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特になんの会話もないまま、斎藤さんの傘に入れて貰って歩く道。

人がいないことにホッとする。誰かに見られたら、やっぱり気恥ずかしい。

だってまるで…………。

思わず浮かんだ「恋仲」という言葉に、自分でもおかしなくらい隣りの人を意識してしまった。

歩くと体が揺れるので、時々肩がぶつかる。そうでなくとも袖が触れる。

黒い着物から出て傘を握る手をチラッと見ると、自分より骨ばっていて大きい。

湿気で時折胸元から汗ばんだ自分の香りが上がってきて、汗臭いと思われたら嫌だな、と思った。

会話がなくても特に気詰まりじゃないのは、斎藤さんの落ち着いた雰囲気のお陰なんだろうけど。

折角の機会だから何か少しお話がしたい、そう思って風呂敷に目を落とした。


「私、明日から奉公に出るんです。子守の口を探して下さって。

 その為に母が着物を染め直してくれたので、今日は受け取りに行った帰りだったんです。

 傘に入れたお陰で着物を濡らさずに済んで、助かりました。」

「そうか、年季は長いのか?」

「とりあえず二年、後はその時次第です」

「寂しくなるな。……っ、いや、その……親御さんが、だ」

「っ……はい。えっと、でも近くに嫁いだ姉がしょっちゅう来てますから」

斎藤さんがうろたえたように言葉を詰まらせたので見上げると、耳と頬が赤くなっている。

普段表情を崩さない彼のそんな動揺をみて、私も急に頬が熱くなるのを感じた。

さっき傘に入った時の恥ずかしさがようやく落ち着いてきたのに、また心臓が速くなっていく。

途切れてしまった会話の代わりにその心音が聞こえてしまわないか。そう心配してしまうほど、胸のうちがざわめいた。


やがて雨が殆ど止み、私の家に向かう小道の前まで来ると、斎藤さんが足を止めた。

「家まで送ると家人が色々言うかもしれん。傘を持っていくといい」

「いえ、それでは斎藤さんが――」

言いかけて初めて、彼の肩と袖がぐっしょりと濡れていることに気付いた。

私が濡れない様に、反対側を雨に晒してたんだ……。

「あの、袖と手をこれで拭いて下さい。さっき髪を覆ったのでお嫌かもしれませんけど、よかったら」

胸元から取り出した手拭いを押し付けるように渡すと、軽く指先が触れて。

トクトクと忙しい心臓に拍車をかけた。

きっと顔、真っ赤になってる。

いたたまれなくなってギュッと風呂敷を抱きかかえると、頭を下げた。

「ここで結構です、本当に助かりました。あの…………お元気でいらして下さい」

傘は受け取らず逃げるように小道へ入ろうとした私に、後ろから声が掛かる。

「礼、あんたも体をいとえ。明日は晴れることを祈っておく」

「斎藤さん……ありがとうございます」

振り返った私に、蒼い瞳が優しく微かに笑む。思いがけず掛けられた優しい言葉、温かい気持ち。

それらが柔らかい何かを纏って私の心にも温かい幸せな気持ちが芽生えた。


どうしよう、ひょっとして私……。

大事な何かが消えてしまわないよう、小道を歩きながら離れていく彼に聞こえない小さな声で言った。

「ありがとうございます。行ってきます」


優しい瞳、穏やかな声、片袖だけ濡れた腕。

そんなものが何度も繰り返し、頭に浮かんでは消えた。





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