143 集会
四月初頭。再び二百名を越えるまでになった新選組は、流山への転陣を決めた。
今までの行軍に比べたら距離は短いが、今は新政府軍に追われる身。
提灯さえ灯さず月を頼りに歩く夜道、千恵は微かな気配を感じて何度も辺りを見回した。
後ろを振り向いても居るのは荷駄馬と隊士達だけ。
なのに誰かに見られているようなざわめきは治まらず、落ち着かない。
……気のせいかな……鬼の気配がするような?
でも隣りを歩く千鶴ちゃんは気付いてないみたいだし、先鋒にいるはじめさんも隊の指揮に忙しい。
「どうしたの、千恵ちゃん」
「ん? ごめん、何でもない」
キョロキョロしている私を不思議そうに見る千鶴ちゃんに、こんな些細で不確かな事は言えないよね。
私は気を取り直して隊列を乱さないよう足を速めた。
……夜道の雰囲気に気持ちが飲まれちゃったのかな。これからどうなるんだろうって思うとやっぱり不安だし。
「大丈夫、なんでもないから」
そう言って千鶴ちゃんに笑いかけながら、自分にも大丈夫だと暗示をかける。
それでも。時折柔らかい夜風に乗って掠めるその気配は、流山まで私の心に付き纏った。
その頃江戸では、松本の診療所奥にある隠し部屋で一堂が会していた。
夫の戻りを待っていた八千代。長州勢から離脱した不知火に、旅路から帰還した綱道。
そして、今鬼として最も権勢を誇る風間の傍らには千姫。羅刹隊からは山南が足を運んでいた。
綱道は数日前に八千代の手を取り互いの再会を喜んだのも束の間、娘からの文を渡され行き違いに肩を落とした。
だが、江戸に戻れた安堵からかその表情は柔らかく、八千代を支えるように寄り添っている。
「それで……この忙しい状況下でこれだけの人数を集めた理由は何だ。まさか旧交を温めるつもりだった訳ではあるまい」
雪村綱道と八千代を眺め、数々問いたい事はあるが場に合わせていた風間が会合にきっかけを与えると。
八千代が微かに顔を曇らせながら、頭を下げた。
「お呼びたてして申し訳ありません。まずは長の不沙汰に心からのお詫びを。
千姫様も風間様もご立派になられて……人の世に介さねばならぬご心中、お察し致します。
この度お集まり頂いたのは、鬼として皆様にご尽力を願いたかったからで御座います」
言葉を区切り皆を見渡せば、西と京の頭領が軽く頷き先を促す。
八千代は背中に添えられた綱道の手の温もりに励まされながら、再び頭(こうべ)を垂れた。
「悪鬼を生み出す変若水の回収。これは綱道の妻として、またその毒に苛まれた者として切に願っております。
と同時に……今それを持つ者へ同胞として……いえ、叔母としてその処分にご厚情を賜りたいのです。
皆様、どうか彼をっ……薫を暗闇から引き上げる為に、力を貸して下さい!
あの子は忌み子なんかではありません、薫は……私にとって大切な大切な姉の遺児。
どういった経緯であれを手にし、今彼が何を思っているのかは分かりませんが……
鬼として禁忌を犯した彼に、どうか僅かでもご厚情をっ!!」
「八千代様っ、どうかお顔を上げて下さい。そんな……貴女の想いを無に出来る鬼などいるはずがないじゃないですか!」
畳に手をつき深々と頭を下げた彼女に、千姫が慌てて声を掛ける。
雪村家と月宮家には、どんなに言葉を尽くしても足りないほどの恩義があるのだ。
彼女の半生を知る者として、同じ女鬼として。いかなる尽力も惜しまないと千姫は心に決めていた。
「千景、お願い――」
「…………フン、仕方あるまい。あやつは南の頭領にありながら、自ら進んで戦に加担しているらしいな。
しかも変若水を使って紛い物を作り出し、つまらぬ遊びに興じているというではないか。
そんな愚かな頭領に目をかけてやる義理もないが……月宮と雪村先代には親の代で世話にもなっている。
よかろう、盟約に従い八千代殿の言葉は胸に留め置こう。……が、改心せねば処断は免れ得ぬと心得よ、それでよいか?」
「っ……はい、それでよう御座います。それで、夫の処遇はどのように?」
最も血の濃く強い女鬼二人にじっと見つめられ、その視線に期待を込められてしまえば。
流石の風間も折れて裁を甘くするしかない。微かに眉をしかめながら綱道を見やり、温情を示した。
「ハァ……本来ならば異国の物とはいえ鬼の血を人に与えた罪は大きい。
己が生み出した変若水を自らの手でこの世から葬れ。鬼としての責を果たすなら再び同胞として受け入れよう。
はぐれ鬼として流浪の生涯を送りたくなくば、天霧と共に南雲を追い、あれの勝手を食い止めて来い。
……雪村の血筋が絶えぬよう女鬼を救い出し育てた功績もある。変若水の一件はそれで手打ちにしてやる。
ククッ、月宮のを娶っておいて助かったな。雪村家の二の姫にして元北の細君だ。大事にせよ」
風間の口から出た思わぬ労わりの言葉に、不知火が目を見張った。
女が出来ると丸くなるってぇのはよく聞くが、ほんとにお前風間か?
「……なんだ不知火、言いたいことがあれば言え」
「いや、おっかねぇからやめとくわ。鬼が鬼を追いかけんのか、面白そうだな。
おい風間、勝手に撃ち殺しゃしねぇから俺にも参加させろよ。変若水はどうでもいいが羅刹は気に食わねぇ」
「好きにしろ」
楽しそうに肩を揺らす不知火を見て千姫が力なくため息をつく。
「もうっ、物見遊山じゃないのよ? まぁでも手が多い方が分散出来るわね。
不知火はもう少し江戸で羅刹隊と一緒に網を張って頂戴。新選組の羅刹隊を勝手に殺しちゃ駄目よ。
山南さん、全部済んだら雪村の里に向かって頂戴ね。京の頭領として泉の使用を許可します。
人に立ち入らせるなんて本来決してありえない事なんだけど……羅刹は人に戻るべきだわ」
「ええ、里の水が人に戻せる唯一の手立てですからね、助かります。変若水に関しては我々にも責任があります。
不知火君、我々に代わって君には色々と動いてもらいたい。期待してますよ?」
「って、俺が使いっ走りかよ!? 冗談じゃねぇ、なんで人間の――」
「不知火、よろしくね?」
千姫に釘を刺され、わぁったよ! と請け負ったが、一番面白そうな捕り物の方に向かえず露骨にがっかりした顔を見せた。
「もう半月もせぬ内に新政府の結論が出るだろう。そうなれば我らも薩摩と手を切り、鬼の理に習い身を隠す。
それまでは江戸で共に時局を見定めよう。千姫、いつでも動けるよう支度をしておけ。
……山南、土方や斎藤達にほどほどで折れろと伝えておけ。新政府は賊軍に手加減せぬつもりらしい。
ククッ、あやつらが耳を貸すとも思えぬが。忠言はしておいたぞ」
「どうもご親切に。私も彼らが聞くとは思えませんが一応伝えましょう」
山南は苦笑しながら風間の言葉を受け止めた。意外にもこの男は新選組を気に入っているらしい。
雪村君と月宮君の相方が、人間の中でも一番頑固な類の「武士」で申し訳ないですね。
そんな事を思いながら軽く会釈をして退室した。
風間も千姫の手を取り立ち上がると、薩摩藩邸へ戻るため部屋を出た。
風間は診療所を後にし、通りを人に紛れ歩みながらそっと千姫を見下ろした。
皆の前ではしっかりしていたが、今千姫の表情は僅かに曇っていた。
無理もない、己の時代に政権が動き里を移すという未曾有の事態だ。
しかも変若水や羅刹は未だ片付かず、雪村と月宮の女鬼が賊軍と共にある。
風間は繋いでいた手を一度離し、彼女の肩を抱き寄せた。
美しい顔立ちの二人が立ち止ったその姿に、通りを行き交う人達も思わず目を留めてしまう。
そんな視線を全く気に留めず、風間は千姫の唇を指先でなぞった。
途端に赤く染まる頬が愛らしい。
「似合わぬ顔をするな。まぁ……そこそこ骨のある奴らだ、お前が案ぜずとも自分の女くらいは守る。
俺がお前を傍らに置くのと同じようにな。お前は……安心して俺のそばにいるといい」
そう言うと首を屈め、指先の代わりに唇を優しく添える。
溜息とも吐息ともつかぬ微かな息遣いを唇に閉じ込め、優しく下唇を吸って顔を離せば。
朱に染まった顔で小さく頷いた千姫が胸元に身を添わせた。
もうじき江戸城は開かれる。力によってこじ開ければここにも戦火が及ぼう。
……勝と西郷が上手くやるといいが。
風間は千姫を腕に納めたまま、城の方に顔を向け僅かに目を細めた。
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