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季節外れのベタ雪が、華やぐ上巳の節句に水を差す。
安政七年三月三日――井伊直弼、襲撃により死亡。過激尊皇攘夷派からの怨嗟が、春の雪を血で汚した。
後にいう桜田門外の変だ。
「トシ、聞いたかっ!? 井伊公君がお亡くなりになられたそうだ」
「何っ!? ……やったのは水戸の一派か。奴さん、あいつらにゃ随分と恨まれてるだろうからな。
いや、恨みなんて生易しいもんじゃねぇ。……なぁ近藤さん、こりゃえれぇ騒ぎになるぜ」
桜田門外の変翌日。大名駕籠を襲撃するという前代未聞の騒ぎは、既に江戸市中で噂の種となっていた。
目撃者の談は蕎麦屋で…あるいは井戸端で、瞬く間に広まった。
しかも主君の首を奪われた彦根藩が、表向き病床にあるとしてその死を伏せた為、
「ほぅ、首なしの病人たぁ滑稽だ。そんなら枕は要らねぇな」などと面白おかしく取り沙汰される始末。
近藤もいち早く一報を知己の者から伝え聞き、家に戻ると囲炉裏端へどっかりと腰を下ろして、土方に聞かせた。
この事件が今後どんな影響を及ぼすのか、読みに長ける親友と論じたかったのだ。
土方は囲炉裏の火に軽く手をかざし、胡坐に組んだ膝へ肘を付いて考え込んだ。
井伊の結んだ修好通商条約に、時の帝たる孝明天皇が激怒したのは有名な話。
それを強引に幕府権力でねじ伏せ、尊皇攘夷派をことごとく潰しまくった。
いつか報復があるかもしれねぇとは思ったが……。
「死んだとまだ公表しねぇのは、息子に跡目を継がせる為だろ。彦根藩の取り潰しは幕府だって望んでねぇはずだ。
だが……水戸藩と彦根藩が仇敵になっちまったんだ、城ん中は今頃てんやわんやだろうよ。
この勢いで、尊皇攘夷の連中が出張ってくるかもしれねぇな。くそっ、気に食わねぇ!」
「なるほど、そうなると過激派の鎮圧に、実戦向きのうちが着目されるかもしれんぞ。
双方に義はあるだろうが、ここにきてむやみに時局を乱す輩は許しがたい!
お声掛かりさえあれば、求めに応じたいところだなぁ。ハハハ、一介の道場主にそれはないか」
「いや、案外悪くねぇ読みだ。過激派がのさばりゃ上も考えるだろ。そん時ゃ近藤さん、いよいよあんたの出番だ」
「む……そ、そうか? いや、トシが言うならそうかもしれんな。うむ、存分に忠を尽くせる日が待ち遠しい!」
自分を持ち上げる親友に、近藤はやや恥ずかしげに笑いつつも、貧苦に朽ちない己の志しをみせた。
土方も目を細め同意する。近藤さん、あんたは埋もれていい人間じゃねぇ。いつか……いつかこの手で押し上げてやる。
その道が平(たい)らかでない事は明白だ。が、土方の想いは揺るがなかった。
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