163 接近

大勢が決してなお、恭順を示さず抗戦の姿勢をみせている者達をそのままにしておくわけがなく、新政府軍は白河を落とすべく進軍してきた。

白河を巡る攻防には斎藤をはじめとした新選組の者達が参戦し、戦から離脱して療養中の土方のそばには千恵と千鶴が控えている。

生き別れた半身を求め――彼女をどうすれば満足なのか自分でも分からぬまま――千鶴を手に入れようと向かう南雲薫。

その傍らには彼を守ることが己が定めと決めた嘉祥が、薫の命にただ従い続けることが果たして本当の衷心なのだろうかと逡巡しながらも、赤黒く怒りと恨みに焼けた心を冷ます方法が見つからず、ならば決して一人にはすまいと寄り添っていた。

新政府の統治下に置かれた江戸からは、天霧と綱道が薫の暴走を食い止めて変若水を彼の手から取り上げようと出立しており、藩境の関所付近で会津入りの機会を伺っている。

それぞれの道から運命に手繰り寄せられるかのように、人が、鬼が、己の求めるものに従って戦の渦中へと流れ込んできていた。




もうすぐ雨が降る兆しに雲が厚く低く垂れ込めている。千恵は今にもポツリと最初の一滴を落としそうな空に、浮かない顔で目をやった。

三日前、多くの負傷兵と共に一旦退却してきたはじめさんと顔を合わせる事が出来たのはほんの一刻足らずで、城下が見下ろせる場所に建立されたばかりの真新しい近藤さんの墓碑の前に並び、ただ無言で手を合わせた後はまた、率いる隊の指揮へと戻っていった。

お墓は私達の逗留先から歩いて来られる場所にある。

今も、千鶴ちゃんと交代で度々訪れては水で清めている墓碑に、持って来た花を供えたところだ。

緑豊かな山からは可愛らしい鳥のさえずりが時々、戦など人の勝手といわんばかりに聞こえてきて、下界の重苦しさを一層際立たせている。

近藤さんの訃報が届いた日、閉め切った土方さんの部屋はシンと静まり返ってなんの音もせず、誰も近寄ることが出来なかった。

ただ一度、追い詰められた獣の剥き出しの牙を思わせるような咆哮が部屋の中から響き渡り、その後はまた静寂に包まれた。

翌日、土方さんが部屋を出ているうちに掃除をしようと入った時、部屋の真ん中の畳に何かを突き刺したような跡が残っていた。

――泣けるだけ、女は幸せなのかもしれない。

飲み込んだ悲しみと怒りは、はじめさんや土方さんの胸の中でその強さゆえに表へ出ることを許されず、きっと渦巻いているに違いない。

早く戦が終わってほしい、そう思う。

負けてほしいと思っているわけじゃなく、勝って政局を覆したいなんて大きなことを考えているわけでもないけれど。

朝談笑した相手が夕べには戦死したという一報を受け取ったり、かつては新選組にいたこともあった人が敵軍からこちらへ銃口を向けているような圧倒的な戦の現実に、心が疲れてしまった。

はじめさんを失ってしまうかもしれないという恐怖は日々薄らぐことなくむしろ膨らむ一方で、伝令の馬が舞い戻るたび早く情報を知りたい気持ちと何も聞きたくない気持ちとで、玄関に行ってみたり用事にかこつけて逃げ回ったり。

宿を提供してくれている方の下女が一緒に水路で野菜を洗っている時「私の夫も出兵してるんです」と震える声で囁いた一言に、思わず抑えていたものが決壊して一緒に泣いたこともあった。

はじめさんの志しのままに。あなたが行くというならどこまでも。そう思う一方で、そんなあなたが居なくなったら私は……私は……。

「駄目、考えちゃいけない」

振り払うように一度深呼吸し、柄杓と手桶を持って細い坂を下りだす。戻って千鶴ちゃんを手伝わないと。

彼女は土方さんの銃創が日に日に良くなるのをそっと喜び、また同時にそれは戦へ戻る日が近づいている事でもあるので心の準備をしようとしている。

何人の女性が、母が、妻が、姉妹が。御武運を、という言葉に想いの全てを込めて、彼らを送り出しているだろう。

傍から見たら、それぞれ強い女性だと思われているかもしれない。でもそれは違うと思う。

強くあるしかないのだ。今はただ。今だけは。

もう一度山の新鮮な空気を吸い込んで肺に満たし、のど奥へ上がってこようとする胃液をなだめた。

最近胃の調子が悪く、食欲がない。戦で続く緊張のせいか、変若水の影響か、それとも……。

百に一つの可能性がよぎり、小さく苦笑する。まさかね。きっとそうじゃないんだろうけど、そうだったら…………嬉しい、かも。

千恵は日付を遡って心当たりに顔を赤くし、足を滑らせて転ばないよう、湿った山道を小さな歩幅で慎重に歩いた。

途中、誰かがいるような気がして一度振り返ったが、すぐに考え過ぎかと思いなおして帰路を急いだ。



細身の女が歩き去るのを離れた山の中から見送っている、二人の男がいた。

短髪に洋装という目立つ風体ではあったが、今は木々の中に気配を溶け込ませ、誰か人が通ったところでその存在に気付くことはないだろう。

男のうち体躯のしっかりとした年かさの方が、切羽詰った口調でもう一人に話しかけた。

「薫様、墓へ参る千鶴様を山道で攫うなど、そのような卑怯はたとえ貴方様のご命令であろうと私には出来ません」

「嘉祥、いつからお前はそんな善人になったんだ? 羅刹を江戸に放ったお前が」

「あれはっ! ……後悔、しております」

後悔? フン、と鼻で笑った薫に、嘉祥はうな垂れた。

「本当に、妹君と共にあれるならば変若水は捨ててくださるのですね」

「くどい。そう言ったはずだ。俺は千鶴が欲しい。同じ母の腹を分かち合い、同じ血が流れているんだ、同じ道を歩みたいと思うのは当然だろ」

そう、同じだったはずだ。最初は。

温かい胎で優しい鼓動を聴き、共にこの世に生まれ出る日までは、同じところで同じ幸福を待って過ごしたのだ。

なのに……。母の腕に抱かれたのは千鶴のみ。両親に愛され、里を失った後は綱道に守られ、新選組に守られ、今は土方に守られている。

俺に与えられなかったものを全て一身に受け、何かに引き裂かれることも力がないばかりに苦渋の道を強いられることもなく。

「ならば無理無体などせず、千鶴様の同意を得て安全な場所へお連れすればいいではありませんか」

「同意? するはずがないだろ。恋しい男のそばで、仲のいい女鬼と楽しく暮らしてるっていうのに」

きっと外で人が大勢死に、血が流れていることなんてどうでもいいんだろ。自分さえよければいいんだ、あいつは。

薫は幾度か偵察した際に垣間見た笑顔を思い出し、イラついて顔を険しくした。

千鶴から幸せを取り上げ苦しめたい。奪われ、貶められる辛さを味わわせたい。

……その根底に、千鶴をそばに置いて同じ笑顔を自分に向けて欲しいという渇望が隠されていることに、彼はまだ気付いていなかった。


「嘉祥、あの女を攫って千鶴を呼び出すのと、千鶴がここを通るのを待って攫うのと、どちらがいいと思う?」

千恵という女鬼と交換ならば、千鶴はきっと進んで自分からこちらへ来るよ。そしたら攫ったことにはならないよね?

「薫様、それは――」

詭弁です、と最後まで言えず、嘉祥はまた肩を落とした。

彼は間違っている。分かっている。だが里を出て薫を見つけ、同行するようになってすぐに気付いたのだ。

どれほど苦しい日々を強いられてきたか。いかに孤独だったか。――誰も彼を守ろうとしなかったかを。

気の済むまで付き合おうと覚悟を決め、一方でこんな虚しい事は早く止めさせなければと焦り、日によって気持ちは揺れた。

嘉祥は覚えている。薫にもかつて幼い頃、笑っていた日があったのだ。

いつから笑わなくなっただろう。

少しずつ我が侭を言わなくなり、ある日を境に義母を母と呼ばずただ黙って遠くから見つめるだけとなった薫から、子供らしい表情が失われていった。

……あまりにも孤独が深過ぎる。深過ぎて彼は、手の伸ばし方すら知らない。

怒りにしか自分の道を見つけられないでいる薫を前に、嘉祥は自分の力のなさを痛感した。

「千鶴はいい子だからね、きっと来てくれる。だってあの女は大切な大切な親友、だもの」

そう笑う薫の笑顔は、冴え冴えと冷たかった。





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