44 オトナの追いかけっこ

劫火は市中を舐め尽くし、およそ三万戸もの家屋を焼いた後、ようやく鎮火した。

あの日の光景は忘れない。でも、山南さんの言葉と温かい手も忘れない。




「あ〜暑い〜〜! 井戸水を頭からかぶりたい。駄目かな?」

「駄目じゃないと思いますけど、濡れたら千穂さん女だってすぐ分かりますよ?」

「でもさ、最近気付いたんだけど、なんとな〜く皆もう知ってる気がしない? 意味あるのかな?」

「ありますよ。こっちの方が着物より動きやすいです!」

「千鶴ちゃん、その意見には賛成。でもなんか違う」

「髪を結うのも楽だし。でも、たまに可愛い振袖姿の子が羨ましいです。皆さんには内緒ですけど」

「誰かさんに見てもらいたい、とか?」

「えっ!? あ……うん、そうかも」

平助、あとひと押しだ、頑張れ! 手ごたえあるよ! イマイチ押しの弱い弟分に、エールをおくる。

にしても、水浴びで痛い目に遭ったのに懲りないな、私。それぐらい、京の夏は暑いんです。


「へばってるなぁ、大丈夫か?」

「左之さんはいいよね、その格好涼しそう」

「まぁな。今日は非番だから一緒に川原にでも出かけるか?」

「今日は斎藤さんと私が食事作るんで、ゆっくりしてきていいですよ?」

水辺の誘惑と千鶴ちゃんの後押しに負けて、左之さんとデートです。



左之さんからの告白されて早ひと月。禁門の変、どんどん焼け、敗残兵の追討と慌しく過ぎ、

考える余裕もないまま今日に至ります。考えるって言ったのに、申し訳ない。ホント。

だからって、待つと言ってくれたからって、放置はないよね。さすがにそれは駄目でしょ、うん。


川原に着いて木陰に腰掛けると、話を切り出した。

「あのね、正直に言うよ? 左之さんへの返事、まだちゃんと考えてないの。……ごめん。

 引き伸ばすとか、じらすとか、そういうのでもなくて。忘れてたわけでもなくて。……ごめんなさい。

 本気だって言ってくれたから、本気で考えなきゃいけないよね。だから――」

左之さんの指が唇をそっと止める。

「いや、言わなくていい。考えなきゃ答えが出ねぇって時点で、まだそういう気持ちじゃねぇって事だ。

 おまえは考える必要もねぇし、無理にどうこうする必要はねぇ。俺が嫌ってんなら話は別だが。

 離縁状持ってこっちに飛び込んできて、まだ一年も経ってねぇしな。せっかちだった。悪い」

「格好いいね。……どうしよ、私には勿体無いって。左之さんならいくらでも選べるのに」

「ハハハ、買いかぶりすぎだ。追い込むのはやめねぇから、捕まらねぇよう逃げとけ。

 捕まえたら俺の勝ちだ。な?」

「あ、なんかちょっとズルイ」

「ああ。だから言ったろ? 買いかぶんなって。体から入るって手もあるぜ?

 なんなら帰りに出会い茶屋寄って、いっぺん試してみるか?」

「馬鹿! 信じらんない、鬼畜! こっちの体は新品なんだってば。簡単に言うなぁ」

「ハハハ、引っかからねぇか、残念だ」


やっぱり左之さんは優しい。本気の想いを冗談で包んで、軽口でまとめて、逃げ道をくれる。



「ああ、でも詫びにこれぐらいは……もらっていいか?」

左之さんの左手がうなじを支え、鼻筋の通った端正な顔立ちが近づいてくる。

互いの鼻先が軽く触れるところまで来て、

「目ぇ、閉じろ」

低く、甘く、囁く。言葉の引力に、体が従う。

重なった唇はすこしかさついていて。優しく下唇を食む甘い動きに吐息が震えた。

「ん、いい反応だ」

「んなっ!」

やっぱりこの人、ちょっとズルイんじゃない? なんか、自分の武器をよく知っているというか。


それから二人は、誰にも内緒の秘密基地を作った子供のように、クスクスと笑いあった。

大人のキスを子供の悪戯のように笑いあう私達は、いままでより少し近い、新しい関係を築けそうだ。






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