36 沖田 総司
総司はまだ、眠っていた。けど、枕元に座り額の汗を拭おうと手を伸ばすと、手首を掴まれた。
「わっ、起きてたの? それとも起こしちゃったかな」
「ああ、千穂ちゃんだったのか。ごめん、人が近づくとね、勝手に目が覚めちゃうんだ。もう癖だね」
少し自嘲めいた笑みが口元に浮かぶ。そういえば、平助も刀に手を伸ばしたな。……条件反射、かな。
「怪我、大丈夫? あの時はありがとう、助けてくれて。私ったら、何しに行ったんだか……ハァ」
「僕も……ありがとう。庇われたのは正直かなり悔しいけどね。まだ……まだまだなんだって思った。
刀も持たずに戦場に来て、刀の前に飛び出すなんて、そんな事僕なら出来ない。
でも刀だけなら、誰にも負けない! あいつにも……次は絶対に勝つ」
瞳の力強さに、ドキリとする。射抜くような鋭い眼差しが天井を睨みつける。
日本人なら、十五歳以上ならあなたの名前はほとんどの人が知っているんだよ。それほど、有名なの。
剣豪、沖田総司。新選組随一の剣の使い手で、若くして結核で命を散らす。
そんな人生が何度も映画やドラマや小説で題材にされる。薄幸の天才剣士。
でも目の前の彼は、闘争心が強くて悪戯好きで、優しくて、怪我人だけど体は健康で……。
そっと頭に浮かんだ事を打ち払う。さっき考えたとこじゃないの、習った単語もつまらない知識も、
この時代に今生きている彼らには何の意味もなくて、その強さと志の前に出せるような代物じゃないって。
「うん、総司は本当に強いなって思う。剣もだけれど、心も。誰よりも強くなりたいっていう志も、
それを体現する為の努力も。何もかもがすごい。本当にそう思うよ?」
「ん……。ハハハ、面と向かって言われると……参ったな、ちょっと困る。そんな大層なもんじゃないよ」
「アハハ、照れた?」
「そりゃ照れるよ。でもありがと。僕は近藤さんと近藤さんの大切なものを守りたいんだ。
そして君も。千穂ちゃんも守りたい」
私の手首を掴む総司の手に、力が篭る。まるで離さない、とでもいうように。
総司が私の方を向き、視線が絡まる。
「もっと、辛い顔をしてると思った。きっと悩んで苦しんでいるに違いないって。
ねぇ、誰? 君の心を救ったのは……誰?」
責めるような、問い詰めるような、請うような、なのに答えを怖がっているような瞳が、貫く。
「あの……えっと……なんで知ってるの? 私、そんなに顔に出やすいのかなぁ、ハハハ……」
「ううん、僕がよく見てるだけ。君が自分を責めそうなことくらい、簡単に分かるし。
それを楽にしてあげたのが、僕じゃないって事も。……誰?」
手首が熱い。どう言えばいいんだろう。でも、答えなきゃ離してくれなさそう……。
「あのね、井上さんが……井上さんの前でね、子供みたいに泣いちゃったんだ。
今思い出すと物凄く恥ずかしいんだけど。なんか、お父さんを思い出しちゃったんだ。
井上さんの方がずっと若いのに、失礼だよね? でもあんまり優しいもんだから、つい甘えちゃった。
あと、斎藤君にも教わったの。池田屋でね、総司には謝るんじゃなくお礼を言った方がいいって。
その方が喜ぶって教えてくれたの。それは本当にそうだなって、思った。勝手に喋ったのは内緒よ?」
手首を掴んでいた手が緩む。総司は……呆気にとられたような表情をした後、クスクス笑った。
「源さんか! ……は〜、敵わないな。お父さんに勝てるわけない、か。うん、でもよかった。
そっか、源さんか……。ハハハ、気が抜けた。千穂ちゃん、君って意外と悪女かも」
「あ、悪女ぉ〜!? ちょっとそれ、どういう意味よっ!」
「クスクス、でも許してあげる。今回は源さんに譲るよ。苦しめた一部に、僕もいることだしね。
にしてもはじめ君はずるいな。人が気絶してる間にいいとこ取りだ。あとでお礼しなきゃ。
ああ、でもはじめ君の言ったことは間違いじゃないよ? 謝る事じゃないし、謝られたら、困るし。
……約束破ってごめんね?」
約束。おそらくそれは、出立前の。……ほんとだ、色々あって動転してて、忘れてたな。
「ホントだ! じゃあ埋め合わせに、元気になったら一番人気の甘味処で一番高いやつね?
もちろん、総司の奢りで! 目茶苦茶心配させたバツ!!」
「いいよ、好きなもの奢ってあげる。たぶん報奨金が出るだろうし」
「じょ、冗談だってば! お団子でいいから! だから……早く、元気になろう?」
「うん、約束する。今度は破らないから、待ってて」
そう言った総司の目は、切なくなるほど優しくて。
ただの甘味の約束なのに、まるで告白でもされたかのように、胸が高鳴った。
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