弾を。
「月宮君。そろそろ出てきてくれませんか? こんな形で再会したくなかった……残念です。
だが、どこから聞いていたのか問わなければなりません。大丈夫、貴女をどうこうする気はありません。
ただ、口止めが必要な内容である事はお分かりでしょう? さあ、降りてらっしゃい」
裏庭に生える大木の上。枝と葉に隠れたその気配を誰も察知する事は出来なかった。
土方ですら気付かなかったその気配は、音もなく庭に降り立ち、涙を拭って一同の前に現れた。
「山南さんっっ!!」
千恵は山南の懐に飛び込むと、その温かさを喜び、同時にその運命を悲しみ、再び涙を流した。
ハァッ、また増えた。しかもこの泣きっぷりじゃ全部聞いてたな。……斎藤、わりぃな。
土方は文字通り降って来た頭痛の種を見やり、心の内で溜息をこぼした。
守り抜こうと決めた花が二輪、しおれかかっていた。
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