98 油小路の変

酩酊した伊東の駕籠を、隊士達の刀が襲う。惨劇が、始まった。

血溜まりに伏す伊東の亡骸は真冬の空の下、油小路に置き去りにされる。

伊東先生が刺殺された、という一報は衛士に伝わり、油小路に向かう一群の最後尾に平助の姿があった。

木陰に潜む斎藤と千鶴は、一群をやり過ごし平助に声を掛けた。

「待って、平助君!! お願い!」

「千鶴!? はじめ君も!」

「伊東は近藤局長暗殺計画を立てていた為、暗殺された。平助、これが最後の機会だ」

「なっ!!」

伊東が……近藤さんを!?

……平助の覚悟が決まった。千鶴の縋るような目に、頷く。

天霧の言葉を聞いた時から、もう決めていた。はじめ君のもたらしてくれた情報も大きかった。

機会を見て、抜ける。千鶴の所へ帰ろう。皆に謝ろう。もう一度……取り戻そう!!

「千鶴、行くぞ! はじめ君、殿頼むっ!」

小さな白い手を取った。冷え切った手を握ると、胸が熱くなった。ずっと待っててくれたんだ。

もう二度と、絶対離さねぇ!!

後ろから衛士の、どこへ行く!? という声が聞こえたが、振り向かない。もう、迷わない。

屯所の中に駆け込むと、木の陰で千鶴を抱き寄せた。荒い呼吸も整わないまま、見詰め合う。

「千鶴……好きだ。俺、お前が大好きだ!」

「平助君! 私も好き……平助君が好き!」

言えた。ずっとずっと言いたかった言葉。言い出せなかった言葉。

「おかえりなさい」

「ああ、ただいま」

どちらからともなく顔が近づき、そっと目を閉じた千鶴の唇に、平助の唇が重なる。

一度落ち着いた心臓が、再び高鳴る。冷たい鼻先がぶつかり、クスクス笑い合いながらも、唇は離れなかった。




油小路では、伊東の亡骸へと駆けつけた衛士の一群に、隠れ待っていた数十名の隊士達が一斉に切りかかった。

新八と左之助は素早く見渡し、平助の姿がない事を確認した。千鶴と斎藤の奴、上手くやったみたいだな。

左之助は一番の気掛かりが消え、闘志が湧き上がる。腕の立つ二刀流の衛士に狙いを定めた。

待ってろよ、千穂!

左之助の槍が、闇夜に躍った。




斎藤は木陰の気配を読み取り、軽く溜息をつくと、淡く笑んで屯所に戻った。

やがて平助、千鶴に続き、近藤や土方も戻る。広間の戸が開く度に千穂は立ち上がり、無事を喜んだ。

だが、平助の復帰を何より喜びつつも、戸口を何度も見てしまう。左之助さん達、まだかな……。

「私、お湯と手拭い用意してきますね。帰ったら汚れ落としたいだろうし。総司、お守り役ありがとね」

じっとしていられなくなり、お勝手に向かう。手を動かしている方が気が楽だった。

釜の湯気で手を温めながら、気を紛らわす為に歌を口ずさむ。


  荒野の果てに夕日は落ちて  たえなる調べ天より響く

  Gloria  In Excelsis Deo  Gloria  In Excelsis Deo


「綺麗な歌だな。外国の歌か?」

「おかえりなさい!!」

嬉しさの余り、思わず抱きつこうとした。

でも、その胸からはいつものドキドキするような左之助さんの香りじゃなくて……血の臭いがした。

よく見れば、着物も袴も血塗れていて……。

「左之助さん! まさか?!」

慌てて体を離し、さっと全身を見る。

「大丈夫、これは返り血だ。わりぃ、桶の湯、庭に出すわな。お勝手が汚れる。それと……ただいま」

別の桶に水を張り、脱いだ着物を浸けてもらい、用意した着替えを渡した。

「無事でよかった。……平助、帰って来てるよ。ププッ、千鶴ちゃんと手を繋いで入ってきてさ。

 あれだけ心配かけて千鶴ちゃん泣かせたのに、ただいまって言うんだもん、皆に小突かれてた」

「馬鹿、無理してカラ元気で迎えなくっていい。怒ったって責めたっていいんだぞ?」

「馬鹿はどっちよ、人に気を遣ってばっかりじゃん。一時でも一緒に過ごした人達を手にかけて……

 辛くない訳ないのに! もっと吐き出してよ! 奥さんなのに寂しいじゃん!!」

左之助さんは面食らったような顔をして、私をじっと見た。予想外の答えだったみたい。

でも……破顔一笑、思いっきり私を抱き締めた。

「アハハハッ、お前めっちゃくちゃ可愛いな! プッハハハ! 最高だ! いや、マジで最高の嫁さんだ!」

「く、苦しいよ、変なこと言ってないよ?」

「……ああ、言ってない。確かにお前の言う通り、嫌なもんだ。正しいって言い切れるもんでもないしな。

 でも、もっと弱音を吐けって言われるとは思わなかったな。心配ばっかかけてるから叱られっかと思った。

 こうしてお前と抱き締めてっと、辛さとか愚痴とか嫌なこと全部吹っ飛んでっちまうんだ。

 だから、言わないんじゃなくて、忘れちまうんだな。あと、ハメるともっといいんだがな?」

「ばっ!」

馬鹿! 信じらんない、このエロ男! 折角なんか感動すること言ってくれたのに! ……でも。

「うん、私も。不安で心配で落ち着かなくて、でも帰って来た左之助さんの顔見たら、スポンと抜け落ちちゃう。

 こうやってギュってされると、全部どっかいっちゃうの。フフフ、似たもの夫婦だ!」

「だな」

そうして二人でじゃれ合うようなキスをしながら広間に向かった。

左之助さんの拳骨、平助の悲鳴、皆の笑い声。そして斎藤君は真新しい襟巻きをしていた。

お帰り、みんな。



斎藤君は一応、ほとぼりが冷めるまで天満屋という所で要人警護。

平助は出戻りだからひと月の謹慎。隊務をしないのはズルいって事で皆の書類仕事が押し付けられた。

軽い処分で済んだのは、やっぱり皆に好かれてたからだと思う。

陰口を叩く人もやはりいたが、三番組と八番組の隊士達は、泣いて喜んでいた。



油小路での暗殺事件から二十日ほどたった頃、王政復古の大号令が発せられた。

明治の背中が見えてきた。





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