谷城千種が自らの異様さをはっきりと自覚したのは、5年前に遡る。些細なきっかけならば、もっと前から、それこそ幼稚園の頃からあった。視界に一瞬、割り込む景色や、聞いたことも無い人たちの声。ざわめき。ノイズ。
最初は気のせい、勘違いで終わっていたものが、成長と共に色濃く付きまとうようになった。階段を下りている時に見知らぬ風景が映り込んで、足を滑らしたことも一度や二度ではない。
授業中。友人と遊んでいる時。家族と過ごす時間。一人の空間。
全てを無視してそれらは現れた。「やしろ」と何度も呼ばれ、そう呼ぶ幻覚を左目が映した。「てんしょう」「あじん」よく知らない、幾度も聞く単語。
気が狂っているのだろうと。
その内に友人や先生が噂するようになった。両親が毎夜、悩んでいた。好きだった空手を辞めた。
そうした揚句の果、彼に残ったのは「西京」と呼ばれる異世界だった。

物思いに沈んでいた千種は、いつの間にか学校の最寄り駅に辿り着いている事に気づいた。
ぼんやりと耳に当てていた携帯を学ランのポケットにしまいなおし、代わりに定期券を引っ張りだす。
改札を通る前に、券売機へ目が言ってしまうのは「西京」の存在を知ってから癖になった事の一つだ。
構内に列車の到着を告げるアナウンスが響く。
俄かに慌ただしくなった周囲の人ごみから外れ、彼はふらりと壁際へ寄った。右目でフラットフォームへ続く階段を駆けていく人の流れを見つめながら、再び携帯を取り出す。
「で、どいつ? ……ああ、見えたよ」
そう答える瞳は閉じられていた。
先程までこちらを映していた、右の眼が閉じられ、傍目には目をつむっているように見える。
しかし眼帯の奥、左目だけは開かれていた。それはここではない世界を、片割れの眼を通じて覗いている。行った事が無いのに、見知った異世界。この世界よりもごちゃごちゃとして、前時代的で、そして今はこの時代には滅多に見かけなくなった、古びて今にも倒れそうなぼろアパートと、そこを出入りする学生を映していた。
「分かってるよ八代。顔は覚えた。今からでも検索するさ」
通話を装いつつ、彼は右目を開いて壁から背を浮かせる。
彼の世界では、相変わらずせかせかと人々が駅を行き来していた。その波に乗りながら、耳元から離した液晶に触れ今度こそ起動させた携帯で、インターネットに繋げる。
開いたサイトは、行方不明者のリストだ。画面に指を滑らせる千種は、首に下げたヘッドフォンを着けながら、彼の世界へと、日常へと埋もれて行った。


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