132 義漢

近藤は、敵軍が甲府城を接収したという急報を聞いた時、名主の家の離れで体を休めながら、

出陣前の江戸城でのやりとりを思い出していた。




────甲州鎮撫を頼みたい。

そう打診してきた勝海舟に、近藤は苦笑いを零した。

新政府との交渉に向け、主戦派を江戸から引き離したいのは見え見えだった。

それでも頷いたのは、若年寄格という破格の処遇が付随したからだ。

既に恭順は規定路線。その中で重要なのは、いかに徳川家を有利な状況に導くか。

勝は、近藤に地位と軍資金を与え、近藤はそれに応じた。

自分達を賊軍に貶めた薩長に江戸で一矢報いたい、という気持ちより、徳川家を守りたい、という志が勝ったのだ。

二、三百人で甲府に向かった所で、出来る事など知れている。

江戸を目指して進軍する西軍と本気で戦うなら、最低でも三千人以上は必要だ。

だが、今も自分の元に残り、戦意に満ち溢れる隊士達の志しにも、どうにかして報いてやりたい。

想いをぶつける場所、戦いの場を与えてやりたいのだ。

そして……徳川家を強く崇めて育った自身の矜持は、徳川存続、それに尽きる。

江戸から出て行ってもらった方が都合のいい恭順派と、

負けると分かっていても立ち向かいたい自分達の利害が一致したのが、甲州鎮撫、だった。


「勝さん、あんたは政が得意だ、江戸は任せよう。俺は俺のやり方で徳川を守るさ」

「……あんたの想いは本物だ、それは分かってる。だが、江戸でそれを発散させてやる訳にはいかないんだ。

 分かってくれ。……頼むから死んでくれるなよ? 命あっての物種だ。主戦派を束ねてるあんたも、

 恭順派をまとめてる俺も、根っこは同じだ。徳川の恩義に報いる為なら何だってやる、それだけだ」

「ああ。徳川家を守るためなら、命は惜しまんとも!」

「はぁ、死なんでくれと言ってるのに。あんたは……俺の知ってる中じゃ一番武士らしい武士だな」

近藤が農民の出だという事は知られている。幕府の中では見下され、旗本などは見向きもしない。

だが、勝はこの男の中に輝く忠義こそ、何にも勝る武士の本分だろうと思った。

「万一の時は、若年寄格である俺の臣下として、うちの奴らを丁重に扱ってくれ。

 死んだ者の身内に見舞金を送り、捕縛された者達は幕臣として扱い、敵軍に身柄の引渡しを頼んでくれないか?」

「ああ、約束しよう」

近藤は、本心では大名になりたかったのではなく。大名にならないと与えられない物が欲しかったのだ。

自分の亡き後の同志達の厚遇を確保。志しを持ち、自分の元に集ってくれた彼らを守る手段が、今手に入った。

屯所に戻った近藤は、熱い視線で自分の言葉を待つ隊士達に、高らかに宣言したのだ。

諸君、徳川再興に挑もうではないか!

ワッと湧く隊士達の歓声に、これでよかったのだと一人得心した。大名になれた嬉しさは、満面の笑みに現れた。

近藤は、忠厚く義を重んじる、そして何より……誰よりも優しい男だった。




「そうか、分かった。支度したら母屋に向かうから、トシにも伝えてやってくれ」

近藤はいよいよか、と腹を括り立ち上がった。

────自分の初陣。結果がどうあろうと、責は果たそう。



刀を腰に差すと、ブルリと体に武者震いが走った。






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