51 兄と妹
ほんの半月前までは、昼間暖かく夜涼しく快適に過ごせたのに。いつの間にか冬の気配が近づいている。
近藤さんからの便りで、松本良順先生というお医者様と江戸で会った事が分かった。
千鶴ちゃんはもともと京に来たら松本先生を訪ねる算段だったようで、目に見えてがっかりしていた。
携帯もメールも無く、新幹線もないこの時代、すれ違いが生まれるのはもうどうしようも無い。
年末には新しい隊士達が来るそうなので、しょげている千鶴ちゃんを励まして準備に取り掛かる。
綿を均して布団を縫う作業がひと段落した所で、山南さんが部屋を訪ねてきた。珍しいなぁ。
「すみませんね、お忙しい時に。文楽ではないんですが、歌舞伎の演目でいいのが掛かってまして。
忠臣蔵なんですが、一緒に観に行きませんか?」
「私でいいんですか? 馴染みの方とかではなく?」
「ええ、ああいった物は詳しい人と観る方が色々話せて面白いですから。お嫌ですか?」
「いえ、ぜひ!」
土方さんに許可を貰い、連れ立って屯所を出る。しかも、折角だから着物で行きましょうとの事で、
山南さんが用意してくれた縦縞の木綿の着物を、茶屋の一室で着替えて南座に向かう。
町娘風の着物が物珍しくも嬉しく、留守を頼んだ千鶴ちゃんには申し訳ないけれど心が弾んだ。
「お待たせしました、山南さん。いかがですか?」
「本当にお美しいですね。その紅もよく似合っている。今日は帰るまで兄と妹、という事でどうでしょう?」
「フフフ、では兄様、参りましょうか?」
「なら千穂、と呼ばせてもらいます。行きましょう」
上品で端整な顔立ちの山南さんと連れ立って歩けば、町行く人が振り返り、とても気分がいい。
「兄様が素敵だから皆振り返りますね。鼻が高いです」
「クスクス、本当に無邪気な人だ。皆が見ているのは千穂ですよ。美しい妹を持つと気が気じゃありませんね」
「またそんな冗談を言って!」
兄と妹という小芝居が面白く、町で見かける様々な風俗や習慣についても分かりやすく説明してくれるので、
歩いている間も退屈する事がなかった。忠臣蔵はこの時代でも人気が高く、満員御礼だった。
吉良も長袴を履いてたら追いつかれて殿中で切られてたはずだ、いや、殿中差しでは切っても死なないでしょうと、
互いに持論を披露し合い、芝居を観るのにも熱が入る。ところが中盤に差し掛かると酔客が騒ぎ始めた。
いわゆる、勤王派と佐幕派の喧嘩というやつで。ああ、もう折角の芝居が台無しじゃない!!
「巻き込まれぬうちに出ましょう」
山南さんに促され、暗転に紛れて表に出た。
「不愉快な思いをさせて申し訳ない。最後まで観たかったですね」
「いえ。兄様は勤王派で近藤さんは佐幕派で。でも協調できているでしょう? 皆も折り合えたらいいのに」
「そうですね、折り合えればいいのですが。私達の場合は、私の折れてる方がかなり多い気がします。
それも近藤さんの人柄と新選組の発展を見込んで、なのですが……。いえ、妹に愚痴をこぼすなんて
兄として格好悪いですね、忘れて下さい。どうも千穂が相手だと本音を言いすぎてしまう」
「いいじゃないですか、たまには。兄様は聡いから、もうあらかた分かってるんでしょう?
政権が変わるから身分も刀もない時代が来る。開国が進むから、服装や持ち物が変わる。思想も。
私が話さなくても、ここに来た時の私自身が、この先の日本を現している……ですよね?」
「ええ。あなたが現れた時、自論が正しいと立証された、と感じました。だから話しやすいんです。
でも、ここだけの話にしましょう。思想は違いますが、それでも彼らと共にありたいですから」
山南さんの中でせめぎあっているものが見えた気がした。痛めているのは腕だけじゃない。
どうか、新選組が山南さんの居場所であり続けますように、と心の内で祈った。
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